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こちらへ登場するのは久しぶりです。 再登場に当たって、やはり、前回の積み残しの分を片付けておこうと思い、北朝鮮について書くことにしました。
というのも、北朝鮮を知ることは現在の日本(の置かれた立場)を知ることに他ならない、と思うからです。 或いは、朝鮮半島の真実を知ることは日本の真実を知ることでもある。
ーこれは別の言い方も出来ます。 「拉致」は北朝鮮の仕業、と思い込んでる人は、日本の置かれた立場、要するに自分達を取り巻く現実を知らないのだ、と。
以下は、3.4年前、「拉致」で世論が沸騰していた頃、阿修羅とは別の場所で、
「拉致事件」の真相について議論したものの一部です。
「英国は北朝鮮と国交のある世界唯一の国家」? というスレッドを観て、あまりそれらのコトについて知らないようですので、参考(?)の為に書き込んでおきます。 西暦2000年、要するにアメリカ大統領選の真っ最中に、アジアやヨーロッパの大半の国が、雪崩を打って(そういう表現がまさにピッタリでしたな)、北朝鮮との国交
に動いたのを観て、やはり、世界は米軍の暴走を事前に封じ込めようとしているのだな、と想いました。
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何故こんなことを言うか?というと、発端の部分を検証してみると、大きく分けて次の三つの点で、不可解なことばかりだからです。
@北朝鮮が拉致する必要性なり必然性は、果たして、本当に有るのか?
A「拉致事件」そのものに含まれる不可解さ。
B治安当局の不可解さ
これらを全て矛盾なく理解する為には、一つの大きな仮説が必要です。
一連の事件は、当時の北東アジアの状況と深いところで結び付いているのではないか?というものです。
即ち、日韓がその当事者である「金大中氏拉致事件」から、日本では「ロッキード事件」、韓国では「朴大統領暗殺事件」へと続く、北東アジアの政治的地殻変動に胚胎したものではなかったのか?というものです。
言い換えれば、これらの政治的事件への理解なくして、この「拉致事件」の真相に迫ることは出来ないのではないか?
だから、本来ならば、「拉致事件」への考察と平行して、こういった歴史(戦後史)の書き換えがどうしても必要なんですけれどもね。
例えば、「核所有発言」にまでエスカレートしている北朝鮮の「体制認知」の問題は、実は三十数年前から有りましてね、当時は「南北クロス承認」という(東側が韓国を、西側が北朝鮮を承認する)ものでしたが、何故そういった動きが起きて来たか?というと、ベトナム戦争の泥沼化で、展望が開けなくなった米軍が、新たに北東アジアに第
二戦線を開こうとしたのですね。 それが「プエブロ号拿捕事件」であり、原子力空母エンタープライズの「極東」への登場だったのですが、その動きに直ちに、敏感に反応したのが※北の特殊部隊による韓国大統領官邸襲撃事件だったのです。
※そして、三島由紀夫
かかる北東アジアの軍事エスカレーションに全世界が大変な危機感を持ち、それがこういった流れに繋がったわけですが、そういった動きに西側主要国ばかりじゃなく、当時のワルトハイム国連事務総長やサダト大統領まで絡んでいたのをみると、これはもう現在の構図と殆ど同じに見えてくるのですね。
そういった米軍による武断的な方法が、却ってアメリカのリーダーシップを毀損するということで、「東部エスタブリシュメント」といわれる元老・奥の院が動いて、やがて「ロッキード事件」(軍産複合体粛清)に繋がっていくわけですが、その延長線上に、「在韓米軍の全面撤退」を掲げたカーター大統領が登場してきます。
「拉致事件」直前の北東アジアというのは、かかる極めて厳しい国際政治の角逐の場であって、ハッキリ言って、北朝鮮のような小国が、<独立変数>として、自由に動き回れるような場所ではなかった(未だにない)のです。
[閑話休題]
慌てて全世界が米軍の思惑封じ込めに動く―「クロス承認」の延長線上で、この前の米大統領選の際にも同じ動きが有りました。 ブッシュ氏の当選の目が出て来たとみるや、欧州・アジアの国々が挙って北朝鮮と国交を樹立したのです。 今や、主要国で何の関係も持たないのが日本だけという有り様。
その動きをリードしたのが、又もや英国でした。 私は英国は好きではありませんが、こういう場合の英国のやり方というのは見事というしかない。
「国交樹立」という動きが表面化した時には、もう実質的には終わっていたんですからね。 ここでふと空想するんですが、同じ時期に起きた例の「英国航空スチュワーデス失踪殺害事件」、犯人は北朝鮮籍の「在日二世」ということですが、もしあの時、失踪したままで、被害者は拉致されて北朝鮮に居るというような、真偽不明の情報が大量に流されていたなら、今の日本と同じ様に、国交樹立は立ち往生したまま―てなことになったかも....なんてね。(笑) 要するに、日本に通じた手は、流石に大英帝国には通用しなかった、というわけ。
私が「拉致事件」があることを知ったのは学生時代でして、色々調べて、「例の連中だな」と見当をつけて今日に至ってる訳ですが、この間起きた様々な出来事を通じ、又時間の経過とともに、前後・周辺の状況もよりハッキリと判って、推測が確信に変わりましてね。 むろん、だから、この前の「日朝首脳会談」で、金正日氏が「事件」を謝
罪してもそれが何を意味するのか分りましたので、確信が揺らぐことは有りませんでした。 その後の展開も予想した通りだったし、特に事件に関して、「対南工作」の責任者が処罰されたことは私の想い描いていた筋書きドンピシャリだったので、益々確信を深めた次第です。
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さて、如何でしたでしょうか?
3.4年経って、付け加えることがあるとすれば、そういった「北朝鮮との国交樹立」の背後にいたのはクリントン政権だった、ということです。 当時、国務長官(外相)だったマドレーヌ・オルブライト女史の証言によれば、クリントン大統領は北朝鮮との国交樹立を本気でやろうとしていた、ということ。 金正日氏が出て来る勇気が
有れば米朝国交樹立が成っていた、というのですが、果たしてそうか? 私は、ここにも、「弱者のリアリズム」を感じて仕舞うのです。
弱者にとって最も大事なのは、誰が本当の強者か?ということ、例えその時「国交樹立」していても、軍部の影響力が強まれば、容易くそれは反故にされるだろう、と看做しただろうことは疑い得ない。
−だとすれば、今回の「ミサイル発射」について問題になるのは、北朝鮮は「強者の意図」をどのように読んでいるのか?ということでしょう。