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7月15日西尾幹二氏講演会 日本はアジアを開放したという事実の責任を持つべきで、謝罪と反省ばかりしていてよいのか?
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投稿者 TORA 日時 2006 年 7 月 18 日 14:17:06: CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
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7月15日西尾幹二氏講演会 日本はアジアを開放したという
事実の責任を持つべきで、謝罪と反省ばかりしていてよいのか? 

2006年7月17日 月曜日


7月15日西尾幹二氏講演会の写真


◆7月15日 西尾幹二氏講演会のテキスト(初め25分の部分)

歴史とは何かと言う事ですが、歴史は時代が動くと共に違って見えてくる面があります。つまりこっちが動く事により、皆さんの歴史においても昔がずいぶん変わって見えてくることがあります。しかしながら他方歴史はその時代の人がどう感じどう考えたかを知る事であって、我々の今の立場から過去はこうであったと解釈する事ではない。

もう一つ逆のテーゼがあります。矛盾しているんですね。前者は我々が動くといっているのに後者は動かないものだと言っているわけですから、正反対の観念になるわけですけれど、歴史はいつでもダイナミックな正反対の問題意識を持っていると思います。

最近私が今思っていることは、時代が動く事によって、こんな風に見えることがあるよとお話してみたいと思います。

日露戦争です。日露戦争についてあまりにも過度にアジアを開放した偉大さを訴える事を近年において大なるものがありまして、みんな分かったと、そんな事は、渡部昇一さんに任せておきましょう。

日露戦争と言うものはどういうことかと、あそこで欧米列強の中でロシアという権謀術数の大国がおっこって無くなっちゃったという事なんです。それでヨーロッパ政局に与えた甚大な影響があったと考えてないで歴史を考えたらどうしようもないという事なんです。

1880年代のヨーロッパを考えますと、どういう風な陣形をなしていたかと申しますと、ドイツ、ロシア、オーストリアというのがフランスを封じ込めていた時代、これはビスマルクの役割が大なるものです。つまりドイツとロシアとオーストリアが手を組んでフランスを押さえ込んでいた。90年にビスマルクが亡くなってヨーロッパ政局ががらりと変わりまして、ドイツが自由が利かなくなって、露仏同盟が出来上がってロシアとフランスが再び強くなりまして、ドイツは思うようにいかなくなる。

それでドイツはオーストリアとイタリアと組むようになる。そういう形で大変激しくヨーロッパ政局は拮抗していた19世紀の末でイギリスは当時ドイツに鉄鋼生産量でドイツに抜かれていました。そしてイギリスは弱小なるがゆえに植民地に手を出して外へ出てったとヨーロッパ政局で見られていたのであって、アジアに手を出して余計なことをしている哀れな国というそういう見方もあったんです。

日清戦争が起きたのは丁度そういう時期なんですよ。なぜヨーロッパ政局の葛藤が日清日露にないのか、日本の歴史家よと。私はいつも言うんです。

ちょうど日清戦争が終わってご承知のように三国干渉が日本に対して起こりまして、遼東半島を返せという事になりまして、日本が臥薪嘗胆し、どこの国が三国干渉したかと言うと、フランス、ロシア、ドイツが日本に干渉したわけでありまして、どうしてか?と、謎なんですよ。

ロシアが干渉するのは当たり前なんですよ、今だって干渉してるんですから。このあいだのテポドンは間違いなく最大の役割を果たしたのはロシアですよ。中国じゃないですよ。ロシアが沿岸にあんな事許すはずがないんですから。

ロシアはサミットの前にやった大芝居ですよ。ロシアは大国意識、強国意識が復活し始めてまして、それは巨大なオイルマネーが入りつつあるという事がありますが、中国はあたふたと実態じゃないですか、今度の事は。

話は飛ぶんですけれども、ロシアが三国干渉するのはある意味で当たり前ですね、あの当時から言うと。フランスはロシアの同盟国だったから付き合ったということです。ドイツがここへなぜ入ってきたか謎なんですよ。三国干渉にフランス、ロシア、ドイツと申しましたが、なぜドイツが三国干渉したかと言うのは謎な訳で、なぜイギリスが顔を出さなかったかということなんですよね。

三国干渉が何ゆえにフランス、ロシア、ドイツなのか。なぜドイツなのか?なぜイギリスがないのか?日本の歴史家が書いたもの見ましたけれど、一人としてそんな事書いている人は一人もいませんよ。何やってんだろうと私は思うんです。全部ヨーロッパ勢力を一つのパワーととして、日本は力の出しようがなかったと、無力だった、残念だった、臥薪嘗胆、と言う言葉がありますけれど。

