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NHKの大河ドラマの「功名が辻」は単なるホームドラマであり、これでは秀吉が何故バテレン追放令を出したのか分からない
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投稿者 TORA 日時 2006 年 8 月 25 日 14:35:54: CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu126.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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NHKの大河ドラマの「功名が辻」は単なるホームドラマであり、
これでは秀吉が何故バテレン追放令を出したのか分からない

2006年8月25日 金曜日

わが子を失った悲しみをキリストの教えで救われる千代
NHK大河ドラマ「功名が辻」より(右がガラシャで左が千代)


◆バテレン追放令 8月7日 あかひでダイヤリー
http://diary.jp.aol.com/tf78arb/76.html

溺愛する一人娘を地震で失うエピソード、フィクションの多いこの「功名が辻」と言う作品の中で、この話は史実ですね。(もっとも単に「地震で娘を失った」と書いてあるだけですが…) 
一豊と千代の間にはこの与祢姫しか生まれておらず、一豊は後に弟康豊の子を養子として跡取りとします。
 
さて、先週今週とどうも気になるのがガラシャを前面に出してキリスト教とリンクさせている事。
山内一豊や千代にはマトモな資料がほとんどなくドラマはなんでもアリ状態ですが、ちょっとくどい!(笑)
 
この天正大地震の頃はまだ禁教令は出されてませんが、数年後には確か布告される筈です。
禁教令と言っても江戸時代と違いさほど信者を迫害わけではない。
棄教すればそれで良かった程度で、大名クラスの棄教にはうるさかったが、領民には特に無かったらしい。
寧ろ奴隷として海外へ連れ去られる民を助ける目的、あるいは南蛮貿易をキリシタン大名に独占させない為だったハズです。
高山右近追放、有馬晴信斬首、この二件のみで日本からキリシタン大名はいなくなります。
(他は全て改宗)
ちなみにキリシタン大名は領民にキリスト教を強制しておりました(つまり他の宗教を迫害してた)から、為政者としては当然の政策と言えるでしょう。(政教分離)

こういうキリスト教のマイナス面ってのは何故か歴史では語られないんだよね。
禁教令を出した秀吉や家康を信仰を迫害した悪人のように見せたいらしい。  
なんか先週辺りからの流れだとガラシャの悲劇を大きく取り上げそうで・・・
なんで歴史ドラマまでキリスト教に媚びなきゃならんのか・・・(苦笑)


◆日本人とは何か 山本七平(著)
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=998100359X

◆キリシタンに突きつけた五カ条の詰問状

ところが秀吉は九州征伐のとき不意にこの態度を一変させた。これがあまり急であったのでキリシタン側はさまざまな臆測をしているが、資料を見るとその理由は明らかである。まず『長崎縁起略記』の「評」に次のように記されている。

「長崎公領の始め異説繁多なり、……天正十五年(一五八七年)関白秀吉公九州平均の時、筑前博多御逗留の節、当時の人々参上して御礼を遂げ、公領となり、鍋島飛騨守に御領といふ事あり。この時は、当地寺観の伴天連ども参上し、却て御機嫌に背き、それより逃れ去り、島原かの月山にかくれ籠もりしとなり。これ則ち、伴天連ども、所の田畑を知行して己等を地頭と思う故なり」

秀吉はイエズス会が長崎を勝手に「教会領」にしたことを怒り、これを没収するとともに次の五カ条の詰問状を支部長ガスパール・コエリョにつきつけた。これには異説があるが、要約すれば、以下が大体が「御機嫌に背き」の内容であろう。すなわち

(一)彼および彼の仲間は、いかなる権威に基づいて秀吉の臣下をキリシタンになるように強制するのか。

(二)なにゆえに宣教師はその門弟と教徒に神社仏閣を破壊させたのか。

(三)なにゆえに仏教の僧侶を迫害するのか。

(四)なにゆえに彼らおよびポルトガル人は、耕作に必要な牛を屠殺して食用にするのか。

(五)なにゆえにイエズス会支部長コエリョは、その国民が日本人を購入し、これを奴隷としてインドに輸出するのを容認しているのか。

教会領問題と以上の五カ条を見れば、秀吉が何を問題としているかは明らかである。彼は決してキリスト教という宗教そのものがよろしくないから禁止するといっているのではなく、"宗教戦争"の回避であろう。一向一揆が「百姓の持ちたる国」として本願寺領を形成し、宗教的信念に基づくその猛烈な戦いぷりを経験している彼は、キリシタンが秀吉の保護の下に「偶像破壊」に乗り出し、それに対して仏教側が総反発を起こすことを恐れたのである。

日本人が殆どすべて仏教徒であることを思えば、この「恐れ」は当然であり、全国を統一して戦乱に終止符を打とうとする彼が、これを黙認できなくて不思議ではない。彼の目的はまずその危険を萌芽のうちに摘みとってしまおうということであったろう。

これに対して第一条へのコエリョの返答は、天正十四年(一五八六年)の秀吉の布教免許状に基づいて布教したのみで、強制をした覚えはないということであったが、秀吉はこれに納得しなかった。というのは後に記す有馬晴信のようにキリシタン大名はその領内に対して必ずしもそうではなく、改宗しない者を領外に追放しているからである。

