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ロボットも、自分の周りのことを、認識することが、どうやら、できそうです。
認識して得る、周りの事象に、共通することは、感覚器官(センサー)に入るもの、見える、聞こえる、触れる、は、通常、継続する、ということです。
卵が落ちて、壊れる。壊れた卵を、集めて、ゴミ箱に入れる。見えなく、触れなく、なる。しかし、ゴミ箱を開けると、そこにある。あるいは、卵を焼いて食べる。腹に入った感がする。などなど、すべての事象は、ほとんど、継続します。あるセンサーにかかったことは、なにかをすれば(塩が水に溶ければ、溶けたなりに、水を蒸発させれば、湿気として取れるように)、また、センサーにかかります。
すると、ロボットは、センサーから入ることは、どのようになれ、なんらかのセンサーに引っかかるものだ、さらに、センサーに引っかからなければ、なんらかの手順をふめば(ゴミ箱を開けるように)、自分のセンサーにかかるようになる、ということを獲得します。
そして、ロボットは、”人は、現れれば、継続する”、ということも、獲得します。人は、燃やしても、なんらかの手順をふめば、見えるか、聞こえるか、触れることができるかする、ということを、獲得します。
ロボットは、かくして、人が動かなくなって、それを燃やしても、自分が、なにかをすれば、その人を、自分のセンサーが感知するようになる、ということを、自分のプログラムに、作っています。
周りの世界を認識するようになって、1番の基本に得ていることは、”在る物は、在りつづける”ということです。ロボットの目の前に在る物は、何をしても、なんらかの形で、在りつづけます。