なぜ列強は相互の絡み合っていたヨーロッパ政局を分析する政治家がいなかったのか?なぜヨーロッパを一つの塊、一つのものとして考えたのか。今の日本も同じですけれども、こういう欠点は。

なぜヨーロッパを複数の勢力と見なかったのか?もしそれが出来ていたのなら、列強の相互の利害関係をつぶさに知っていて、お前達の国にこれを与えるから仲良くするとか、干渉することは出来たでしょう。政治っていうのはそういうもんでしょう。揺さぶる事ができたでしょう。

そうしたらよしんば三国干渉であったとしても、臥薪嘗胆とか哀れっぽいこといって。三国干渉にドイツが加わったのはロシアとフランスとの同盟を弱めたいという、只それだけの理由であって他に理由はないんですよ。つまりヨーロッパ政局内部の問題です。それにドイツが顔を出したという事です。

ドイツは先ほど言ったようにビスマルクの時代とは違ってフランスロシアに挟まれて苦しんでいたからであります。イギリスは当時有力になってきていた、やっと有力になってきたイギリス、エジプトを去りインドへ向かったイギリス。三国干渉にドイツが割り込んだのはこの時期にあたりますけれども、日本にとって正面の敵はロシアであって、ドイツでもフランスでもありません。

フランスはロシアと同盟を組んでいたからやったまでの話。その同盟に楔を打ち込みたかったから口出ししたドイツ、そして関係ないよといって逃げたイギリス、一番利害の有ったのはロシア。

なぜ日本はいち早くイギリス、このあと間もなく日英同盟を結びますが、イギリスと手を組んでドイツのあらざる干渉の手を排除して三国干渉を無効にするように外交戦術を展開しなかったんでしょうか?そんな力はなかったと当時は考えられなかった。日本の外交にも政治にもそれだけの力はなかった、国力もなかった、それはその通り。

しかし、ならばその後の歴史家が、これは日本の失敗であったと、そういう個別パワーのヨーロッパの諸国を見抜いた歴史研究を書いていれば、各国の力の分布と言うものを知って三国分断を図るべきであったと歴史研究家が書いて、政治評論家が書いていればですね、次の歴史が動き出すんですよ。

次の歴史、次の芸術、次の政治家がそういうことを学んで動き出すんですよ。歴史家と言うのは利で動くのではありませんから、現実に働きかけていかなければなりませんから、学者と密室政治とは違うけれども、学者は現実政治をリードしなきゃいけないわけです。

でも日本の知性の弱さと言うのはここに完璧に現れていて、政治家もダメならば学者もダメだったと言わざるを得ない。いまだに三国干渉は歴史の教科書でも歴史の本でもどれを見てもヨーロッパの座標軸から見ていない。誰一人も。三国干渉は日本とヨーロッパのワンパワーで迫ったとしか書いてない。

つまり日本の歴史家、現代史家の頭の中にないんですよ、そういう問題が。私は日本の国のダメなところと思っています。だんだん分かってきた事とか時間がたつとそういうことなのかと聞けるということで、日露戦争について、とかくですね、皆さんは、あの時まで日本はすばらしい国民だったけど、それ以降まったく傲慢になって、謙虚さを失って世界を侮辱するようになった、ダメだ、司馬遼太郎とか。・・・(笑い)

それが、かと思うと何といってもこの国は世界史に白人の打倒するための輝かしい第一歩を記して、これによってこれがもしなかったならば世界は依然として白人の支配に置かれたままであったであろう、渡部昇一とか・・・(笑い)

こういうような事ばかり言っている訳ですけれども、よく考えていただきたいんですが、一番大きな問題は日露戦争の結果、先ほど言ったヨーロッパの政局の中でロシアと言うモメントがおっこっちゃったということですよ。日本のやった戦争の結果が世界史を動かしているんですよ。

世界史を動かしたのならば世界史に責任を持つのが常なるものではありませんか?つまり何を引き起こしたかと言うと第一次世界大戦を引き起こした大きな遠因なんです。ロシアがなくなっちゃったんですから、そこで何がおきたかと言うと、ドイツ、オーストリア、イタリアが手を組むわけになるんですね。

もう一つ大きな事はロシア革命が起きた事です。つまり日露戦争の敗北は直接ロシア革命を負っているわけです。常識ですよ、旅順が落ちたら革命は勝受すると言ったのはレーニンですから、旅順が落ちるのを祈っていたのですレーニンは、旅順が落ちたら革命だ、万歳と。

