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科学が扱う範囲は、AさんとBさんが、ほぼ同じ環境で、Aさんがやっても、Bさんが行っても、ほぼ同じように、繰り返し(継続させること)ができることでしょう。ここで、環境とか、行いとか、行いの観測とか、それらは、いわゆる常識とします。
繰り返しがわかることで、Aさんは、太陽は、また、出てくると予測します。同じく、Bさんも、太陽は出てくると予測します。(ここで、太陽が何を指しているかなどは、いわゆる常識と言う事にします。)
大雑把に言えば、科学は、何が、どのように繰り返す(どう継続する)か、それをまとめることです。結果、科学が対象とする動きを、予測できます。経済学は、かなり大雑把には、たとえば、流通する通貨の量、おおよその金利が、どの程度になるか、言うことができます。通貨の量、金利は、いままでの観測で、おおよその範囲で、繰り返すことが分かっているからです。
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科学の範囲は、大雑把に言えば、そこまでです。なぜ、という質問には、あるところからは、決して、科学は扱えません。
そもそも、なぜ、対象は、繰り返すように作られているのか?たとえば、巨大分子の多数の電子が、他の巨大分子の電子と相互作用することで、巨大分子同士が結合すると、科学は、言います。しかし、なぜ、電子は、そう作られているかは、分かりません。そう振舞うように、作られていることは、分かりますが。
さらに、そもそも、宇宙は、なぜ在るか、科学の範囲を超える質問となります。なぜ在るかは、宇宙が、どう振る舞っているかとは、異なる問いかけだからです。