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□カルト [創価学会の彼女との関係]
http://blog.livedoor.jp/canary_wind/archives/50545759.html
2006年07月01日
カルト
7/3追記
先日、彼女に連れられて創価学会・新入会者向けの会合のようなものに参加した。
参加している人数は決して多くない。ざっと30人程度。大きめの部屋にこれだけの人数では少し寂しい雰囲気である。
最初はビデオ鑑賞をした。新入会者向けに「シナノ企画」から発売されているビデオだ。「シナノ企画」は創価学会をPRするための映像作品を次々と製作する企業である。
(今、シナノ企画のサイトを見て、映画「バルトの楽園」がそっち系だったと知り、なぜか彼女が意味不明におすすめしていた理由が判明してちょっとブルーである。)
僕が見たビデオは新入会者向けの作品のようだった。久本雅美と彦麻呂が司会をするバラエティー番組のような構成である。スタジオに最近入会した学会員を集めて、トークをしていた。
まず議題にあがっていたのは「入会前の創価学会のイメージ」である。その回答としてあがっていたのは「カルト教団のイメージ」というのがあった。僕はものすごい勢いで「当たってますけど!」と思った。話を聞いていくと、最初はカルト教団のように正座をして拝んだりする危ない集団を想像していたが、実際は全然違ったという内容だ。結局は学会はカルトとは全然違うものだったという結論を出していた。
一般人にしてみれば、題目も勤行も危ない宗教団体にしか見えない。一般人にしてみれば題目もオウム信者の修行も同じに見える。信者を倒錯させるための手段に過ぎないのだ。ちなみにオウム真理教の教義でも「絶対幸福」が全面に打ち出されていた。オウムの麻原が目指していたものは仏教的宇宙観の中の「最高の意識」であり、最終地点まで導くのは霊的指導者であり、実体験できる修行を行うものだ。
池田大作が打ち出す内容も宇宙生命の根本原則を貫く信心という最高の意識を目指し、師匠に導かれ、実証を示すというものだ。オウムの麻原も「この宗教が世界で唯一正しい教え」だと言い、選挙に出馬し、政治権力を握ろうとした。創価学会もオウムも根幹は同じものである。その根幹は「カルト」そのものである。
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カルトの一般的な定義
一般的な宗教と同様、大きなカリスマ性を持つ人物が教祖となり、その思想を教団の教義とする。しかし、カルト教団の場合、その教義は社会的に受け入れられがたい「偏った」思想であることが多い。また、教祖の真摯な思索に基づく思想ではなく、信者に対する詐欺行為が目的の単なる看板に過ぎないことも多い。このような現状から、カルト教団という呼称には「わけのわからない不気味な集団」といった侮蔑的なニュアンスが強く含まれる。
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フランスでは日本のオウム真理教の事件をきっかけにカルトに関して調査委員会を設置し、報告書をまとめた。
カルト構成要件の10項目(「アラン・ジュスト報告書」)は以下のとおりである。
(1)精神の不安定化
(2)法外な金銭要求
(3)住み慣れた生活環境からの隔絶
(4)肉体的損傷
(5)子供の囲い込み
(6)大なり小なりの反社会的な言説
(7)公共の秩序に対する錯乱
(8)裁判沙汰の多さ
(9)通常の経済回路からの逸脱
(10)公権力に浸透しようとする企て
これらの多くに当てはまるフランス創価学会は最も危険なカルトの一つとしてカルト認定された。
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ビデオを見ていくと、久本が執拗に創価学会は世間にいろいろ言われているが、本当に理解されていない、無知な人が多いと嘆いていた。
ゲストの美容師は自分が創価学会であることを友人達に告げると一瞬にしてその場の空気が凍りつくと体験を話していた。
どうやら彼らは創価学会が世間に煙たがられていることを十分理解しているようだ。しかし、なぜ嫌われるのか、その理由を考えようとせず、学会が用意した「理由」で自分を納得させるのだ。
「絶対に幸せになれる信心だから、前だけを向いて進まなくちゃ!」という久本の表情は活動家の顔である。僕はこの活動家の根拠の無い無防備な自信が恐ろしくて仕方ない。
ビデオ後の入会者の体験談はやはり予想どおりのものだった。二人の体験発表があったが、どちらもまともに生活をすることができないほどの貧困、生活苦の状況からの脱出というストーリーであった。彼ら、他に救われる手段をもたない人たちが生きるために信心に救いを求める事は仕方がないのかもしれない。しかし、自分の体験が世の中の真理であるかのような錯覚を他人に押し付けることだけはしないでもらいたい。
幹部指導は、まさにカルトそのものであった。
「絶対に、信心が正しいんだということを示していきなさい!」
「どんなことがあっても、信心から離れることだけはいけない!」
「不幸なことがあっても、絶対に、絶対に信心の正しさを証明しないといけない!」
彼が言いたいことは「信心の正しさを証明しろ」ということだ。なんという意味不明な指導であろうか。彼の指導は無視して、普通に生活していたとしても、良いことがあれば信心の正しさを証明したことになる。まさに脳内無限幸福製造機のできあがりである。もちろんこの製造機で作られた幸福は創価学会に還元されるというオチだ。
創価学会はまぎれもないカルトである。
この団体に所属するという行為はかなり危険であると言わざるを得ない。
帰り道、僕は不機嫌だったので彼女に運転してもらいながら助手席で寝た。彼女との関係は良好である。この会合以外は学会など無関係な日々を送っている。勤行も、もう一ヶ月くらいあげた記憶がない。学会など本当にどうでもいいというか、消えてなくなってほしい。
しかし、彼女と学会は切り離せない。
学会は彼女の脳に巣食う巨大な癌細胞のようだ。