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哲学ではともすれば次元が違う段階で問題を論じている場合が有ります。
それは能力によって違いが出てしまうかと思いますが、人の書いた物に反論するのは易しいことです。
ただイメージできた段階からその先を考えてくださると議論がしやすいです。
神がいたとしても空間と時間が無いという状態をどのように考えるのかということになります。空間が無い状態とはそこに物質を埋めるしか方法が無いのです。
つまりどのようにしても空間ははじめから有ったというのではなく、元から有ったということになります。当然時間も同じです。そのように考えたとき物質の元となるものと生命の元となるものも、既に存在をしていたということになります。
それから大事なことは、生命論を採ったとき個別性という問題が重要になります。
つまり私の死後、私として存在しなくてはならないということです。私の死後他人として存在したのでは何の意味も有りません。ではどのようにして私の死後、私として存在できるのかという論理を組み立てることが出来るのかということになります。
この議論23において宗教議論が出来るのを大変ありがたく思っております。
もしこの問いに、つまり人間の死後、個別性ある者として存在できるのかという重大な問題に答えられないようでしたら、宗教の意味を無くします。
そして人間はこの世だけの存在者として受け止めたとき、次は生あるものとして生まれてきた以上、どのようなことをしても生きなければならないし、生かさなくてはならないと言う答えに行き着きます。
個別性をどのように導きだしますか?
創価学会の方にお尋ねいたします。