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2006年8月5日発行
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JMM [Japan Mail Media] No.386 Saturday Edition
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http://ryumurakami.jmm.co.jp/
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▼INDEX▼
■ 『from ９１１/ＵＳＡレポート』第２６２回
「スーパーマンに依存するアメリカ」
■ 冷泉彰彦 ：作家（米国ニュージャージー州在住）
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■ 『from ９１１/ＵＳＡレポート』第２６２回
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「スーパーマンに依存するアメリカ」
先週お話したコネチカット州民主党の上院議員候補予備選は、その後も現職のリー
バーマン候補は苦戦が続いています。３日の木曜日にＡＰが報じた世論調査結果では
５４％対４１％で、新人のラモント候補が優勢、「リーバーマン候補はイラク侵攻を
支持しておりブッシュと同根」という非難戦術は同州民主党員に支持されてきていま
す。漠然とではありますが、ユダヤ系のリーバーマン議員に対して世論が距離を置き
つつある、そんなエピソードが続いていると言って良いでしょう。
ユダヤ系といえば、７月２９日にはワシントン州シアトル市内のユダヤ系の施設を、
パキスタン系のイスラム教徒が襲撃するという事件がありました。銃撃を伴った襲撃
は１名の死者を出すなど、その直後には社会を震撼させましたが、メディアはこの事
件に対して「テロ」という表現は使いませんでした。あくまで「ヘイト・クライム」、
つまり人種偏見を動機とする私的な攻撃という言い方に終始しており、特殊な事件と
して記憶の彼方に流してしまおうというムードがありました。
ユダヤ人に関する事件といえば、今週のメディアを独占したのは、俳優兼映画監督
のメル・ギブソンのスキャンダルでしょう。南カリフォルニアの有名な高級住宅地マ
リブで、泥酔して運転していたところを逮捕され、車内にはテキーラのカートンが積
まれていて何本かは栓が空いていたというお粗末な「事件」が注目されたのは、逮捕
に際して警官に「世界中の戦争はユダヤ人のせいだ」という暴言を吐いてしまったた
めでした。
当初はアルコール依存症のリハビリ施設に入ることで「勘弁」してもらえそうだっ
たのが、日一日とメディアの追求は激しくなり、８月３日現在では悪質な交通犯罪と
いうことで禁固刑の可能性も出てきています。問題なのは禁固刑が困るということに
なると刑事裁判になるのですが、その場合にはマリブ警察が撮っている逮捕時の映像
が公開されてしまうことになるそうです。「反ユダヤ暴言」のビデオがＴＶで流れた
らギブソンはハリウッドで仕事が出来なくなる、芸能ニュースなどではそんな「解説」
も聞かれます。
勿論、ギブソンの問題の背景には、彼が監督して記録的な成功を収めた映画『パッ
ション・オブ・キリスト』の際の論争があります。キリスト受難の物語を「福音書に
忠実に描いた」というのが売り物のこの映画では、捕縛されたイエスに対してユダヤ
人が加える拷問がリアルに描かれていました。普通の人間なら目をそむけるような凄
惨なシーンの演出には「反ユダヤ感情」があるのではと、２００４年の公開当時には
大騒ぎになったものです。
またハリウッドの映画産業というのは、ユダヤ系の影響力が強いために、この映画
は全世界で６１１ミリオン（約６９６億円）という興行収入を上げながらアカデミー
賞などからは無視されました。そんなわけで、ギブソンは反ユダヤ感情を抱いた男で
あり、今回泥酔して警官と口論になったときにポロッとそれが出てしまった、そんな
イメージを持たれているのでしょう。
ギブソンは１２月にディズニー／タッチストーンが公開を予定している新作『アポ
カリトー』の最終編集作業をしているらしいのですが、どうやらこれは問題作のよう
です。『ブレイブハート』（傑作ですが）ではスコットランドの反イングランド闘争
