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大統領たちが恐れた男 FRB長官フーバーの秘密の生涯
アンソニー・サマーズ著 水上峰雄訳より、抜粋引用
■ 赤狩りは選挙キャンペーン
ヨーロッパで戦争が目前に迫っていた1939年の6月、ルーズベルト大統領は、FBIが陸軍省、海軍省と協力してではあるが、すべての情報収集活動を管轄することに同意した。エドガー・フーバー(FBI長官)が外国の諜報活動と破壊活動との戦いの指揮をとることになった、と発表した。同時に大統領は、「破壊分子の活動」に関する情報を収集する権限をFBI長官に与えた。これらの命令は曖昧で、当座の必要を満たすことだけを意図したものだった。
新たに得た権限をエドガーが初めて行使したときには、抗議の嵐が巻き起こった。1940年の1月、政府転覆を策謀した容疑で、数名の反ユダヤ扇動家が逮捕されたが、これが大失策だった。逮捕された男たちが、FBIに雇われている情報提供者から反ユダヤ宣伝を吹き込まれ、武器まで供給されていたことが明らかになり、告訴がすべて取り下げられたからである。
マスコミも突然、FBIをナチス・ドイツやソ連の秘密警察になぞらえる論陣を張り始めた。議会では、ジョージ・ノーリス上院議員が「アメリカのゲシュタポ」という表現を使い、エドガーを「アメリカ大陸で最も自己宣伝に汲々としてる輩」ときめつけた。そして、現状が続けば間もなく「わが国で、あらゆる木陰の陰にはスパイが、あらゆる押入れには刑事が潜んでいる」ということになろう、と付言した。
この危機をエドガーが乗り越えられたのは、大統領という望みえる最も強力な後ろ盾をもっていたからだった。エドガーはホワイトハウスにせっせと政治に関する秘密情報を提供することで、ルーズベルトの信頼を勝ち取ったのであって、その後の歴代大統領にも同じことを続けることになる。
FBIは、日常業務として、ホワイトハウスのために政治的スパイ活動をするようになった。1940年の年末、ルーズベルト政権の「敵と味方」の行動を見張るよう大統領に依頼されると、エドガー・フーバーは捜査官を一名パームビーチに派遣して、「完璧な監視」を行い、この希望に応えた。シカゴ・トリビューンが一時期、ルーズベルトの国防計画に反対の論陣を張ったとき、大統領はエドガーに援助を求め、同紙の強力なライバル新聞をシカゴに育て上げようとした。マスコミ界でFBIが信頼する筋の一つになったシカゴ・トリビューンのウォルター・トローハンはこういっていた。
「様々な汚い手を使うときに、ルーズベルトはFBIを利用した。新興新聞のサンがシカゴ・トリビューンを潰してしまおうと攻勢に出ていたとき、ルーズベルト政権は、FBIを使って、新聞の発行人たちに脅しをかけた。のちにこのことを話題にしたところ、フーバーは「ああ、やった。しかし、あれをやれと私に指示した手紙がある」と言って、その主旨の指示が書かれた手紙を見せてくれた。フーバーは、上からの指示でやったという証拠を入手してからでないと、その種のことはやろうとはしなかった…」
やがてルーズベルトは、司法長官をしばしば蚊帳の外において、直接エドガーと接触するようになった。その後永年にわたって、建前ではFBI長官に対して全面的な権限を有している司法長官が、代々、同じ屈辱を我慢せざるを得ないのを、自らの体験から、知るようになる。エドガーは「名目上は直接の上司である司法長官を指名できるほどの力を持つようになったらしい」と1941年6月の日記にイークス内務長官は記している。
ルーズベルト政権の司法長官だったフランシス・ビドルの幹部スタッフの一人、エドワード・エニスが感じ取ったところでは、代々の司法長官は、エドガーと大統領との関係に脅威を感じていたし、それにもまして「エドガーが政府高官全員の個人ファイルを持っていること」に怯えていた。またどんなに好意的に見ても次のようにしか言えない、国務次官補だったアドルフ・バーリーは書き残している。
