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(回答先: 韓信は若い頃、働きもせずに人に食わせてもらいごろごろしていた。 【韓信】 投稿者 hou 日時 2006 年 8 月 20 日 00:15:00)
http://www.financialacademy.jp/blog/1003/2005/06/post_107.html
年功序列と能力主義 その12
【投稿者】りんとぱんだ父さん 2005年06月29日
ぱんだ父さんです:
どうにかこうにか必死の状況で勝った日露戦争ですが、日本海軍は、最後に文句なしの大勝利を挙げます。日本海大海戦です。東郷司令官の敵艦隊直前の大回頭、それに続くT字戦法で勝利を引き寄せました。
日露戦争時における日本海軍はとにもかくにも「能力主義」を貫きました。それを強力に演出、推進したのが福沢諭吉から「頭がマセマティカル(数学的)だ」と言われた海軍大臣山本権兵衛です。
“ごんべえ”とはどこかのどかな響きのする名前ですが、彼の仕事は劇的です。戦争前には名前ばかりで役に立たない海軍士官の首を本気で切りました。一切の情を排し、人事を刷新します。恨みのあまり、短剣を抜いた先輩もいました。しかし、山本は一切臆することなく断行します。そして、連合艦隊司令長官には、全く無名で、予備役一歩手前だった東郷平八郎を大抜擢します。その理由は「彼は運の強い男ですから…」なんとも非合理的な理由です。
選ばれた東郷も優秀なのか馬鹿なのか最後まで分からない人物でした。が、彼の勝つための思考はシンプルです。
「短時間に、相手よりたくさん弾を命中させる」
この思考に沿って艦隊の行動が決まっていきます。まず一番砲撃力のある戦艦に全連合艦隊から一番優れた砲手を集めます。次に、限界まで彼らを訓練させます。次に、それまで砲手がそれぞれの判断で撃っていたのをやめ、艦橋の砲術長の指揮の下、いっせいに撃つやり方を採用します。これで、射撃データの修正が格段に進歩します。
作戦を担当していたのはこれまた変わり者で通っていた秋山真之という海軍少佐でした。細かい作戦はすべてこの男に任せきりにしました。東郷はそれに乗っかって、最後の決断を下します。
それが敵の鼻先で艦隊をぐるっと回すことでした。このときに相当な数の命中弾を各艦とも受けます。艦が回っているときはその場所にじっとしているようなものでまるで射撃の的です。しかも、遠心力もかかるので、正確な砲撃が出来ません。一発も撃たないまま全滅した砲もありました。艦橋で体を真っ二つに裂かれて亡くなった参謀もいました。しかし、それだけです。どの艦も火災も起きず致命傷も無いまま、ロシア艦隊の正面に真横に並びました。そこから、猛然と訓練された砲手による、よく整えられた射撃システムによって、強力な砲弾がロシア艦隊に降り注いだのです。この最初の打撃で、ロシア艦隊はあっさり崩壊します。
東郷は言います。「海戦に勝つには、適切な時機をつかんで、猛撃することでごわす。こいつは経験がモノをいうとです、書物なんかじゃあわからんとです…」
「一撃必殺」薩摩の剣法、示現流の極意です。この剣法は極端な攻撃偏重です。「剣は防ぐためにあるのではなく、攻めるためにある」
要するに「気合だぁ〜」の世界です。能力主義で大切なことは何が出来るかではなく、いつ動くかというタイミングの方です。そのために、日々訓練を積み重ねるのです。いくら技を持っていても、肝心なときに使えなければそれは、技が無いのと同じことなのです。
だから、この「一撃必殺」も、争いの無い平和時では、どんどん疲れてしまうのですね。じっと息を止めているよなものですから…。
大正から昭和にかけて、日本はまた独特な社会主義に戻っていくのです。
続きます。
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