これに関連するのが第二、第三条で、コエリョは、信徒が自発的に神社・仏閣を破壊したのは宣教師の責任ではないといったが、キリシタン大名がこれを行なった場合、それをやめるように言わず、暗黙のうちに奨励したことは認めざるを得なかった。これは、当時の、否、明治でも、宣教師にとって「異教否定・偶像破壊」は当然のことである。法王庁が他宗教との共存を打ち出すのは二十世紀に入ってからであり、公式には第ニヴァチカン公会議以降であって、当時としては、そうしたことがあっても少しも不思議ではない。

さらに、コエリョは仏教の僧侶を迫害したことはなく、論争しただけだと述べたが、仏閣の破壊は当然に僧侶の追放を意味し、これは一種の迫害といえる。このコエリョの答弁は相当に「言いわけ的」で、「その事実なし」とはっきり否定できたものはない。それもそのはず、彼らが神社仏閣という「偶像破壊」に相当に積極的であったことは否定できないからである。

第四条の「牛肉問題」は文化摩擦として現代の「捕鯨問題」と対比してみると面白い。日本人はインド人のように牛を神聖視してはいなかったが、耕作に使った牛を殺して食べることはしなかった。こういうことは理屈ではどうにもならない。コエリョもこの問題には何とも返答の方法がなく、もし秀吉がこれを喜ばないならば、以後「牛肉を食べるのをやめる」と匁目えている。

◆秀吉を激怒させた最大の理由

だが秀吉乃至はその側近に、キリシタンに対する嫌悪を感じさせた最大のものは、ポルトガル人が日本人を奴隷としてインドその他に売っていたことであろう。この事実があることをコエリョも否定しておらず、イエズス会宣教師はこの防止につとめたと言っているにすぎない。さらに彼は、少々逆襲的に、この問題は秀吉が法令を下して「売る日本人」を厳罰に処してくれれば、解決する問題だとしている。

理屈を言えばその通りだが、これでは、宣教師側もこれを黙認していたことになってしまう。いわば「売った日本人を厳罰に処せばよい」と言っても「買ったポルトガル人は自分らの方で責任をもって厳罰に処します」とは言っていないのである。彼らが、長崎の日本人キリシタンから注意を受けてこの問題の重要性に気づき、「奴隷購買者破門令」を発したのは慶長元年(一五九六年)すなわち二十六聖人殉教の年で、問題発生の実に十年後である。いかにその対応が鈍感であったかがこれに現われている。

日本にも人身売買がなかったわけではない。特に戦国時代はこれがひどく、引っ捕らえた敵方の家族などは遠慮なく売ってしまうことが堂々と行なわれていたことは否定できない。しかし秀吉は秩序を確立しようとしており、そうなれば「貞永式目」「建武式目」以来の伝統的な法秩序への復帰となる。そして「式目」では「拘引人は死罪に処す」であった。これは、奴隷制度が公認の制度として存在したヨーロッパとは基本が違うということ、日本には「公の制度としての奴隷制度」はなく、それを合法的と見る伝統はなかったことを示している。

この点、一八六三年までアメリカに奴隷制度が存在した欧米とは違う。当時はヨーロッパの奴隷商人が、公然と新大陸にアフリカから奴隷を売り込もうとしはじめた時代であり、ポルトガル船には使役される黒人奴隷がいたのだから、イエズス会士が日本人より奴隷問題で鈍感であっても不思議ではなかった。

奴隷問題についてはイエズス会側にも資料があるが、秀吉側近の大村由己〔織豊時代の軍記作者〕の次の手紙が、その間の事情を最もよく示しているであろう。

「…今度、伴天連ら、能時分と思い候て、種々様々の宝物を山と積み、いよいよ一宗繁昌の計賂をめぐらし、すでに後戸(五島)、平戸、長崎などにて、南蛮航付きごとに完備して、その国の国主を傾け、諸宗をわが邪法に引き入れ、それのみならず、日本仁(人)を数百、男女によらず、黒船へ員い取り、手足に鉄の鎖をつけ、舟底へ追入れ、地獄の呵責にもすぐれ、そのうえ牛馬を買い取り、生ながら皮を剥ぎ、坊主も弟子も手づから食し、親子兄弟も礼儀なく、ただ今世より畜生道のあリさま、目前のように相聞え候。見るを見まねに、その近所の日本仁(人)いずれもその姿を学び、子を売り、親を売り、妻女げどうを売り候由、つくづく聞こしめされ、右の一宗御許容あらば、たちまち日本、外道の法になるべきこと、案の中に候。然れば仏法も王法も捨て去るべきことを歎きおぼしめされ、添なくも大慈大悲の御思慮をめぐらされ候て、すでに伴天連の坊主、本朝追払の由、仰せ出され候……」