(J・エドガー・フーバーは)基本的人権の侵害を最小限にとどめて秘密警察を動かしていたが、秘密警察の長に期待できるのは、それくらいしかないだろう。しかしながら、連邦政府の高官がこれほどの力をふるったのは、アメリカの歴史で初めてのことであり、エドガーが重大な基本的人権の侵害を執拗に犯したのは、厳然たる事実である。
その後もエドガーは、自分の縄張りを確保するための運動を続け、ホワイトハウスやFRB長官の主張を後押しするよう、陸海軍の将官たちや上下院の議員たちにはたらきかけた。これらの軍人や議員たちは、エドガーの要請に応じたが、それは、彼らにも守るべき縄張りがあったからだ。また、戦時中にドノヴァンのOSSには「何人もの共産主義者がいた」というエドガーの主張を、彼らの一部が信じたからでもある。しかし、戦後、エドガーの部下たちが行った調査では、OSSに残っていた人員の中に、共産主義者は一人もいなかった。
■ CIAとFRBの縄張り争い
トルーマン(ルーズベルト後の大統領)はやがて、ソ連の秘密工作という本物(?)の脅威に対応するため、中央情報局(CIA)の創設を承認するが、エドガーには何の役割も与えなかった。CIAは国家安全保障会議を介して大統領に直属し、その主要な任務は情報の評価であって、情報収集の現場での活動ではない、ということだった。(現在のCIAは、いわゆる「秘密活動」を行える能力を持っていることで有名だが、これはのちに追加されたものである)。
ドノヴァンがCIAを率いたことはなかったが、CIAが、基本的には、彼の頭脳から生まれたものであるという事実を、エドガーも、不承不承、認めざるを得なかった。さらに戦時中に思いがけなく手に入ったものをエドガーから奪い去った。FBIが管轄していたメキシコ以南の地域である。ロンドン、パリ、ローマ、オタワ、それにメキシコシティにFBIが持っていたポストも単なる連絡係に格下げされてしまった。それでもエドガーは、時の流れに逆らって、メキシコでの情報収集活動を続行した。このCIAと重複するFBIの情報収集は、ずっと後まで続いた。
1947年の秋、エドガーの行動を注視していて危惧を抱いたトルーマン大統領は、大統領警護が任務の一部である財務省秘密検察局(シークレット・サービス)で危機的状況が起きたあと、ベニス夫人に次のような手紙を書いている。
…シークレット・サービスが立ち直り、しっかり仕事するようになったのを、もちろん、私は喜んでいる。エドガー・フーバーは、シークレット・サービスを自分の監視下におけるのならば、右目すらも差し出すだろうし、上下院も、一人残らず、フーバーを怖れている。私はそうではないし、あの男もそのことを知っている。私が阻止しなければ、この国にNKVD(ソ連の秘密警察、正式名称、ソ連内務人民委員部)やゲシュタポのような組織ができてしまう。放っておくと、エドガー・フーバーの組織は、アメリカ市民に対するスパイ機構を作り上げる絶好の機会を掴むだろうが、そいつは私には我慢ならないことだ…
1948年は大統領選挙の年で、15年間も政治的荒野に置き去りにされていた共和党の指導層は、今度こそホワイトハウスへの返り咲きを果したい、と願っていた。政治とはいっさい関わりあわない、と頻繁に公言していたエドガーは、共和党が現職大統領の足元を突き崩すのを助ける手段を見つけ出した。それは、内なる”赤い敵”に対してパニック状況を、また作り出すことだった。
何年も後に、トルーマンはこう語っている。
「あの連中が−あの騒がしい連中がしようとしていたのは…連中は、民主党をやっつけようとしていたんだ。私をホワイトハウスから追い出そうとしていたんだよ。そのためには何でもするつもりだった。(共和党は)政権から永く遠ざかっていたから、返り咲く為に、あらゆることをやった。思いつくことなら何でも−悪魔狩りだろうが何だろうが、やってのけた…。あの時期ぐらい、憲法が危険にさらされた時期は他にない…」
さんざん脅しつけて世間を騒がしたにしては、エドガーがFBI長官だった間に、スパイ行為で有罪となったアメリカの共産主義者は、たった4人にすぎない。
■ ブッシュとはテキサス油田繋がりだ
株式市場で投機をしてはならない、とFBIの新人は厳重に警告されるが、エドガーとトールソンは、投資先に関しての内部情報のお陰で−さらにそれに加えて、テキサスの友人たちがお膳立てをしてくれる「絶対に損をしない」特別の計らいによって、資産を増やしていった。
