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この並びの違いが、日本が、世界で、独自の文化・文明を発達させた、主因だと、考えています。
おおよそ他の文明では、王権を、神によって、正当化してきました。神の意志によって、この王が統治するのだと。
ところが、日本では、神を発明するのではなく、担いだ人を、現人神としたわけです。この現人神と、そのもとにいる人々は、多くの神を、自分達のためにこそあれ、自分達を、絶対的に超越するものと、見なさなかったわけです。
なぜなら、現人神を正当化する考えを、編み出す必要がなかったからです。中国や韓国の影響で、日本書紀などは、天皇の正当化を試みますが、本質的には、必要がなかったのです。
こうして、仏教も、儒教も、自分達のためになる、偉大な教えであっても、それに帰依することはなかったのです。
蘇我氏が、建立した、仏教寺院の土台石の下には、勾玉(ひすい)が、配置され、後に、聖武天皇が、大仏殿を、創建するときは、そばに、小さなお宮を建てて、お祈りしたのでした。
それ以前、やまとには、多くの神々が、祭られています。やまとに、反旗を翻したと見られる勢力を祭っていると、言われています。そう、自分達のために、神があったのです。
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ある人々は、言うでしょう。一神教と多神教の違いを。しかし、インドの多神教と、日本の神々とを比較すれば、いかに、日本の神々は、いい加減であるか、良く分かります。インドの神々は、人々に一貫した戒律を守る事を要求します。
日本では、仏教徒も、世界で一番早い時代に、妻帯を認めていきます。戒律は、人の上に超然としていないのです。(もちろん、相対的な尺度で、言っていますが。)
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絶対的な神を、編み出した人々と、自分達のために、神々がある人々の違いが、他の世界と、日本との違いでしょう。