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(回答先: 国家の論理と資本の論理<軍産複合体のサバイバルゲーム> −転記 投稿者 乃依 日時 2006 年 7 月 17 日 21:13:13)
−同じく転記となります。
ゲームの、想定される4通りの結末。
投稿者 下山事件 日時 2006 年 6 月 20 日 14:38:45:
ゲームの、想定される4通りの結末。
@軍産複合体が勝利する。
A国際金融資本が勝利する。
B勝負がつかないまま、抗争が継続する。
C両者共倒れとなり、世界は救われる。
@は、限りなくSF的世界に帰結するだろう。
Aは、現世的、享楽的、退廃的世界へと向かうだろう。
Bは、何も変わらないということであり、文明の衰退を招くだろう。
Cは、あらゆる救済思想がそうであるように、この世ならぬ世界への道であり、詐欺でなければ死を意味すると言ってよい。
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あらゆるSFは、軍産複合体と共にある。アメリカ発の近未来フィクションは、軍産複合体の土壌に構想されたものだ。彼等は多かれ少なかれ、フィクションを現実と取り違えている。要するに彼等は狂っている。
また、陰謀論は彼等の想像力を刺激するらしい。あることないこと、文字通り、有る事も無い事も彼等を喜ばせる。国際金融資本が本物の陰謀家だとすれば、軍産複合体は陰謀愛好家だ。荒唐無稽なものほど彼らの好みに合う。そして困ったことに、彼等にはソレを実行する力がある。
ところで、軍産複合体とは軍官僚と兵器産業だけのことではない。戦争はあらゆる学識、あらゆる技術を動員する。多くの学者や研究機関も不可欠のメンバーだ。そして何よりも、軍事とは兵站であることを思えば、つまり、一日の実戦の為に百日の準備が必要であるが故に、軍務を支える周辺事業の裾野こそ政治的社会的影響力の基盤である。
軍産複合体とは、実のところ、軍産学政民の複合的システムであり、国家の内部に巣食い、国家財政を貪り食う、恐るべき寄生生物である。宿主である国家を食い尽くすまで、止まることがない。
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金融資本家とは現実的なものだ。彼等は、人間のありふれた欲望に寄生する。人々が自らの欲望を実現する為にカネを必要とする時、そのカネを提供して見返りを受け取るのだ。
カネを欲しがる人々は、儲け話と称して様々のアイデアを金融資本家のところに持ち込んでくる。実のところそれらの大部分は、バカな連中を出し抜くアイデアに他ならない。陰謀と呼ばれるものもその一部なのだ。こうして金融資本家は陰謀の目利きになる。
成功間違いなしの陰謀には惜しみなく投資する。なかなか気の利いた陰謀にはそれなりの援助をする。成功の見込みが無い場合でも、不確かな将来の為に、ある程度の捨て金が必要なことも知っている。
正確に言えば、金融資本家は陰謀家ではなく陰謀家のパトロンなのだ。しかし、陰謀家がしばしば失敗を犯すのに対し、陰謀家のパトロンに失敗はない。なぜなら、失敗も勘定の内だからだ。
さらに言えば、金融資本家は他人を支配することに興味はない。権力すら信じていない。彼は言うだろう。私はカネを持っている。それで充分だ。それ以外のものは必要な時にカネで買える。
しかし、こうした金融資本家の時代は既に終わっている。高度にシステム化した今日の国際金融を個人の力量でコントロールすることは出来ない。今日言うところの国際金融資本とは、国際的な金融システムそのものであり、それを切り盛りしている主要な人物たちのネットワークに他ならない。
つまり、所有と経営の分離によって、資本所有者の役割が限定されることになったのだ。今や、資本所有者は無為徒食の上流階級に過ぎなくなった。歴史上、無為徒食の支配階級は享楽に走り退廃する定めだ。グローバル化を進める国際金融資本は、無為徒食の輩を養うために地球人類を収奪し続ける。
そして人々は、収奪されるよりも収奪する側に身を置こうと競争を繰り広げる。人々が競争に熱中している限り、金融資本は安泰だ。
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もはや資本主義が歴史を前進させる時代は終わった。19世紀の国民国家は内部から腐敗し、時代を作り出した産業資本はそれ自身の論理的帰結として金融資本の軍門に下った。何かを作り出そうとする時代が終り、過去の遺産を取り崩すだけの時代になったのだ。
パーティーは終わった。待っているのは後片付けだ。しかし、酔っ払って前後不覚の御仁は役立たずだし、まだ飲み足りない連中は二次会三次会と乱痴気騒ぎを続けるつもりだ。ご馳走にありつけなかった連中も、残り物をめぐって大騒ぎだ。原始社会というものは、こうして発生するのだろう。文明のなれの果てだ。
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世間には目ざとい連中が居る。文明の終焉を察知して一儲け企む連中も出てくるわけだ。人類救済を掲げる預言者達が輩出する。死を実行するのではなく単に語る者達も同類だ。世も末とはこの事だろう。
軍事か経済か、日本の支配層を二分する選択---政官財の全てを巻き込む対立の構図
投稿者 下山事件 日時 2006 年 7 月 02 日 14:43:01:
軍産複合体の忠実な執事となるか、国際金融資本の代理人となるか。日本の支配層を悩ませる選択が突きつけられている。例によって模様眺めを決め込む多数の前で、両派の格闘が続いている。どちらが勝利するにしても、世界的な抗争の結果次第ではあろうが。
軍産複合体の勝利が日本にもたらすものは明らかだ。アメリカによる日本軍事支配体制の完成と巨額の財政負担、公への奉仕と重税、強権的秩序維持だ。
ならば、国際金融資本の勝利を期待すべきだろうか。確かに、勝ち組み諸君にとってはそうだろう。経済中心の体制こそ戦後日本の基本路線だったのだから、グローバル化への適応によって生き残りを図る方が現実的だ。
問題は、負け組み連中をどう納得させるかだ。小泉に一票を投じた不満分子たちをどう誤魔化すか。一つの方法として、一旦彼等を奈落の底へ突き落とし、改めて救世主顔をして救い出してやるというのがある。一度地獄を見せてやれば、わずかな取り分でも納得しようというものだ。
いつもながら国際金融資本の遣り口は手が込んでいる。それに較べれば、軍産複合体は単細胞だ。但し、彼等は兵器と石油を握っており、おまけに頭が狂っている。泣く児と地頭には勝てぬという昔のことわざを思い出す。