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(回答先: Re: (参考資料)中坊氏孫の学校では20年前にも同様の事件あり。アホバカ進学校も狂育ママも20年間進歩なし 投稿者 こげぱん 日時 2006 年 7 月 27 日 23:31:35)
明らかに高利を謳って金を集めて、ドボンさせた銀行に犯罪性があるだろう!!
お前はそれでも弁護士か?
中坊支持には極右ヤクザの宮崎 学も。彼もヘルメス思想ですね。北朝鮮を日本(右翼)に迎え入れる運動をしてます。
外国人参政権をと訴えてきた櫻井よしこは少し格上工作員ですね。確実に右翼がボルシェビキに成り果ててます。左翼(公務員)の特定財源引き剥がし運動に専念してますね。
どいつもこいつも工作員だろう!!
工作員祭り2005!!!
北拉致家族の強制連行の嘘
http://posting.hp.infoseek.co.jp/#label1
昭和11〜15年はまだ民間あっせん業者による自由募集の期間であり、次の16〜19年の中でも、国民徴用令が朝鮮に適用されたのは昭和19(1944)年9月でした。ですので「強制連行」の根拠とされている「徴用」による徴集は同年9月〜12月の4ヵ月間となるので、単純に計算してもこの期間に徴用された者は、昭和16〜19年の48ヶ月間に来日したとされる1万4514人のうち12分の1、つまり1210人(全体の1.46%)ほどに過ぎません。そこに「昭和20年9月1日以前」の679人(0.8%)を加えた概算1889人(2.3%)ほどが、真に徴用の名に値する在日朝鮮人だという事になります。仮に「官あっせん」を徴用の概念の中に入れ、官あっせんが行われていた昭和17年2月〜19年8月の来日者の推計数を全部加えても約1万1300人(14%)ほどです。
よく誤解されていますが、日本は朝鮮半島を植民地化したのではなく併合したのであり、当時の朝鮮人は日本国籍を持ち権利・義務も日本人と同等でした。つまりこれは国民の義務としての徴集であり、日本人も全く同じ条件であった訳で、強制連行などではありません。(ちなみに当時の帝国議会には、約10名の朝鮮人議員が議席を有し、陸軍では中将にまで昇進した朝鮮人軍人もいました。)
この推定は、昭和16〜19年間の月間来日数を均等として考えたものですが、実際には関釜連絡船の運航は終戦が近くなるにつれ次第に困難になりつつあったので、昭和19年後半からの来日徴用者は減少しているはずであり、「強制連行」の概念を広く解釈しても、10%を大きく超えるような事は考えられません。
(引用終了)
アメリカは日本人の預金が全て株に回るまで嫌がらせを続けるだろう。アメリカがアメリカ人に犯したように。0成長時代の恐怖。金の奪い合い。アメリカ人は預金より借金のほうが多い。そこまで搾り取っても、国内への投資を促さない。
民主対自民の票取り合戦が、外国人工作員を呼び込むのだ。今や自民支持は4割近くだぞ。これ以上の獲得は明らかに無理があるだろう。人口を増やさないとまず無理だろうね。
人口のV字回復狙ってる気がするんだよね。その前に、谷待ち?
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