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(回答先: ぼけ仙人さんは政教一致の社会を自身で創ろうと考えているのでは 投稿者 縄文ビト 日時 2006 年 3 月 30 日 13:16:12)
遅うなってしまって申し訳ないがのう、ワシはコンクリートジャングルでの修行の身じゃから昼間は時間がないんじゃて。
基本的に論議をしようとは思うておらんが、お訊ねにはお応えしないかんのじゃろうな。
恐らく、政教の概念について、縄文ビトさんとは異なると思うのできっと噛み合わんと思うが、ワシなりに語ればじゃ、まず、根本的に分離しようがしまいがどっちでも良いと思っておるぞ。それに、「政教」を個人の心に置き換えてみれば、目指す意識方向(心のあり方)と、そこへ至ろうとする行動のあり方のように思うんじゃて、それ故、分離することが実際できるんじゃろうかとする気持ちが湧き起こるんじゃがのう。どうじゃろか。
好まん思想の奴らが徒党を組んで、我がもの顔に人を支配しようとする傾向が強ようある現実じゃが、そこにはそうなる背景があるからのう、それも正面から受け止めんといかんのじゃないかのう。
この世は様々なレベル、さまざまな意識方向があるによって摩擦が起き、摩擦が霊的成長を育みもするでな。その意味でじゃ、まず目指す意識方向が、まったく逆向いておる人間が多くなりすぎとるでな。一言申す意味で投稿したんじゃて。一人一人の霊性が向上せんことには素敵な世の中から遠ざかるばかりじゃからのう。とは言え「お前の話しなど参考にならんぞ」と言う人を○○学会風に折伏させようなどとはこれっぽちもないでな。
参考になる人がおったらワシも幸いじゃて。
また、社会を作るなんぞは神の仕事。我々一人一人は己の魂の向上に向かって日々精進することで良いと思っとるぞ。まあ、その延長上線に、千年王国や松の世、弥勒の世とか水晶世界などと呼ばれる世界があるかもしれんけどな。惟神霊倍幸坐せ(かんながら たまち はえませ)じゃ。
宗教とは本来、人が魂の向上を図るための道しるべであり、魂を向上をするためには人に感謝されたり、人の幸せのために労苦を行うことが根本じゃし、大体、万教同根(王仁三郎の受け売りじゃないぞ)じゃからのう。
世界中に溢れた宗教団体のほとんどは、宗教を学んどらん団体じゃわな。
キリスト教、イスラム教、仏教にしても正しく創始者の教えを実行しとるかのう。逆をやっとるような連中の団体を宗教団体と認識し、その団体の行為を宗教的行為と見とること自体が、世も末じゃて。見事に邪神にやられとるわなあ、気の毒に。
狂った時代は、それに相応しく狂った連中がトップに多くなるでな。まともな人は住み辛い世の中じゃて。