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(回答先: 宗教はまだ疑問の中なのでしょうか? 投稿者 縄文ビト 日時 2006 年 3 月 23 日 15:57:04)
縄文ビトさん、こんにちは、横レスにて失礼します。
先ず、「大般涅槃経」の中心理念に「一切衆生悉有仏性」(一切の衆生はことごとく仏性を有する)があるのは周知の如くでありましょう。さらに、「法華経」は二乗(声聞・縁覚)に関係なく、すなわち皆が一乗として一切の衆生に隔たり無く仏性が内在し、それを顕現化することによって今生で成仏する方法を説いたもので、日本において宗祖となる日蓮はその代表的な実践者(体現者)であったと云うことができるかも知れません。
私には創価学会を擁護する考えが全くないことはこれまでの私の論調からも推察していただけると想います。無論、殆んどが剽窃で構成されている名誉会長池田大作の言説については全く評価してはいません。それよりも私は彼やそのブレーンによる錬金術や策謀の数々とそれに踊らされ操作されている膨大な数の人達が存在することを問題視しています。
また一方で、前述しましたように、「法華経」が有するベクトルは其々の時代がもつ制約(限界性)を受けながらも或る種の運動理論(政治論)としては人々の広汎な支持を得る可能性を包蔵していると考えています。しかしながら、創価学会が国立戒壇の建立を究極のゴールとしているのか否か本心を開示していない現状では「立正安国」の世界観は見えて来ませんし、その限りにおいて学会は上層部に位置する者達を利するための錬金装置でしかあり得ません。政教分離云々どころか今までに培ってきた錬金術を阻害するとみれば理念の追求でさえも即座に捨て去ってしまうというのが池田創価学会の本性ではないでしょうか。
それから、創価学会の人にあの世のことやそこでの個別的生があるかどうかを尋ねてみても詮無きことのように想います。何故ならそもそも釈尊の教えは頗る現世に限局されたものですし、学会の宗旨にもこの世での成仏が説かれている訳ですから、それを信じている人達に来世を問うてみてもまともな回答が返って来るだろうと期待できるはずがありません。これは自身の学生時代のことや青年部の連中がオブザーブしていた座談会で対論したときの落胆にも近い感慨でもあります。
また、会いましょう。