★阿修羅♪ > カルト3 > 434.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
ところで、創価学会などは、個人的には霊感、魔感を有する霊能力者の教祖は存在しませんが、これは集団で、「南無妙法蓮華経」と唱えて、畜生死霊魂と交流し操作し、感応道交して行くものでしょう。「南無妙法蓮華経」は崇高な理念でありますが、彼らの唱える読経は、利欲、欲望、願望などの実現達成の手段として、正に現世御利益の対象として、魔との交流を目指すもので、それなりの欲望の実現には効果的であることは確かです。しかし、最後には魔の祟りを受けて、地獄へ転落し直行していく極めて危険な反社会的で悪魔的行為と言えるでしょう。
実に、カルトとは何も宗教そのものにあるのではなく、魔の畜生死霊魂との付着をもたらす現世御利益追求や霊力崇拝の邪宗・邪教にこそあるものであり、結果的には、排他独善狂信的に陥って行きやすく、精神的に異常、狂気、盲目に成り下がっていくものです。一見まともに見えても、根底にそのような魔力を行使した教祖を崇拝している状況では、知らずの内に感染し、頑固、頑迷、固陋、狂気、排他、独善の誤り偏った心魂を形成し醸成して行くようです。むしろそういう教祖がいるならば、逆に慈愛の念を持って、地獄に堕ちた教祖を救済していくことでしょう。
邪教や邪宗が蔓延している現在、国民各位の邪悪な精神波動が、社会に充満して、邪悪な空気や流れを形成して、周囲に感染・汚染させて行っている状況と言えるでしょう。当方はそれらを浄化するべく、また苦怨に喘ぐ死霊魂の慰謝と救済を兼ねた「真仰」の国民総決起こそが、今世社会を救う第一義のものであることを提唱しているものです。周囲がまともに聞き入れなければ、当方から、皆が知らずの内に、邪悪で猜疑な想念を一掃廃絶して今世社会を浄化していくことになるでしょう。次第にその影響が現れ出して行っているという実感が致します。
ところで、多くの人々は、神仏を外に求め勝ちですが、この世には、即ち、輪廻転生界の大自然界には、真の神仏は存在せず、ただ存在する八百万の神は、実に魔の畜生死霊魂に他なりません。これら魔の神仏は、各自の心魂の善悪に呼応して、善魔や悪魔に変身していき、ただ感謝している限りは何も害悪はないものです。この神仏のうち、善魔は「願わなくても神(善魔)の方から協力してくる」もので、悪魔は、邪悪な心魂に招き寄せられてくるもので、ある程度は欲望を叶えてくれますが、最後は祟りや罰を当ててくるもので、「触らぬ神(悪魔)に祟り無し」と言われてきたものでしょう。
なお、真の神仏は、この世にはいないとは言うものの、各自の心魂奥深くに胎蔵されているもので、自らの心魂を自力にて錬磨、向上し、浄化する発魂により、顕現させていく努力が必須でしょう。他に求めるものではありません。ただ宙天に向かって仰ぎ詣拝する「真仰」、即ち、「黙祷」にて、死霊魂の慰謝と救済と共に、自らも健康にして闊達になっていくことでしょう。これは欲望や願望の結果得られる現世御利益ではなく、虚心坦懐、無心、無我、無欲の結果に授持される現世御理益と言うものでしょう。ここにこそ「利益」と「理益」との間には天地の相違があると言えるでしょう。