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宇宙のささやきと自己実現 No.97【2006年8月10日】
http://www.chibalab.com/news_otoshiana/documents/060810.htm
■善悪を丸ごと飲み込んでしまう「無意識」
小泉首相じゃないけれど、今回は心の問題に少し触れてみたい(笑)。あまりにも悲惨な虐待・監禁・殺人事件等のニュースが毎日のようにTVから流れてくる。バブル崩壊後の失われた10年も過ぎて、今やばっちり格差社会が定着してしまった。建て前は、ゆとり教育とIT社会のための規制緩和による新規事業の創出だった。
しかしその結果として生れたのは、手抜き教育による「引きこもり」と「フリーター」の増加ばかりか、ハゲタカ外資による乗っ取りと、貸し剥がしによる中小企業の倒産と、先進国トップの自殺者の増加等々なのである。社会の歪が酷くなって来ている分だけ、私たち国民の心の闇も、相当深くなってきているに違いないのだ。
心の闇の部分が、深刻に成ればなるほど、もう一方で心の再生の問題が重要になってくる。とはいえ、心は目に見えないから、科学や確率を重視する物質文明の中で育ってしまった私たちは、傷つき疲れ果てた心の闇に対処するすべを知らない。「こころ」が傷ついたのなら、ショッピングセンターかネットのアマゾンかで新しいパーツを買ってきて、そっくり取り替えればそれで済むことじゃないのか(笑)。ところがドッコイ、そう簡単には片付かないのだ(悲)。
ゆとり教育と市場原理主義による規制緩和という建て前の中で、今は自由な世の中だから、何でもありで、何をやってもかまわないのだ、という風潮がはびこった。「こころ」の中の規範や躾のようなものがなくなってしまうと、意識の背後で抑圧されていた潜在意識の中の「無意識」が、とんでもないことをしでかすようになってしまう。個人主義がとめどなく解き放されると、独りよがりな欲望が暴走して、善悪を丸ごと飲み込んでしまう。
■今の日本はハイド氏に変身したジキル博士のような世界
かの有名なスティーブンソンの小説『ジキル博士とハイド氏』のハイド氏のように、夜になると抑圧された無意識が悪の化身に変身して、色と欲を楽しみ、結果的に殺人等の邪悪な事件を起こしてしまう。この小説は、人間の「こころ」の仕組みを見事に描いている。社会生活で人格者であっても、潜在意識の奥深くで、「無意識」が奇妙で邪悪な欲望を隠し持っていたりする。屋外を散歩すると、私たちの身体に張り付くように「影」ができているが、日常に於いて私たちはそのことをほとんど意識していない。
私たちは、日の当たる都合のいい自分の姿だけを自分だと思い、当然のごとく自分を良い人間だと信じて疑わない。自分の影の部分、認めたくない欠点やコンプレックスは抑圧されて、「無意識」という影の部分に追いやってしまっている。その結果として、日の当たる意識の部分には上ってこなくなってしまう。もちろんこれらの邪悪なよからぬものが、「無意識」のまま抑圧され続けている限り問題はない。
私たち人間の「こころ」が、いつも健全であり続けるには、邪悪な「無意識」を抑圧し続けるための強い意志が必要となってくる。この意志のパワーが鍛えられていないと、ある日突然、このよからぬものが意識に昇ってきて、私たちの「こころ」を乗っ取ってしまう。「こころ」を乗っ取られてしまった私たちは、突然人が変わったように道徳やルールをどんどん無視して、社会のタブーである犯罪や殺人を犯すようになり、精神的な荒廃化現象が一気に表面化する流れになってしまう。
ところが、このことは日本社会ではまだまだ理解されていない。21世紀を迎えた今、日本人の「こころ」の支柱だった道徳、躾け、日本的慣習、伝統の力等が徐々に失われてきたために、もはや自分の行動を律するような基準は、平成を生きる私たちのなかに、何ひとつとして見当たらなくなってしまった。
