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(回答先: 他者の労働の私有化、ここが問題です。前々から、貴殿の視点には、一目置いておりました。私も、創価学会は嫌いです。 投稿者 乃依 日時 2006 年 3 月 17 日 10:05:30)
乃依さん一目置いていただき有難うございました。ただそれほど偉い人間では有りません。そこらにざらにいる一人の人間です。
他者の労働の私有化とは、我々の祖先、例えば縄文時代をあげてみますと、その時代は親族社会だといわれています。親族社会とは家族関係の延長線上にある社会だといえます。
そこから現在でも家族関係を考えたとき、親が子を育てるという行為、そこには子供を利用しようとして子を育てる親はいないはずです。そして子を利用とする行為とは子供の労働力を目的とするわけです。つまり簡単に言いますと子供の労働を目的として子を産み育てる親はいないということです。当然おじさんおばさんといえども同じ考えかただといえます。
そして日本の縄文時代は無階級・無階層の時代だったと考古学的には当たり前になっております。つまり縄文時代は「他者の労働の私有化」が無かった時代でした。
この時代は食物を貯蔵するのに地面にフラスコ状の穴を掘りそこに栗・どんぐり・椎の実等の秋の収穫物を蓄えていました。
弥生時代になると地面から穴が消え皆さんご存知の高床式建物にとって代わり、そこに穀物を蓄えるようになりました。
私が考えるには収穫物を蓄えるため地面に穴を掘っていたというのは誰でもが自由にその収穫物を食べることが許されていた。つまり全体の労働で得たものは全体で消費するものであるという概念が形成されていたためと考えます。
そして弥生時代の高床式建物は住民のそれまであった考え方を修正したいがため、つまり全体の労働で得たものは全体の意志で消費するのではなく、一部の人間の私有物になっていたということです。そこには他者の労働の私有化がこの日本の弥生時代から始まってきたということになります。
当然弥生時代には収穫物は米ということになりますが、日本においての農耕(植物栽培)の始まりです。
では縄文時代には農耕(植物栽培)は無かったかというと・三内丸山の遺跡では栗の栽培が行われていたといわれています。そこから考えられることは栽培植物の知識はあったが、全体の意志で植物栽培(農耕)には向わなかった。自然から与えられたものを大事にしたいという考え方があり、自然を変えてまで、現代流に言えば自然破壊をしてまで生きようという考え方にはならなかったということになります。それだけ海に囲まれた日本列島は自然界の恵みである食物には不自由しなかったのではないでしょうか。
この日本において「他者の労働の私有化」が始まったのは大陸からの渡来人が農耕「米作」と一緒に持ち込んだ弥生時代からです。そして他者の労働の私有化が許されているという考え方が王権神授説となります。現在の天皇制も王権神授説です。
宗教が政治と結びついたとき、人間は自由を奪われてしまいます。
もう一つ「嘘も方便」という言葉があります、宗教家は方便として嘘を平気でつくということになります。だからその人が宗教的な考え方であった時嘘をついているという考え方になってしまいます。
そのことから私の「創価学会の方、答えてください」という書き込みをいつでもこの論議23において、答えが返ってくるまでトップに書き込ませていただきます。
乃依さんも創価学会が嫌いでしたら答えを促すように誘ってください。