★阿修羅♪ > 議論24 > 158.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: おっしゃるとおりなんです、が… 投稿者 秋元健一 日時 2006 年 8 月 07 日 23:39:11)
>>三角縁神獣鏡があるからといって、倭が魏の属国であったわけではないでしょうね。
>>おなじことで、同鏡が出土したからといって、その地が倭の支配下にあったわけではありません。
>★当然でしょうね、少なくとも日本の考古学者でそのようなことを主張している人物を僕は知りません
列島三島(本州島は西部のみ)における三角縁神獣鏡の出土と、関東平野における七支刀の出土と比較したらどうなるでしょう。
あるいは、列島三島(本州島は西部のみ)における貝輪の出土と覇権はリンクできますでしょうか?
というような話です。
>僕が勉強していたころはまだ三角縁神獣鏡が魏で作られた鏡かどうかさえ異論がありました
>たぶん現在は魏鏡として認知されているのではないかと思いますが、日本に持ち込まれたあ
>と、これがどのように流通・配布されたかを辿ることで、当時の倭国内の王権と副葬された
>被葬者の関係を究明しようという試みはしています
究明しようという試みは否定しませんよ。多様な検証がなされるべきです。
ただねぇ、「王権」とかが如何なるものなのか、そのへんが論争が弱いということは、「王権」の性格とか機能などが解明されていないという現れだろうと思いますです。
そのへんが「考古学=物証から王朝=非物証が推定できるなんて考えるのが云々」という拙文の趣旨になりましょうか。
空耳板ですから、多少方向が違う言い方でご勘弁願いますが、たとえば数千年後に「京都市内の町内会倉庫遺跡」から祇園祭の山鉾を飾るペルシャ絨毯が、なんらの文献を伴わずに出土したらどういう評価になるでしょう?
「東大寺正倉院正倉院遺跡」から出土するペルシャ琴と違った評価になるような気がします。
ま、そんな話でございます。
考古学は常に揺れるというか、常に新しくなるという感じで一言した次第です。
でわでわ、縄文ビトさんとの対話にお戻りくださいませ。
追記】
数年前に「三角縁神獣鏡」の成分分析を行って中国産の銅だったという記事を読んだ記憶があります。ま、それにしても全ての銅鏡を分析したわけじゃないとは思いますが・・・
分析対象が「景初四年鏡」だったら、それはそれで興味深い結果ですね。
卑弥呼はんは廃棄物を貰ったとか・・・(^^ゞ