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哲学者たちが、”我”を、さまざまに、論じている。
しかし、Hume が、”我”については、語り尽くしたと、考えている哲学者も、多くいる。
Hume は、言う。
経験のシーケンス、それらの集大成、そして、経験する体、これら以外に、”我”は、無い。どこを見ても、どこを突っついても、”我”と問われて、これら以外を言うことはできない。であれば、”我”は、経験する体と、経験の集大成、ということになる。
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かくして、哲学での、”我”論は、終わっている、という人々は、圧倒的に多い。そして、科学が、”我”を、扱う時である、と行動している。たとえば、Toward a science of consciousness という集いが催されている。あるいは、大脳生理理学と、量子物理の研究者が、大脳の働きを解明しようと試みを始めている。(残念ながら、日本の知識人は、突っ込みが足りなさ過ぎる。怠慢すぎる。)