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このような問題では徹底的に議論してもいいと考えています。そこからこれまでの社会とは違った社会の糸口がつかめます。
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投稿者 縄文ビト 日時 2006 年 3 月 28 日 08:42:54: egUyw5BLxswRI
 

(回答先: 己の中にあって、己ならざるもの 投稿者 haru 日時 2006 年 3 月 27 日 20:17:10)

>縄文ビトさん、初めまして。
Haruさんこちらこそ、私もはじめて書き込みを入れさせていただきます。

>興味のある話題だったので、思いつく範囲でのレスをお許しください。

>薄学のため、稚拙ではありますが、、、

いえいえとんでもありません。私もある人から凡人といわれていますし、私もそれを認めていますので。
>己の中にあって、己ならざるもの、それが魂なのではないでしょうか?
私が思いますには魂というものは現在のその人の死後の、その人自身でなくてはならないということだといいえます。己ざるものというのではなく己でなくてはならないということだと考えます。

>>私は霊なるものを一切信じません。
なぜなら生命というものを考えた時、小さな生命体としてのウイルスと人間との違いは何なのかということです。例えば鳥インフルエンザウイルスも一つの生命体です、地球上には無限に近い形で生命体が発生しております。生命体というのは各々が生きている存在者です、それら全てに「我」があります。みな生きるためにこの地上で戦っているわけです。それら小さな生き物と人間との違いは何なのでしょうか。

>>簡単ですがこの問いに答えられますか。

>>私はこれらの生命体と人間は同一存在者だと考えています。

>>例えば我々の体の中にいる細菌も生命体です。また我々の皮膚の一部も適正環境であればいつまでもそれ自体が生き続けます。

>>それ等が生命体というものであり、人間はその生命体(細胞)の集合体です。

>>それ等生命体と人間との違いを話してください。
と前のレスで書かれていますが、

>我は、自分を信じて、毎日を生きています。

ただ、自分の中にある様々な器官は、自分の意に反する動きを時としてします。
それは人間の体が細胞体の集合であり、進化の結果として現在の自分を形成している、そこで自分(私)とは何かということになります。それが「我思うゆえに我ありと」いうことだといえます。私が存在しているということの各章は唯一疑うことの出来ない自分を思惟すること、つまり手は自分のものであり、足も自分のものである、体も、顔も、目も自分のものである。それらは単に自分に付随しているだけのものであり、自分自身ではない。知識はどうなのか、それも他人から頂いた者であり、自分が検証し理解したものではない、その知識の上に載った体験を通した認識、それも知識が自分のものでは無かった以上それらの認識も完全なものとはいえない。難しく書きましたが、その気付きを経て哲学が始まりだします。

もう一つ、小さな生命体にも己があります。例えばミクロのウイルスにしても己を持っているということです。人間に害を及ぼす鳥インフルエンザ・ウイルスにしても彼なりにこの地上に生を受け一生懸命生きています。まずそのウイルス自身の自分が現在置かれている環境を理解する力をもっているということです、そしてその環境を理解したうえでいかに生きるべきかという判断を行っているのです。彼等は我々と同じ大気を呼吸し、栄養素を取り込む装置も持っています。その栄養素を彼自身生きるために全身に送る装置も持っています。

つまりどんな生物、相手がミクロであり、巨大であるなしにかかかわらず全て生殖器官を除いては人間と同じ構造をしているのではないでしょうか。人間においては進化の過程で細胞が心臓なら心臓、理解し判断する力であれば脳という組織になってきただけのものであるわけです。

>我々は、自己という存在を意識する事は出来ますが、
自分自身すら満足にコントロールできず、また、知る事も
用意には出来ないでいます。

>この世の物質全てが、もし、意志を持って存在していたとしたら、、、

これは生物だけの世界だと考えます、好物には単なる物でしかないといえます。

>魂、前世、、、
は至る所に存在しているのではないでしょうか?

魂はその人の死後に存在するものか、または存在は考えられないというものであるかの両者でしかないものと考えます。

前世は、自分が前の社会でも生きていたというつくり話だと思っています。
私のところにオーム真理教のB5で作られた経典(雑誌)が何冊かあります、南青山の本部にあったものを出かけて行き貰ってきたものです。そのとき交差点をはさんだ向かいの道路に公安警察が張りこんでいたのを帰るとき気がつきました。なぜならそこにいた信者と私が話していたのを不信に思ってか、恰幅のいい私服の刑事が、私がその信者に何か渡したのではないかと寄ってきたからです。

>不勉強で申し訳ありません。
失礼いたしました。

とんでもありません、こちらこそ有難うございました。

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