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(回答先: 差別問題として考えずにある物を別の物事の形容に使う時に起き得る主観問題として捉え直してみてください 投稿者 heart 日時 2006 年 7 月 14 日 00:15:04)
精神病患者は一生精神病患者であるとは限りません。
直る事もあるのです。
精神病をわずらっている間は社会生活が困難になったりします。
北朝鮮も他国との付き合いが中々できにくいよな内部論理を抱えている為に苦境に陥っているのです。
これは可哀想な事なのです。
病人を看病するように私達は北朝鮮と付き合わなくてはなりません。
この事が言いたい事なのです。
決して「キチガイは殺さないと我々にとって危険だ。」となってはならないと言っているのです。
犬についていえば私は犬が人間に媚びる態度を見て嫌悪感を覚えます。
あの奴隷的な振る舞いに嫌悪感を覚えるのです。
情けない存在です。
小泉がブッシュに尻尾を振る様子は犬を見る時のような嫌悪感を覚えます。
犬好きの貴方にとってはこういう見方は怒りを誘うものでしょう。
「あんなに可愛い犬を嫌悪するなんて。」と。
しかし、正にその「犬に対して絶対的優位に立った人間が犬を可愛がる様子」がたまらなく嫌いです。
支配者の愉悦に浸っているように見えるのです。
ああ、厭らしい。
自分の主観(犬好きであるとか)を客観視せずに趣味を人に押し付ける人の傲慢さには辟易します。
犬は奴隷的態度の形容詞に使われるような情けない存在です。
私は嫌いです。
しかし、犬好きの人を責めようとは思いません。
支配欲を満足させる為に犬を可愛がる人を責める気にもなりません。
既に充分責めているかも知れませんが。