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北朝鮮に関する議論及びやり取りを聞いていて改めて感じるのは、隣人に対する、極端な無知と無関心ぶりです。 どんなに公平・客観を装おうとも、それが予断と偏見に満ちているのはその何よりの証明です。
もちろん、予断及び偏見と無知及び無関心とは裏腹だからです。
(もし予断や偏見がなければ、「拉致事件」のカラクリなんぞすぐ分かるはずです)
その原因を探れば、大きくは明治以来の「脱亜入欧」ということになるのだろうけど、直接的には戦後日本の国家体制=「日米安保体制」に行き着かざるを得ない。
従って、戦後日本の国体とそのイデオロギー(「自由民主主義」)に懐疑的でない人には、隣人を取り巻く現実と、その真の姿は見えてこないのかもしれない。
その様は正しく家畜と野生動物、これは別の処でも使いましたが、「日米安保体制」という柵の中で、牛やブタのように飼い慣らされて、その在り方に疑問を持たなければ、柵の外の者が生存の為必死に動き回ってる姿が奇異に想えてくるのでしょう。
「我々の常識・感覚・理屈・価値観」といっても、そういう彼等にはどのように映るのか?
所詮お前等のは「ブタの感覚、牛の価値観」、「家畜の常識」ではないか!と言われたら、皆さんはどのように応えるだろうか?
そうじゃないというのなら、柵から出て、地図を正反対に引っ繰り返して、一度北朝鮮から物事を眺めてみたらいい。 そうすれば、北と西は中国とロシア(ソ連)という大国に直接接し、南はかって戦った相手、韓国と世界最強を誇る「極東米軍」、更に東にはその手先(日本)と、 周りをグルリと強大な敵及び潜在敵に囲まれている零弱な国家(国勢を表す数字から得られる、冷厳な結論です)が浮かんで来るでしょう。
中国とソ連は仲間だったのでは?と思われるかもしれませんが、この2大国の思惑に翻弄されてきた建国以来の北朝鮮の歴史を観れば、小国にとって、大国とはいつでも<敵>に成り得る対象でしかないことが解るでしょう。 加えて、本来間を隔つべき海(日本海)は領海の直ぐそばまで、日本や韓国の漁船を装ったスパイ工作船がウヨウヨ(以前、佐渡沖に現れた「不審船」とはそれ)。
これでお分かりかと思いますが、皆さんの思い込み(思い込まされ?)とは逆に、
ハリネズミのように、全身で身構えてるだけの弱小国の姿が見えるはずです。
このように、スキを見せれば、何時どのような敵につけ込まれ、乗じられるか分からない環境(建国以来、これは変わってないはず)の下で、そもそも、積極的に外に出て行って、破壊工作(テロであれ拉致であれ)をやるような真似が、果たして、出来るものなのか?或いはそうする意味が在るのか?
周りを強大な(潜在)敵に囲まれた中で、弱小国が生き延びる方策の第一は、「敵」の意図や思惑を正確に読み取るということに尽きるでしょうし、その行動もそれに沿ったものになるはずです。
そして、結果として採る行動は「敵」の矛盾をつく、即ち「敵」の思惑の差異に活路を見出すー「矛盾論」で展開する、毛沢東の行動論理に極めて似通ったものとなるでしょう。
私見によれば、最近で最もその効果が表れたのがクリントン政権時の「交渉」です。
所謂「瀬戸際作戦」なんて言われましたが、勿論、そんな単純なものではない。 あれこそは、クリントン政権と軍部の思惑の違いを正確に読んで、その矛盾をついたものでした。「最早大統領を凌ぐ程、権力を持ち始めた」とC.ジョンソンが嘆いた軍部、その政治的代表が共和党右派、即ち政党レベルで言えば民主党と共和党右派、しかしながらその源流を求めれば「南北戦争」にまで遡る2大勢力、「9.11」以降最早「内戦」と言える程顕在化してきた、このアメリカの内部矛盾を正確に見据えて。
ところで、そうだとしたら今回の「ミサイル発射」は、ではどのように見たらいいのか?それは次回に話すことにします。