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□秋谷会長急に辞めた訳 [AERA]
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20061120-01-0101.html
2006年11月20日
秋谷会長急に辞めた訳
創価学会のナンバー2、秋谷会長が突然、退任した。
池田名誉会長を支えて25年。大番頭の「退陣」で学会はどこへ向かう?
秋谷栄之助会長(76)が退任、最高指導会議議長に――。一報が駆けめぐった11月9日午後、複数の創価学会関係者から、異口同音にこんなため息が漏れた。
「ずっと前から退任だ、解任だと言われ続けた人事。あまりに遅すぎたと言わざるをえませんね」
会員たちがこんな感想をいだくのも無理ないかもしれない。新会長に就いた原田稔氏(65)も新理事長になった正木正明氏(52)も、会員からすれば、そんなに新鮮味のない名前だったからだ。
ある学会関係者は、こう話す。
「実務に強く、与野党の政治家とも気脈を通じた秋谷さんに代わる人材が見つからなかったわけです。それに、有力な人材が早世したりもした。代えるに代えられなかったんでしょう」
代えるに代えられず?
確かに秋谷氏の能吏ぶりは、ずば抜けていた。早大卒業後、聖教新聞の編集主幹などを経験し、政官財との人脈を築き、選挙区での票の動かし方、人の配置などをてきぱきと指示していく手腕は、秋谷氏の右に出る者はないとまで言われていた。先の関係者が言う。
「原田さんも有能な人だが、一枚では弱々しい。政官財に知り合いが多い正木さんを添えたトロイカ体制ということなんでしょうね」 公称827万世帯。日本最強の教団を仕切ることになった原田、正木両氏は、どんな人物なのか。
別の学会関係者が語る。
「原田さんは『第一庶務』出身のエリート。事務総長も経験したし、秋谷さん同様、実務能力の高さが昔から評価されていました」
原田氏は学会の王道を歩んできた。東京出身で12歳の時に入信。東大時代から池田大作名誉会長(78)に直接指導を受けたといわれ、大学卒業後は池田氏の秘書業務を担う第一庶務の仕事に就いた。
その後、幹部の登竜門である青年部長を経験。庶務室長を経て、学会の人事、カネの実務を握る本部事務局事務総長に就任、2001年から副理事長を務めた。
「特に原田会長誕生が秒読みと騒がれたのが、名誉会長の会長在職期間(18年11カ月)を秋谷さんが超えそうになった2000年ごろ。体調などの問題もあって実現しなかったようだ」(同)
脇を固める正木理事長は、教団内で伸長著しい創価大学グループのリーダーで、同大の同窓会組織「創友会」の委員長を務めている。かつて池田氏の次男城久氏(29歳で急死)を支える学友グループの一員として頭角を現した。
これまで男子部長、青年部長、壮年部長、総東京長などを歴任。ここ数年は原田氏を飛びこえて一気に会長就任か、とも囁かれた。
来年まで頑張るはずが
いつ誕生してもおかしくはなかった布陣だが、なぜ今なのか。というのも、秋谷会長の6期目がスタートしたのは今年7月。「任期途中での退任は織り込み済みだった」(学会関係者)にしても、任期の5年をほとんど残してのバトンタッチは疑問点が多すぎる。学会広報室は、1年齢からくる体力的な衰え、2在任が長期にわたった、3人材が育ってきたと説明している。しかし、公明党関係者は、
「来年の統一地方選や参院選までは会長職で頑張れという話になっていた。一つには原田さんに移管できる準備が整ったのかも。もう一つは、思いのほか体調がしんどくて、選挙を乗り切れるかどうか不安をもったのかもしれない」
と首を傾げる。謎は深まるばかりだが、創価学会の求心力が池田氏の他にありえないことも事実だ。
「退任を事前には知らなかったけど、影響ないよ。うちは名誉会長が代わるんじゃなければ何も変わらないもん」(別の党関係者)
池田氏は近年、教団の将来を意識したスピーチを繰り返すようになった。10月28日付の聖教新聞にもこうあった。
「本当の学会精神は、牧口先生、戸田先生、そして私の中にある。三代の会長に脈々と流れている。これからの学会を担っていく皆さん方は、この『三代の精神』を断じて守り抜いていっていただきたいのだ」
02年の会則改正で「三代会長」を「永遠の指導者」と定めた創価学会。25年ぶりの人事をめぐり、理由探しに忙しい世間の右往左往ぶりも、三代会長のみを慕う会員にとっては関心の薄い人事にすぎないのだろうか。
編集部 藤生 明、秋山訓子