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(回答先: 政府の有識者というのは馬鹿の集まりか? 投稿者 考察者K 日時 2006 年 5 月 14 日 11:15:38)
あなたは確か公務員オービーか、身内にそれがいる方でしたか
お年を召した方で私の知り合いにもそうした意見の方が大勢居ますが、
皆あなたと同じオービーであり同じような感覚ですな
悪いとは言いません
でも90 80の方々と比べても
あなた自身は非常にお若くていらっしゃる
まだ二十、三十、そこらの若さがにじみ出ておいでです
いやあ 羨ましい
さて
人が、自分が、いかにバカかなどいくら言及しても意味がない
その行為自体が既にバカげている
それは行為としては愚痴にあたる
愚痴はそのひとことを抑えるべきもの
でないと堰を切ったように溢れかえしてみっともない
「みっともない部類」に入るのは恥であろう?
まず「バカ?」ではなく、「逃れさえすれば罪は無いのか?」、というその問題意識の低さについて論じてやるべき
彼らの為に
しいては我々の為に
公務員の人間性のレベルは全体的に程度が低い
それは誰もが怒りを持って実感していることだ
しかし都度怒りを持つ前に考えることがあるだろう
私はそのことに立つ腹もないが、されどテレビで流れるままを聞き、
メディアともどもを大あくびであきれ返るたびに
その陰にある、官公にはない「民の力」をそこに見る
近頃騒がした「大阪飛鳥会」にまつわる大阪府職員の「ていたらく」が、このたび市民の類稀なる監視能力によって暴露されたばかりだが
貴兄はご存知だろうか
どうにも公務員というのは常に呆れるレベルで取りざたされる
公務に於ける天下り、事後報告、賄賂、窃盗、公金横領に流用
この「ていたらくぶり」を押しのけ、開き直りつづける力の源は一体どこにあるのか?
我々の血税が見事なまでに無駄金として捨てられている
そこに我々「民」と「公」の「意識レベルの差」がみてとれる
けして「すれ違い」などではない
公務における彼らの落ちぶれた人間性の見せる「意識の低さ」である
ならばそのこと どうすればいいのか
「民による公の為の監査部署」を作ればいい
「公は民為にある」のならば「民は公為にある」
議題なり法案なりは常にそこを通らせ、国民の意思を総て決める
それをして「歴史的改革」と呼べるのだ
このままずるずる諦めて
我々も腐った官僚どもと同じ腐敗の道を辿るのもいいだろうが
それに我慢できる精神を持ち合わせていないというのならば
どんな陳腐な発想をも大事にせねばならぬ
「市民の目」による役所、政治の監査を行うには
まずその制度決めから始めなければならない
どうした条件下に於いても、市民の声を第一義とする制度とせねばならない
そんな現実にはまるで夢のような制度を作るには
まず民間から声を大きくし、
「公務員の失態」「役場の失態」「意識レベルの低さ」を問題と挙げ、
「それらを根拠に」運動を起こすか、
もしくは、
それを作り上げる人間を
政治の場、役場に送り込む
そのどちらもすべき
事は単純
官公庁の「この体たらく」を黙って見過ごしてはいけない
という、そこにやるべき意義を見出し進むのみ
そこに民が主として動くべきとする根拠がある
国を変えるには村、町から初めよ
それで十分
市民が市民の中から選出した「雇われ職員」「雇われ議員」「雇われ大臣」を登用するもよい
あくまでその職員の発言は一人の口から放たれるが、
「その口」からは市民一人一人の声として際立って叫ばれる
普通の議員と違うところは
そのひとりの口と体は、市民全体が支え、管理し、守る
ところにある
それを公約と掲げる人間は市民の手で作るのもいい
その人間を市民全体で送り出す
その「雇われ議員」はあくまでも民間監査の代表という立場であり、それを念頭に発言されるべき
「公即ち民の立場」を弁えることの出来る人間を指導出来るのはもちろん先輩議員など腐敗の系図にない、民である
「せんせい」などと呼ばれ、にやつかず、眉をひそめる人間が選ばれる
そこから変えよ
監査は、その代表者である「監査による雇われ職員」を通じて直に政治の場へ発言できるようになる
一人を多数の頭脳が支える
モデルとしてひとり知名度があがれば
続々と同じ事を全区でやる目途が立つ
市民は老若男女、富貧境無く、直の意見をぶつけ理想の町を夢見続けられる
優秀な意見も直にまとめ実現するには誰かが表舞台に立たねばならぬ
もうひとつ腐った国会と別に、議員なりを模倣した、農村などから志在る者が、独自に議会を開き、やがて町同士で意見を交換し合い、さらには都道府県総ての志ある若者が集う大きなイベントとして、いずれ国を巻き込む民レベルの「擬似国会」を開くという、実現するには面白そうな案もあるにはある
具体的には、少なからずどの世代も理想を持つ、住む町における不満や、思いつく限りの改善点などを、他県と寄り合い、意見交換するくらいのものから始める
それはネットでも出来る
そうした活動を大きく展開していく
土地管理の場を小規模商業地の発展の為に利用する方法案を出し合ったり、他県のアイデアを出し合ってもいい、A県の資本がB県を救うこともあるだろう
文化財や地元メディアの実質的な「大企業の占有」を批難したりもできるだろう
続けられることを考えることが肝心
よって事は単純に
やれることを実行すればいいだけのこと
頭に無い物 なに実行出来るはずが無い
後手後手に回ることで泣きを見続けるのは
そろそろコレくらいでやめればよい
それには何を考えてもよい
陳腐でも大胆なアイデアを寄せ集め
その中から何を選び何を改良していくか
子供の疑問もすばらしいひらめきの宝庫
年老いた年金暮らしの方々もその日ごろの知恵を大きく発表できる場をつくるのだ
賢い方々は何を考え何を始める?
やれることをやり続けられるのは
それは素晴らしい力だが、
いつまでその力の源を「怒り」などとしていられるという?