つまり我が国がやった事は、いいとか悪いとか道徳的にどうとか、目に見えて分かる白人をやっつけたから威勢がいいぞとか、子供でも分かるような事の話ではないですよ。歴史の波動を生み出していると言う事なんですよ。そして生み出した歴史の波動に対しては、この国の政治は次に責任を負わねばならないのです。

責任を負うと言うことは何を求められていたか、つまり日本は列強になったと言う事なんです。だから日本が謙虚さを失ったのではなくて、謙虚でありすぎたのが失敗なんです。つまり堂々と第一次世界大戦で世界が地上部隊を派遣して、そして英仏に協力し、かつ我が国がヨーロッパ政局の一要員として、つまり世界大戦に参画すると言う意思を明示してさえ置けば、歴史はものすごく変わっていたはずですよ。

なぜならば、そうした場合イギリスやフランスはこぞって日本を大きな要素としてみなさざるを得なくなりますから、たとえばアメリカが日本虐めを始めた時に、ちょっと待てと言う声が必ず上がったはずです。アメリカは明らかな日本虐めですからね。それは第一次世界大戦の間で日本はヨーロッパの政局に責任を負わないで中国あたりをごちゃごちゃやっていた。

それでそのあと日本の単なる領土的野心だと見られて、アメリカが干渉してくることに関して世界は不干渉だったわけです。これは一例であってそうなっかどうか分かりませんけれども、よく考えてみたら私達は起こるべきことをちゃんと引き受けていないじゃないかと、引き受けてなかったから次のことにマイナスが起こるんじゃないかと今も思う、そういう見方があるということを私は申し上げます。

全て世界で起きる出来事は、わが身に深く関わる出来事でも、世界の側で見てみると、もう一度、そうするとこれがどういう事になる。日露戦争はアジアに希望と誇りをもたらしたとか、大東亜戦争を評価する事だけではなく、それだけだと日本人の内的独白で終わっちゃうでしょ。日本人の心の穴を嬉しい嬉しいの独白で終わって客観性がないわけですよ。

だけど第一次世界大戦を引き起こしている事、そしてロシア革命を引き起こしていると言う事、これは自分達がよかったよかったと言う話ではなくて、明らかに歴史を動かしたと言う事なんです。そしてその事に責任を取れてない日本と、こういう問題に深く関わってくると私は思うわけであります。

日露戦争によってロシアの勢力がヨーロッパか炊きえてしまった。パワーバランスが大きく崩れた、これはとても大きな問題だと思うんですけれども、このような洞察はいわゆる歴史書をいくら読んでも出てきません。公文書に出て来ないんですから。そして歴史の公文書に出てこないものは歴史でないと思っている人、岡崎久彦・・・(笑い) 彼は歴史の公文書に出てくるものだけが歴史だと思っている。

自分の行った事はどんなに小さくても世界に影響を及ぼしているわけです。そしてその波紋は向こう岸にぶつかって、跳ね返ってこっちに戻ってきてると私は時代が経つとだんだん分かってくるよと、それが歴史なんだよと、時間がたつこと歳をとることはいいことだなと言う事なんですね。

この同じような原理をいわゆる大東亜戦争に当て嵌めて考えて見ますと、確かに大東亜戦争は意図においては自存自衛が主だった。そして権益確保が主だった。しかしアジア開放と言うのも、まったく考えていなかったどころか論調の主なものでありました。いわゆるマスコミの、それは後で焚書図書で出て来る訳ですけれども、マスコミの論調はアジアの開放だったんです。

しかも東條内閣は開戦直後からアジア開放と言うものを唱えていました。そんな事は聞いたことがないとみんないうんですよ。保守系でもそういうことを言う人がいるんですよ。そんな事実はない当時日本は愚かで自分のことばっかり考えていたんであってアジア開放なんてと。

自分のことを考えるのは大事です人間は。日本だってどこの国だって、二番目か三番目にアジアの開放と言うのがあったんです。二番目ですよ二番目に。東條内閣は昭和十七年のシンガポール陥落の後にすぐに言っています。アジアの開放は。

しかしアジアを開放したのは日本ではない、毛沢東とホーチミンだ、これはNHKです。・・・(笑い) 私もはらがたってNHKの世紀は何とかというのがあったから、その当時から受信料は払いません。(笑い) あの番組ですよ、二十世紀の何とかでやったじゃないですか。あの中でアジアを開放したのは毛沢東とホーチミンだと、ふざけやがってと、もう許さないと。

アジアの開放と言う日本のマスコミの中に常にあったのですが、それを実際に実現したのはホーチミンと毛沢東もはいっているけれども、イギリスがインドを開放し、いや独立を与え、フィリピンはアメリカがやったとかになっていますが、これはまったくの嘘でね、それは承知の通り昭和17年の反英運動が激しく起こったインドにおいて、イギリスはガンジーの不服従運動にいくらやっても態度を変えませんでした。

