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少し思ったことを書かせていただくことをお許しください。
http://www.asyura2.com/0601/dispute24/msg/328.html
投稿者 haru 日時 2006 年 9 月 09 日 20:43:27: tQR1Zy22P.JHM
へのレスですが、こちらに書きます。
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以下の引用では平田篤胤は「キリスト教」を取り入れた、とありますが、キリストの要素を除外して取り入れているのだから、キリスト教−キリスト=ユダヤ教を取り入れたことになります。
「天御中主神を宇宙の主宰神とし」とあるから一神教ですね。
平田がユダヤ教を取り入れた理由は、キリスト教勢の植民地政策の暴力をみて、それに対抗するために、神道を改造しようとした(新興宗教を作ろうとした)のだろうと想像しています。
最後に掲げたMLの転載部分は、福羽美静の招魂祠の第一回霊祭の祝詞における平田神学の影響を検討しているものです。
なお、福羽美静の直接の師匠は平田ではなく、平田の弟子の大国隆正の弟子であり、大国隆正は宗教を国民煽動(善導?)の手段とすることを強調していたようです。「神習へは天津神に 習へといふこころなり。高天原は善世界なり。その善世界の人に習へとなり」 (「天都詔詞太詞考」三)。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/復古神道
復古神道において大きな役割を果たしたのが国学者の平田篤胤である。彼は法華
宗や密教、キリスト教などの他宗教や神仙道を取り入れた「平田派国学」を大成
させた。
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『日本宗教事典』p.63
平田篤胤は・・『古事記』冒頭に出現する天御中主神を宇宙の主宰神とし、ムス
ヒの二神をそのダイナミックな発現に対する名称だとする三神一体観は、明の耶
蘇会士の著書によるカトリック神学の影響であるが、現代神道ではほとんど否定
されてしまった。
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平田篤胤の「荒魂」「和魂」の概念が、伝統的な解釈(各神、各霊の状態の変化、荒々しい状態から和やかな状態に至る)ではなく、一神教的な「唯一神」を前提としてその「分身」として捉えているみたいなのです。
古史伝六、二七段
「さて禍津日ノ神・直毘ノ神は、かく天照大御神の荒魂・和魂とのみ伝ヘつれど、実は速須佐之男ノ命の荒魂・和魂にも坐ましけり。・・〈但し御子と云るに疑ヒあるぺけれど、荒魂・和魂は謂ゆる分身に坐せば、御子とも申べきことなり。〉」
唯一神の分身が分離可能である捉え方をしているので、靖国神社では、人霊から英霊部分を分離し、混合して、合祀する、といった発想になっているのだと思います。(こういう考え方はユダや右京にはないでしょうから、ユダヤ教の発展形態ですね。(^^;))
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【参考】
[barbaroi:4552] Re: 文久2年12月の霊祭の祝詞(補足)
文久2年12月の霊祭について、1、2補足をしておきます。
On Tue, 11 Oct 2005 07:34:14 +0900, TOMITA_Akio wrote:
> 和魂 朝廷を守リ幸へて、諸司百官忠誠に 国都・領主等
> 邪穢心在ラしめず、荒魂 *9蟹が行く横浜なる夷賊は更なり、若シ
> 軍艦の寄リ来ラむは討チ罰(きた)め、千里の波涛に逐ヒ沈めて、
>
ここに「和魂」と「荒魂」とが対比的に出て来ますが、これはひとつの神格
の両面(分身)にすぎないことを、平田篤胤は次のように云っているよし。
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古史伝六、二七段
「さて禍津日ノ神・直毘ノ神は、かく天照大御神の荒魂・和魂とのみ伝ヘつ
れど、実は速須佐之男ノ命の荒魂・和魂にも坐ましけり。其は五十猛神と申す
は、即(やがて)禍韓日ノ神の亦名なるを、下に須佐之男ノ命の御子と有り。
天照大御神の荒魂と有る禍津日ノ神を、須佐之男ノ命の御子と申して、属副坐
(つきそひし)ますは、然る謂(ゆゑ)よし無てあらめや。〈但し御子と云る
に疑ヒあるぺけれど、荒魂・和魂は謂ゆる分身に坐せば、御子とも申べきこと
なり。〉 さて荒魂の、かく二タ方に係るうへは、其和魂も須佐之男ノ命にも
係ることは炳焉(しるき)を、諸事に其由見えざるは、伝ヘの洩たるなり。
(中略)さて本体(もとつみま)と坐す大御神、須佐之男ノ命は、その荒魂・
和魂ノ神より後に生坐ることに、疑ヒあるぺけれど、荒魂・和魂は、かの分身
(わきみま)にて、御体(おほみま)を分け給へるなれば、本ツ体より前に生
レ坐さむこと、然有ルべき理なり。(中略)さて禍津日ノ神・直毘ノ神、かく
二柱の荒魂・和魂には坐せども、共荒魂は、須佐之男ノ命に属キ坐し、直毘ノ
神は、大御神に属坐し、(中略)然は有れども、実は二柱神の荒魂・和魂に坐
が故に、互に其御魂の通ひ属たまふ事になむ坐ましける」。(大系本、p.523)
また、古史伝六、二四段に
「この神は、穢き事を甚(いた)く悪みて、汚穢たる事のあれば、荒び給ひ
て、禍事を為し給ふ故に、禍津日てふ御名は負(おひ)坐するなり。……穢の
あれば怒り荒び坐て、理リのごとくならぬ、曲事をさへに為給ふを、汚穢の清
まり竟(はつ)れば、御荒びなきは更にも云ず、いみじき功をさへに為し給ふ
なり」(大系本、p.522)
として、禍津日ノ神を悪神とする本居宣長説を否定しているよし。
・・以下略・・