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□不気味な集会 [創価学会の彼女との関係]
http://blog.livedoor.jp/canary_wind/archives/50553758.html
2006年07月04日
不気味な集会
先日も創価学会の会合に参加してきた。今回の会合はスケールが大きめである。
どうやら「青年部」が集結する会合のようだった。会場には500人もの若者が集まっていた。今まで出た会合では婦人部・壮年部がほとんどだったので、驚いた。中には奇抜なファッションの今風の若者もいる。パッと見、なんの集まりなのか意味不明な集団でもある。
最初に行われたのは全員で勤行。
500人の若者がお経を唱える様子は、すさまじい。
この世のものとは思えない壮絶な光景である。
どこか全員の声のトーンがおかしい。どこか我を失い、陶酔したトーンである。
お寺の坊さんの重厚なお経とはかけ離れた、甲高い奇妙なお経だ。
学会員の僕でさえこうなのだから、一般人が見たら卒倒するかもしれない。
次は学生部、女子部、男子部がそれぞれ10人程度前に出て、歌を歌ったり、決意発表したりする。どれも同じような決意発表で、結局は「題目をあげて、折伏に挑戦し、信心を貫く」という内容であった。こういう大勢の前での決意発表は、「後に引けなくなる」という呪縛のはじまりでもある。
「君達の未来は本当にそれでいいのか?」という疑問が僕の頭の中を支配していた。
次はビデオ上映である。池田大作を美化した内容だ。戸田城聖や池田大作がいわれなき迫害により投獄されたと言うが、なぜ投獄されたのかはまったく説明されていない。ただ、権力による迫害としかいわない。1957年4月、池田大作が逮捕されたのは、参議院大阪地方区の補欠選挙で「堂々と戸別訪問せよ。責任は私が負う。」と会員に要請したという嫌疑をかけられたからである。この事件では62名の創価学会員が起訴され、裁判にかけられた。この事実を知らない学会員は「池田先生が権力と戦った」という美談に酔いしれることしかできない。
選挙や財務で「絶対無事故で!」と池田が強調する様子が、僕には「逮捕されないようにうまくやれ!」と言っているように聞こえるのだ。
幹部指導はやはりおかしなことを言っていた。
「学会活動と仕事、勉強、日常生活、両立することに悩んでいるだろう。しかし、どちらも100%やりきるんだ!それが池田先生の教えだ!手を抜いてはダメだ!」
耳が痛くなるほどの大声で何度も何度も同じことばかり叫んでいた。
仕事も活動も手を抜かずにやろうとすれば、自分のための時間はほとんど無くなる。寝る時間も削られていく。苦しみの中に生きがいを見出す精神論にも思えるが、やはりおかしい。
仕事のせいにして活動に手を抜くなというのだ。仕事をする時間を削って会合に参加しろ、アポなし家庭訪問をしろ聖教新聞の契約を取って来い、折伏対象を連れて来いというのである。
そして、一番衝撃的だったのは発表とは無関係のところで起こった。2、3才くらいの子供が父親に連れられて参加していたのだが、その子が会合の最中に父親に向かって何度も発言していた。
「イケダセンセイどれ?」「トダセンセイはイケダセンセイのセンセイ?」「トダセンセイはもうしんだの?」
という言葉を発していた。
僕はこんな小さな子がこんなにも創価学会のことを刷り込まれている様子に愕然とした。やがて聖教新聞や同時中継の「デマ」「糞坊主」「畜生」という言葉を使い出すのだろうか。自分の子がこんなふうになったら、我慢できない。気が狂いそうだ。
しかし、彼女は帰りの車の中で、その子のことを「今からあれだけ言えれば、将来有望だわ。」と言った。
僕は言葉を失った。その後も僕はしばらくの間、言葉を発することはなかった。
うちに帰ると、彼女は僕のご機嫌取りをはじめた。
そして、まんまと彼女の術中にはまる僕。
やはり彼女を好きなことに変わりはない。
しかし、自分の子供に幼い頃から特定の宗教観を植え付けてはいけないと思う。
幼い子供に「祈ればなんでも叶う」なんてことを教え込んでいいのだろうか。
親が教えるべき事を特定の団体に教えられていいのだろうか。
親が説明できないことを子供に教えていいのだろうか
子供は親の愛で育てるべきだと思うのだ。
それにしても、貴重な休日をこんなことに費やし、こんな気分にさせられるなんて、決して幸せではないと感じる。
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