私たち人間の本能として、誰しも、欲しいものを手に入れたい、金がたくさん欲しい、意地悪な上司を殺してしまいたい、憎い奴は皆この地球上から抹殺してしまいたい等々の感情が、ところかまわず表面化してしまったなら、世の中の秩序は完全に崩壊してしまう。だからこそ古き時代の日本において、これらの邪悪な欲望をコントロールするために、徳、良心、躾け、道徳等が小さい頃から叩き込まれ、強い意志の力を持つようにと鍛えられたのである。平成の私たちは、もう一度、その意味を噛みしめなければならない。
その一方で、私たちの意識から抑圧された無意識の世界には、邪悪なよからぬものばかりじゃなく、素晴らしいもの、美しいものが原型として存在いているのである。ユングは、人間の「普遍的無意識」のなかにも、いろいろの素材を素晴らしい結晶にまとめ上げる基本的パターンがあると考え、これを「原型」と名づけている。単純に言えば、「原型」というのは、雪をいろいろの素晴らしいパターン(結晶)に組み合わせる結晶軸のようなものといえる。
ユングによると、私たち人間の無意識には、中心となるテーマ、英雄的な生き方の規範、この世に姿を表そうとしている神や女神が宿っているという。そして私たちは、自分のテーマをこの世で実現するために生れてきたのだという。ところが、私たちは無限の可能性に自分が開かれていることに気づいていないから、本来の自分の姿を否定することになる。しかしこの否定された姿こそ、あなたの最高のエゴのない自分なのだという。そして宇宙は、全体の幸福を実現するために、この最高の自分をあなたに演じさせようとしているらしいのだ。
■私たちは時空連続体の住人?
日常に流される人生を送っている私たちにとって、「こころ」は私たちの理解のできる三次元の世界には存在せず、五感では把握できない。「こころ」は三次元の世界ではなく、アインシュタインの言う四次元時空連続体に存在しているらしいことがわかってきた。三次元的世界では物の大きさや時間の流れは一定不変である。ところがアインシュタインの相対性原理によって明らかにされた四次元世界では、物の大きさや時間の流れは早さが変化するにつれて相対的に変化するということがわかってきた。
経営心理研究の第一人者である松本順氏の『こころの宝庫を開く』の中で、ロケットを空中に向けて発射すると、ロケットの速さが光速に近づくにつれて、ロケットの大きさは進行方向に収縮していく。また、ロケット内の時間も、ロケットの早さが光速に近づくにつれて遅くなると、アインシュタインの相対性原理を説明している。ところが意識の働きが支配的な私たちの三次元的思考の枠組みの中では、四次元時空連続体というものを理解することができない。
しかし瞑想とか疲労がひどい時なんかは、意識が薄れてきて、「無意識」が意識にとってかわる。そんな時、確かに時空連続体のような感覚に襲われる。そこには確かに奇妙な濃密感がある。量子力学では、素粒子は空間が凝縮することによって生ずるという。デイビッド・ボームによると、ひとつの素粒子の中に未来も過去もあらゆる時間的情報が巻き込まれていると同時に、あちらもこちらもあらゆる空間情報が巻き込まれていると考えられている。
もちろん私たちも、本当はこの高次元時空連続体の世界に住んでいるのであるが、私たちの感性である五感では、この世界を三次元的にしか解釈できない。しかし最新のニューサイエンスは、私たちが時空連続体の高次元の世界に住んでいることを、すでに明らかにしている。私たちの五感がついていけないだけなのだ。ボームに従うなら、素粒子の集まりでできている人間の大脳の中に、宇宙全体の情報が巻き込まれていることになる。
■「こころ」の周波数を高めれば願望は実現する
さらに松本順氏によると、人間の大脳の中には宇宙全体の情報が巻き込まれている発想のきっかけになったのは、デニス・ガボーアが発見したホログラム(完全写真記録)の考えに刺激されたからである、という。ホログラムは現実にそこに人物や物体があるように見えるが、それは幻影が三次元の空間に浮かんで見えるだけであって、実体のないものである。