を描き、『パッション・・・』でイエス処刑の描写と来て、今度はインカ帝国の滅亡
をテーマにしています。
予告編によるとスペインの侵略というよりも、「野蛮な神権政治によるインカの自
滅」を描こうとしているらしく、妊娠した女性への暴力シーンなども示唆されていて
「過激」なムードが漂っています。ギブソンとしては「神権政治への批判」をイスラ
ム原理主義への悪感情に重ねようという「マーケティング」を目論んでいたのかもし
れませんが、今回の事件の進展次第では、ギブソンのキャリアはともかく、映画『ア
ポカリトー』は最悪の場合お蔵入りになるかもしれません。
コネチカットの政局や、シアトルの「ヘイト・クライム」への冷静な反応などを見
ると、そしてＣＮＮやＦＯＸ、ＮＢＣなどが連日繰り広げている「イスラエルのレバ
ノン空爆への批判報道」も加味すると、アメリカの世論には「レバノンではイスラエ
ルはやり過ぎ」という感情が出てきているようにも見えます。では、その一方で、メ
ル・ギブソンの「反ユダヤ？」発言には集中砲火が浴びせられているのはどうしてで
しょう。エンターテインメント業界がユダヤびいきだからというのは、確かに大きな
要素です。ですが、それだけでは済まされないようにも思います。
それはアメリカの世論の中に「面倒なことには関わりたくない」あるいは「左右ど
ちらであっても、極端な論調は好まない」あるいは「自分で何もかも解決できるわけ
ではない」という一種の「弱気」が蔓延しているからであるように思うのです。今回
の中東紛争では、ブッシュ政権もアメリカ議会もイスラエルを全面的に支持していま
す。アメリカの世論では、アラブに同情的な層は極めて限られています。ですが、カ
ナの誤爆事件を含むレバノンの膨大な民間人犠牲に対して「仕方がない」と言い切っ
て平然としているわけではないのです。何となく流されている、思うようにできない、
そんな印象が広まっています。イラクに関しては更にそれが顕著だと言って良いで
しょう。
先月公開されて２００ミリオン（北米のみ）に迫る堅実なヒットになっている映画
『スーパーマン・リターンズ』にはそんなアメリカの「弱気」が投影されているよう
に思います。まず、この映画、主役のスーパーマン／クラーク・ケントの役には、ブ
ランデン・ラウスという新人が抜擢されているのですが、この人が７０年代から８０
年代に作られた四部作の際にスーパーマンを演じたクリストファー・リーブにソック
リなのです。そのリーブは、１９９５年に落馬事故のために首から下の全身が麻痺し
てしまい、リハビリを続ける姿で人々に感動を与えながらも２００４年に５２歳の若
さで他界しています。
またリーブの尊厳死を拒否して、彼を支えたデイナ夫人も夫の後を追うように１年
後に世を去っています。今回の映画では、終了直後のクレジットに「クリストファー
・リーブ、デイナ・リーブ夫妻に捧ぐ」という献辞が示され、そのリーブに生き写し
のラウスの演技ともども、映画がリーブという人の存在感とその死のイメージに覆わ
れてしまっているようにも思うのです。
それはともかく、映画『スーパーマン・リターンズ』自体は、『ユージョアル・サ
スペクト』や『Ｘメン』で知られるブライアン・シンガー監督の手腕もあって、上質
なエンターテインメントになっています。悪役にはアメリカを代表する役者と言って
もいいケビン・スペイシーを起用して、クリストファー・リーブが持っていた舞台劇
的な芝居のクオリティを維持していますし、ケントの恋人として重要な役であるロイ
ス・レイン役はアイドル女優として勢いに乗っているケイト・ボスワースで、キャス
トのバランスも取れています。
映像としては、ＣＧの洗練度（演出のセンス）が優れていることに加えて、編集が
巧みなために飽きさせない仕上がりとなっています。アクション映画の性格上、この
場でストーリーはお話できませんが、昨年の『バットマン・ビギンズ』（クリスト
ファー・ノーラン監督）と並んで、往年のアメコミ・ヒーローものの再映画化として
は全く不満のないレベルに仕上がっているとは言えるでしょう。
私は公開初日の夕方、大入満員のシネコンで見たのですが「スーパーマン」シリー
ズのファンと思われる層がかなり入っていて、大変な盛り上がりでした。アクション
シーンでは大拍手、「親子」のシーンでは「オオーッ」というため息、そして終了と
同時には再び大拍手と、何とも派手な、そしてこの館（ニュージャージー州ハミルト
