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>>永いあいだ束縛の中で生きていると、やっと自由を得た時に、もう何の指図も受けたくないという気持になります。そしてこう言います――“もう指図を受けるのはご免です。疑問と迷いの年月でした。それを振り捨てた今、私はもう宗教と名のつくものとは一切関わりたくありません”と。
足枷から解き放たれて迷いが覚めるとともに、激しい反動が起きることもあります。そこで、わたしは、このわたしという一個人、ただの使いの者(メッセンジャー)にすぎない者に過度の関心を寄せられるのを好ましく思っていないのです。わたしはメッセージそのものに全てをかけております。地上の人間はあまりに永いあいだ教えを説く人物に関心を寄せすぎ、超人的地位に祭り上げて、肝心の教えそのものをなおざりにしてきました。
わたしたちはもう、そんな、しょせん人間にすぎない者を超人的地位に祭り上げることはいたしません。真理と知識と叡智をお届けするだけです。このわたしが地上で傑出した人物だったか、それとも哀れな乞食であったか、そんなことはどうでもいいことです。わたしの述べていることに真理の刻印が押されていれば、それでよろしい。名前や権威や聖典に訴えようとは思いません。訴えるのは、あなた方の理性だけです。
人間の知性に矛盾を感じさせるようなことは、何一つ要求いたしません。人間としての道義に反すること、尊厳にかかわること、屈辱感を覚えさせるようなこと、人類を軽蔑するようなことは決して説きません。わたしたちは全人類の意識を高め、地上における一生命形態としての位置、宇宙における位置、創造神とのつながり、一つの家族としての地上人類どうしの同胞関係を正しく理解する上で必要な、霊的真理を明かそうとしているのです。
これまでのように、何かというと聖典の文句を引用したり、宗教的指導者の名前を持ち出したり、宗教的権威をふりかざしたりすることはいたしません。わたしたちは、大霊から授かっている理性を唯一の拠り所として、それに訴えかけます。ただ単にバイブルに書いてあるからというだけの理由で押しつけるような方法は取りません。理性が反発を覚えたら拒否なさって結構です。ただ、よく吟味してくだされば、わたしたちの説くところが、霊的存在として最高にして最善の本能に訴えていること、その目標が、間違った古い考えを洗い落とし、代わって、あとできっと有り難く思ってもらえるはずの大切な真理をお教えすることであることが、おわかりいただけるものと確信します。宗教は真理を基盤とすべきであり、理性の猛攻に抗し切れないようなものは、すべて廃棄すべきです。
わたしたちが霊的真理を説くとき、それは霊的世界の摂理に関わることとしてのみ説いているのではありません。物的世界にも関わるものなのです。わたしたちから見れば物的世界も大霊の創造された宇宙の一側面であり、それを無視して、つまり絶望の淵に沈む人類の苦しみに無関心でいては“宗教的”では有り得ません。そういう人類のために援助の手を差しのべる人はすべて偉大な霊であると言えます。真理を普及することのみが、人のための仕事ではありません。ほかにもいろいろあります。>>
http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/tourai/tourai-2s.html