このホログラムを作るには、レンズのないカメラにレーザー光線をプリズムで分光して被写体を照明した作業光と、レーザー光線が直進して写真乾板にうつるものとを合成させることが必要である。こうして同一の乾板に参照光と作業光が干渉し合うことによってホログラムができあがる。この乾板ホログラムには意味のないしま模様が現れるが、このしま模様のどの部分にレーザー光線をあてても、もとの物体が三次元空間にうつし出されるのである。
ということは、このしま模様のどの部分にも、もとの物体が記録されていることになる。この三次元に投影されたホログラムは、実体のない幻影に過ぎないことが重要な意味をもっている。つまり、宇宙の「こころ」である宇宙意識と、その分身である私たち人間の意識である「こころ」との関係にそっくりなのだ。宇宙意識は参照光にあたり、人間の意識はその分光である作業光にあたる。
完全無欠ですべてである「宇宙意識」は高次元にある故に、三次元の世界に物理的な実体を持たない。宇宙意識が低次元の三次元で行動を起こすには、分光された人間の「意識」にたよるしかない。私たちが日常を過ごしている三次元の世界では、物質が主体性を持っていて目に見えるものが真理として存在し、私たちの「こころ」では動かしがたいように感じる。ところが信じられないかもしれないが、高次元では思ったことがすぐ実現する。なぜなら高次元では「こころ」が気を使うことができる。「気」は、超高速から無限速度のスピードを持ちうるので、宇宙の果てまで行って帰ってくることが一瞬でできる。
ということは、高次元では時間と空間というものを別々に考える意味がなくなり、時空がひとつになった、アインシュタインの言う時空連続体そのものになってしまうのである。つまり三次元とか高次元というのは場所の違いを示すものではなく、私たちの「こころ」の状態の違いを示すものにほかならない。私たちの「こころ」の周波数が、高次元の世界を認識できる状態にある時、私たちは高次元にいることになるのだ。
こういう場合、三次元にいるとか高次元にいるといっても、私たちのいる場所そのものが変わるわけではなく、あくまで私たちの「こころ」の中で次元の変化が起きているに過ぎないのである。だから私たちが願望の実現を願うなら、「こころ」を三次元の世界から高次元の世界へ移したほうがはるかに実現しやすくなる。高次元に入ると、物質が厳然と主体性をもっている世界から、「こころ」が主体性をもった世界に変わる。
■こころの宝庫に気づきさえすれば…
松本順氏によると、これはちょうど孫悟空がキントン雲に乗って宇宙を飛び回るのと似ているという。気のスピードが速くなればなるほど宇宙は小さくなり、気のスピードが遅くなればなるほど宇宙は大きくなる。気は、こころの思うとおりに動くから、高次元の世界ではこころの思ったことが即座に気によって実現される。たとえば「こころ」であるイメージを描くと、このイメージ通りの形態が気によって作られる。
もっともそれはあくまで高次元の気の世界で実現されたのであって、三次元の物質世界で実現されたわけではない。三次元の物質世界でイメージが実現されるためには、高次元の気の波動が、低次元である物質(素粒子)の波動に働きかけなければならない。そのためには私たちの「こころ」の中で、イメージのもつ気を強化することで、願望実現に必要な情報、物、人をひきつけ、イメージ通りの願望が実現されるようになる。
私たちのほとんどがこれができないのは、高周波である「気」の働きを信じることができないからである。潜在意識の中に植えつけられた常識とコンプレックスによって、いつのまにか私たちは宇宙意識から遮断されている。松本順氏がいうように、私たちが、心の宝庫に気づきさえすれば、その瞬間から幸せの扉が開かれるにちがいない。
《主な参考文献および記事》
(本記事をまとめるにあたり、次のような文献および記事を参照しました。ここに、それらを列記して、著者に感謝と敬意を表すると共に、読者の皆様の理解の手助けになることを願います。)
★ 心の宝庫を開く 松本 順 (三笠書房 1986)
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