1975年に死んだときのトールソンの資産は72万5千ドルだった。現在の価値換算で180万ドルにもなる。大半をトールソンが相続したエドガーの公示された遺産には、12万2千ドル相当の石油と天然ガスと鉱山資源の埋蔵地の賃貸料が含まれていた。なにしろエドガーの公示遺産総額の2倍もの額を、テキサスでの石油プロジェクト1つだけに投資していたのだ。
ニューヨーク地方検察のモーゲンソーは、1988年にこう語っている。「これらの記録は、基本的には、石油発掘への投資に関しての情報をフーバーに知らせる電報だったが、私が関心を持ったのは、石油開発が連邦政府の賃貸地で行われており、フーバーは連邦政府の公務員である、という事実だった。つまり、投資先が連邦政府と賃貸契約を結ぶのに、フーバーが手を貸したかどうか、投資の利益は、実質的には、いわゆる「発見手数料」ではなかったのか、といった点に関心を持ったのである。
発見手数料というのは、石油業界では「繰越利息」といわれているもので、連邦政府の賃貸地や石油の埋蔵地点に関しての情報提供に対して、油井掘削会社が提供する謝礼だ。これは、フーバーのように連邦政府機関に勤めているものなら、してはならないことだ」
FBIの庶務主任アルバート・ガンサーが、一切をうまく取り計らってくれた、その後エドガーとトールソンの税金関係の面倒をみることになる。
■ マッカーシズムを育てのも壊したのもエドガー
1950年の2月で、ジョセフ・マッカーシーがトールマン政権下の国務省は、承知の上で、200人以上の共産党員を職員として雇っている、とのセンセーショナルな主張をしたばかりだった。真っ赤な嘘だったが、共産主義への恐怖感に満ちていたアメリカでは、このヴィスコンシン州選出の上院議員が、間もなく、ヒーローになりそうだった。
その後の4年間、上院調査小委員会の委員長として、マッカーシーは大審判官の役割を演じ、2人の大統領、数十人の非の打ち所のない政府高官、そして膨大な数の大多数が善良な一般市民に対して、見当違いの告発をした。今日の辞書には「マッカーシズム」という言葉が採録され「@見境なく、しばしば根拠のない告発をすること A人気取りのために人騒がせなことをすること B異端分子へは人権無視の厳しい取調べ手段を用いること」と定義されている。
しかし、エドガーはBの手段を奔した上院議員に関わりを求め、情報を提供し、マッカーシーが常軌を逸した行動をとるようになったときにも、頑固に庇おうとした。エドガーの部下である、ウィリアム・サリヴァンは次のように回想している。
「マッカーシーが公聴会を開けるようにしたのは、われわれFBIだ。マッカーシーが公聴会で活用した材料は、われわれが提供した。われわれが何をしているのかを、私は承知していた。私自身が先頭にたってマッカーシーに強力していたのだ。一般市民に対しては、FBIはマッカーシーや聴聞会とは無関係だと公言していたけどね」
また、ミズーリ州のビジネスマンの投書にはこうあった。もし、ミスター・フーバーが大統領選に出馬したら、歴代大統領の誰にも勝る大差で当選するだろう。しかし、政治とは無縁、と常に公言していたエドガーは、ホワイトハウスは目指さずに、誰を大統領にするかを決められる。政界の実力者になった。当時、ドワイト・アイゼン・ハワーとリチャード・ニクソンのコンビが政権を取るのを強力に後押ししていた、途方もなく裕福なアメリカ人たちの排他的グループに入ったのである。
マッカーシーが信用を失いだした原因は、エドガーがスタッフの一員として送り込んだロイ・コーンの高慢さだった。1956年の夏、そのテレビ中継を数百万のアメリカ人が注視した聴聞会では、軍部で赤狩りが行われていた最中に、ロイ・コーンが、議会スタッフの特権を乱用して、シーンが徴兵されるのを防ごうとしたのが明らかになった。この徴兵阻止工作に失敗すると、シーンが陸軍に圧力をかけようとした。コーンは、1954年の7月に辞職させられたが、この時点で、マッカーシー自身の失脚も、不可避のように思えた。