ン町）としては異例な反応の良さでした。
熱狂する観客を見ていた私は、この「スーパーマン」に託したアメリカ人の思いが
何となく分かるように思えました。「スーパーマン」の超人的な力というのは、アメ
リカ人の願望に他なりません。ただ、力への願望といっても「自分が強くなりたい」
という指向ではないのです。それは恐らく超人的な力で「守られたい」という願望な
のではないでしょうか。
映画の中に、その「守られたい」という願望を示唆しているエピソードがあります。
（ややネタバレになりますが、主要なアクションとは関係ないのでご容赦ください）
映画の冒頭で、スーパーマンは「長期の不在」から戻ってくるのですが、その間に愛
するロイス・レインは『人類はスーパーマンを必要としていない』というレポートを
発表して「ピューリッツァー賞」を受賞しているというのです。
映画としては、このエピソードが２人の間に流れる男女の感情に絡んでストーリー
を盛り上げていくのですが、この「人類はスーパーマンを必要としているのか」とい
う命題の設定は興味深いといえるでしょう。勿論、これはスーパーマンの映画ですか
ら、最終的には「必要だ」ということになるわけですが、そのあたりにスーパーマン
という存在が「守られたい」という願望の産物だという言い方を重ねることができる
のではないかと思います。
今回のスーパーマンは、例えば映画評論家のロジャー・エバートが指摘しているよ
うに「強すぎる」のですが、そのパワーが物理学的な常識を超えて「スーパー」にな
る中で、「スーパーマン＝キリスト」というような宗教的な暗示を与えるという効果
もあるように思います。
映画の中でも、少年時代のクラーク・ケントが空を飛ぶ練習をしていて馬小屋に落
ちる（キリストの誕生したのはベツレヘムの馬小屋）とか、父と子の絆を示すエピソ
ードに加えて、クリスタルの不思議なパワーなどが「父と子と精霊（キリスト教の三
位一体説）」を暗示している、あるいは傷ついたスーパーマンが宇宙空間に出て太陽
エネルギーを吸収しているシーンが、宇宙人というよりもある種の「神性」を感じさ
せるなどの点は指摘しても良いでしょう。
これもアメリカ人の「守られたい」願望の反映と見ることができます。アメリカ人
のキリスト教というのは、自己を見つめる中で聖書の言葉を噛みしめて神と対話する
というような「近代の個人」の宗教だと思われがちですが、その中核にあるのは
「守ってもらいたい」という素朴な依存心に過ぎないのかもしれません。
いずれにしても、現在のアメリカには世界を指導したり、世界に民主主義を布教し
たりするような自信はありません。クリストファー・リーブの『スーパーマン』が公
開されたのは１９７８年の１０月でベトナム戦争の敗北から３年という時点であり、
またアメリカの支援していたイランの帝政が崩壊に瀕していた時期でした。
２８年を経て、イラクの戦後処理に苦しみ、中東の紛争の調停ができないアメリカ
にスーパーマンが帰ってきたというのは、決して偶然ではないのでしょう。アメリカ
人は「スーパーマンに守ってもらいたい」のです。癒されたいのです。逆に、ギブソ
ンのように、ヒロイズムへの陶酔を要求するようなキャラクターは好まれない時代な
のかもしれません。
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冷泉彰彦（れいぜい・あきひこ）
作家。米ラトガース大学講師。1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大学
大学院（修士）卒。著書に『９・１１ あの日からアメリカ人の心はどう変わったか』
『メジャーリーグの愛され方』。訳書に『チャター』がある。
最新刊『「関係の空気」 「場の空気」』（講談社現代新書）
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JMM [Japan Mail Media] No.386 Saturday Edition
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【発行】 有限会社 村上龍事務所
【編集】 村上龍
【発行部数】128,653部（2005年8月1日現在）
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