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(回答先: 最初から勉強のやり直しを致します 投稿者 縄文ビト 日時 2006 年 4 月 07 日 11:05:14)
横レス失礼します。
興味深いやりとりだったのですが、仕事が忙しく、ゆっくり考える時間がなかなか取れませんでした。
いまもそう変わりはないのですが、興味のある議論なので少しだけ書かせていただきます。
問題は、労働とは何か、ですね。
マルクスは、労働が(も)資本に転化されるのが、資本主義世界である、と予見(警鐘)していたように思えます。
労働が資本に転化される世界とは、労働者もミニ(マクロ)資本家になる世界です。
そこには一方向的な搾取ではなく、双方向的な、しかし非対称な搾取し搾取され続ける世界が開けています。
ホリエモンに多くの労働者が盲目的に喝采を送ったのは、自分の中にもミニ(マクロ)な資本家の心が宿っているからでしょう。
そして、こうした無限に循環する労働者と資本家の入れ子構造を、構造論的に支えているのが貨幣であるような気がします。
こうした資本主義社会では、誰も、資本家であろうと(官僚はよくはわかりませんが)誰も幸せになれない、というのが『経哲手稿』の冒頭で懇切に説明されています。
こうした愚行の輪をどこで断ち切るのか。
ひとつの試み(可能性)の一つとして、貨幣の呪縛を断ち切ることがあるように思えます。
マルクスの考えたアソシエーションも、そうした貨幣の呪縛を断ち切る別のシステムの提案でしょう。
ただ、この新しいシステムはなかなかうまく作動しない。
貨幣の代替システムになってはダメなので、貨幣に変わる自律的なシステムとして、作動しなければならない。
本当にそんなことは可能なのか、ぼちぼちと考えているところです。