前述のようにキリシタン側にも、なぜ秀吉が急に態度を一変してキリシタン禁止に出たか、その理由を揣摩臆測した文書があるが、不思議なほど、奴隷問題がその大きな理由の一つであると記したものがない。否、少なくとも私は見たことがない。確かに、商人たちの日本人購入やその虐待、さらに水夫らの少女の購入とその玩弄等が、異教徒をあきれさせているといったキリシタン側の文書はある。しかし、日本の同胞が牛馬の如くインド等に輸出されていることが、いたく日本人のプライドをきずつけたとは思っていない。

秀吉の詰問状から十年もこれを放置していたことは、これを、大村由己の手紙に見られるほどには、すなわち日本人ほどには重要視していなかったことを示している。ヨーロッパはまだ、異教徒や有色人種を奴隷とすることを悪と考えてはおらず、この点ではイエズス会宣教師も例外ではなかったということであろう。もっとも、前記の「奴隷購買者破門令」を世界最初の奴隷禁止令として高く評価する人もいる。確かに一五九六年は、リンカーンの奴隷禁止令の二百七十年前である。 (P414−P420)


(私のコメント)
NHKの大河ドラマの「功名が辻」は毎週見ているのですが、ドラマ自体が戦国時代を舞台にしたホームドラマであり、時代背景などの描き方は断片的であり、もっぱら人間模様の描写にばかり重点がいっている。だから以前にも秀吉のバテレン追放令も、日本人を奴隷として売り飛ばしたという事が原因で出された事はふれないだろうと書きましたが、やはりそうだった。

しかしドラマではキリシタンが多く登場するし、とくに長谷川京子が演ずるガラシャ夫人は悲劇のヒロインとして重要な役を演じているくらいだから、当時のキリスト教の実情は忠実に描かないと、秀吉が何故バテレン追放令を出したのかが分からなくなる。大河ドラマでは一方的に秀吉によって排斥されるように描かれている。

このように感じたのは私だけではなく、ブログなどでの感想などを見ると、歴史に詳しい人が同じような指摘をしている。キリスト教や女性信者達をなぜあのように美しく描く必要があるのか? NHKは特別にキリスト教の普及に一役買おうとしているのか分かりませんが、テレビの大河ドラマや司馬遼太郎の小説などはあくまでもドラマであり単なる小説であり、歴史には忠実ではない。

歴史上の出来事についての解釈は様々に出来るし、研究が進むにつれて評価も違ってくる。秀吉や家康のキリシタン追放令に対する評価も様々ですが、もしキリシタン禁令を出していなかったならば日本は再び分裂して宗教戦争が起きていた可能性がある。実際上でもスペインはフィリピンを拠点にして次は日本を狙っていたが、秀吉に見破られて断念したようだ。

秀吉による二度の朝鮮出征もフィリピンのスペイン勢力への牽制であり、もしスペインの無敵艦隊が攻めてきたら迎え撃つぞという牽制説も最近出てきた。明治における日清日露戦争も欧米列強に対する牽制であり、戦国末期と明治の時代背景はよく似ていた。それくらい日本は欧米列強の侵略を恐れていたのですが、このような歴史の見方も出来るのである。

山本七平氏の「日本人とは何か」と言う本にもキリシタン禁令について書かれていましたが、やはり神社仏閣の破壊や日本人を奴隷として売り飛ばした事などが原因だとしている。山本七平氏もキリスト教信者でもあるのですが、だからこそ言えるのかも知れない。しかし学校の歴史教育や歴史ドラマや歴史小説などでは、スペインやポルトガルが日本人をインドなどに奴隷として売り飛ばしていた事はほとんどふれない。

日本が欧米列強の植民地にならなかった原因としては、対抗できるだけの軍事力があったからですが、決して憲法九条のような平和主義だったから侵略されなかったという事ではない。欧米列強の侵略の仕方は、まずその国の王様や権力者をキリスト教徒に改宗させて神経中枢を麻痺させて、その後で武力侵略で植民地にしてしまうやり方ですが、徳川幕府は鎖国する事でその事を防いだ。

それに比べると現代はあまりにも無警戒であり、日本にはまず憲法九条により軍事力が無く、信教の自由の保障により天皇家にもキリスト教の影響が強まって宮中祭祀にも影響がでてきている。政治家もキリスト教徒の総理大臣も何人も現れてきていますが、一般国民のキリスト教徒は1%にも満たない。しかし、このままの状態が続けば日本はキリスト教化されて公用語も英語にされるのだろうか?

「功名が辻」のような大河ドラマを見るにつけ、キリスト教がやけに美化されて描かれて、キリスト教の暗黒面は決して描かれない。しかし国民の方が歴史に詳しくなり、時代考証もいいかげんなドラマを作り続けていると、国民のテレビ離れはますます進むだろう。NHKの大河ドラマとしては司馬遼太郎の「坂の上の雲」を計画しているようですが、これも史実とはかけ離れたドラマになるのだろう。中国や韓国が絡んでいるからだ。

NHKなどのテレビ局は、テレビドラマなどを通じて政治的メッセージを伝えようとしているのでしょうが、時代考証がデタラメだと逆効果になりかねない。先日もNHKは日中戦争のドキュメンタリーを放送していましたが、ブログなどで叩かれていました。日頃からあまりにもデタラメな歴史ドラマを放送しているから信用を失ってしまうのだ。

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