エドガーは、最初から、二股をかけており、公の場では、政治とは関わらないFRB長官という役割を強調しながら、裏では密かに、実質的には無限の援助を、マッカーシーに与えていた。いっぽう、アイゼン・ハワーがマッカーシーを毛嫌いしているのを知っていたので、マッカーシー上院議員の活動は、いまやFRBが共産主義者を見つけ出すのに邪魔になっている、とエドガーは大統領に報告した。
上院によって正式な譴責という不名誉な烙印を押された、はるかのちでもまだ、マッカーシーは、FRBとの接触を持っていた。アルコール中毒の最終段階にさしかかっていた死の直前ですら、アイゼンハワーの後継者としてはエドガーが最適だ、とマッカーシーは主張した。
■ 共産と戦うという名誉を得るために共産の脅威を自ら作った
マッカーシーを知る人たちの一部は、マッカーシー本人も、自分の共産党攻撃を正しいものだと考えておらず、要するに斜に構えた日和見主義に過ぎなかった、といっている。そして驚くべきことに、いったんは生涯をかけて共産主義と戦うつもりになっていたとしても、それにかけるエドガーの情熱は、マッカーシーの場合と同様、1950年代までには形だけのものになってしまっていた。ウィリアム・サリヴァンは、こう言っている。
「もちろん、フーバーは本気ではなかった。共産党が真剣に取り組まなければならない相手ではないのを、承知していたのだから」
一つにはFRBの仮借のない圧力もあって、ピークに達していた1944年には約8万だったアメリカ共産党の党員数も、1956年には2万にまで落ち込んでいた。党員は更に減り続け、1962年には8500、1971年には2800にまでなった。しかし、エドガーは、こうした趨勢を、国民の眼から隠していた。その方法は、アメリカ共産党の党員数を公表するのをやめることであり、聞かれたときには、秘密だと応えることだった。
アメリカ共産党は生き残ったけれども、多数のFRBの状況提供者に潜入されて、政党としての機能は停止したも同然だった。エドガーは、1963年、国家安全保障担当国務次官補アッバ・シュワーツに、こう語っている。
「私がいなかったら、アメリカ共産党は陰も形もなかったはずだよ。なぜかといえば、私が共産党に資金を与えたからだ。奴らが何をするかを知るためにだがね」
また晩年のエドガーが、ウィリアム・サリヴァンに向かって「共産党を軽視し続けていたら、議会から予算がとってこられなくjなるじゃないか」と、語気を荒げていたことがあった。アメリカ共産党の活動を監視するのが専門だったサリヴァンは、のちに、共産党の「脅威」なるものは、かなり以前から「アメリカ国民を騙し続けてきた嘘」だったと公言した。
こうしたことは全て、とにもかくにもマッカーシー時代の終わりには、FRB内部では大儀とされていた共産主義への攻撃に、エドガー本人が取り組まなくなっていたのを示唆している。しかしながらエドガーは、自分自身が何にもまして正しい、と信じ込んでいた。自分が吹く笛に踊ったマッカーシーのような議員たちを、エドガーは利用した。そして、踊ろうとしない議員たちについては、彼らを粉砕する方法を見つけ出した。
エステス・キーフォーヴァ上院議員の言葉を借りるならば、50年代初頭以降のエドガーは、議会を掌握したことによって、「大統領以上の権力」を握った。
かなり衝撃の一冊。ソ連の脅威が本物で、共産の脅威が偽者としてるとこがミソだが、FRBの内部密告情報に基づくものであり、ライバルとされるOSS同様、自爆テロ行為に躍り出たものだと思う。
ブッシュ政権下では、CIA長官の交代劇が起こったが、テキサス油田がらみが広く活躍している。本書では財務省秘密検察局(シークレット・サービス)と連携し、ターゲットの身柄拘束劇が多く書かれている。殆ど目障りな議員がらみのものばかりだが。
しかし、何より凄いのは、これらの証言(リーク)を集めることができたことだと思う。これは即ち、FRB捕獲に一役買った議員の証言とも取れる。
FRBが解体されてもNSAがあるから、そこに流れればいいだけの話で。この暴露本の中には、電子盗聴システムからの情報も多数に及ぶ。
NSAが既に地上軍を押さえ込む作戦に出ているのか、それにしても共産の脅威は捏造だったとは大胆な証言書だ。