★阿修羅♪ > 議論23 > 159.html
 ★阿修羅♪
科学を論じると言いいながら、哲学を論じるあいまいさ <-- 区分けをしなくては
http://www.asyura2.com/0601/dispute23/msg/159.html
投稿者 健奘 日時 2006 年 3 月 26 日 12:45:24: xbDm84QDmOFmc
 

科学が、”個”を扱うとしたら、それを、観察する事から始めます。もちろん、どのような観測方法があり、どのような観察から、個を体系づけるか、という課題は、あります。

一方で、哲学が、”個”、”物”、”我”、”事実”、”因果関係”などなどを、論じる立場があります。

しかも、観察が、いまだに不充分な場合、哲学は、その場合における科学を行うための、方法論を、論じる事ができます。

どちらの立場で議論するか、区分けする努力が必要でしょう。

科学で、”個”を扱うときは、連続性が観察できる事に行きつきます。結果、電子レベルになると、”個”を扱えなくなります。ひとつひとつの電子の挙動を、連続しては、観察できないからです。電子が、いまここにあったとして、次の瞬間、どこにあるかは言えないのです。確率分布的には、言えます。一方、大量(10の20乗個というような数)の電子あるいは光子をのまとまった挙動は、連続の中で、扱えます。結果、ひとつのみかんを、扱う事ができます。

科学で、人の挙動を扱うとすれば、やはり、連続して得られるセンサー値を元に、組み立てます。そして、その人の、過去の観察から、将来の挙動を予測するわけです。

”我”を、科学が扱う場合でも、一人一人から得られる観測値を集大成し、その”我”が、次に、何をどのようにするか(その人が、どう振る舞うか)を、言う事になります。

哲学が、”我”を扱うとすれば、いまだ、科学が語らない −− つまり、予測できない −− ”我”を、語ることになるでしょう。予測できないから、哲学が語る”我”論を、評価する方法、そして、”我”論の評価点も出せないでしょう。人気がある、という評価はできますが。

 次へ  前へ

  拍手はせず、拍手一覧を見る

▲このページのTOPへ HOME > 議論23掲示板


  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。