そして将来の自治や独立の約束もしませんでした。ルーズベルトもですね、イギリス帝国の内部の問題については、へたに言うと戦争の遂行に影響しますから黙っていました。米英連合に亀裂が入るのを恐れたからです。アメリカの方は植民地主義は止めるべきだと考えていた。アメリカの中に重大な転換があったのでしょうけれども、満州その他に野心を持っていたアメリカが次の世紀でマイナスになると言う判断を持つ時期があるんですね。

同じようなエゴイスティックなアメリカの構造が途中で変わるんですね。重大な局面だと思うんですが、しかしフランスやイギリスは変えません。それで戦後においてでも植民地主義の解消をアメリカはやっと考えるのですけれども、イギリスうあフランスやオランダにその考えはありませんでした。

そして戦争が終われば直ぐにイギリスもオランダも戻ってきました。それで残留日本部隊と戦ったと言う歴史も皆さんご存知の通りですが、実はしかしその後反撃にあってアジア各国は独立し、その影響はあっという間にアフリカに及んだわけであります。アジア開放の波を必要としたのはアメリカではなく昭和18年11月の大東亜会議の開催なんですよ。

昭和18年11月の大東亜会議と言うのは大西洋憲章に対する大東亜憲章を作るために行なった東條英機首相が主催した国際会議でございます。そしてアジアの各国が集まった、これは有名な出来事でありまして、いろいろな本も書かれる様になりました、やっと最近はね。

そうじゃないだろうと戦後言ったわけです、それは日本軍が後から戦争を継続するためにはアジアの協力を得なければならない、そのための詐術だ、その為に日本政府はあわててアジア開放などと言い出したのだと、これは戦後の日本の論調で、全部自分達がやった事まで否定したのでございます。

そして日本が既にインド、ビルマに独立を与えていたと言う事実すら否定してしまったわけです。これは新しい歴史教科書にはっきりと書いてあります。でも日本がそれを言い張るだけでは、先ほど言ったように内的独白で終わってしまう。日本人の自己満足と言うことです。

だけれども大事な事は大東亜会議の一事があったと言う事は、そして大東亜宣言が採択された事は、そして大東亜宣言の内容は戦後の国連の開放宣言によく似ている。開放宣言、その事をいろいろ考えてみると、かつての植民地の国が再び安易にアジアに復帰する事を許さない政治情勢を生み出したのは、何よりも日本の戦争だったのですよ。その事は紛れもない事実なんです。

やった事の事実をよく調べなければならないのです。先ほども言ったように日露戦争は、やっとお分かりになったと思うんですけれども、大東亜戦争についても自分がやった事は波になって戻ってくると言う事は、日本人を善なることと褒める事でも、悪なる事でも非難することでもないんですよ。単なる事実なんです。

そのように考えますと日露戦争の結果ロシアがヨーロッパ勢力から脱落して、第一次世界大戦の一因となしたロシア革命と同様に、歴史は自分がやった行為が波が跳ね返って戻ってくると言う事を申し上げているのでありまして、何よりもアジアにおいて日露戦争が何をアジアに産んだかと言うと、中国大陸がロシアとイギリスによって分割される事を防いだということです。


(私のコメント)
7月15日の晩の西尾幹二氏の講演会を聞いてきましたが、このテキストはその冒頭の部分です。以前の講演会の時はカセットテープコーダーで録音していたのですが、最近はICレコーダーを買いまして録音するようになりました。確かに音声もデジタル化してパソコンに取り込んで聞いたりすると大変便利です。

カセットテープコーダーだと機械的に何度も巻き直したりしなければならないので大変なのですが、パソコンに取り込んで再生ソフトで聞くとスピードや巻き戻しが変幻自在に出来る。機械的にテキスト起こしも出来るようですが、スロー再生で聞きながらテキストを入力してみました。確かにテープの時よりも楽です。

カメラもフイルムカメラからデジタルカメラに買い換えて撮影していますが、これも大変便利で小型になって講演会などの撮影も楽になりました。このように科学の進歩は著しいのに、日本人の社会科学の進歩は停滞してしまっている。西尾幹二氏も講演会で言っていましたが、日本の歴史家の研究は遅々として進まず、国際情勢の分析など私から見てもなっていません。

7日の「朝まで生テレビ」などでも靖国問題などを話していましたが、靖国参拝反対論者ばかり並べて討論会になっていない。テレビから保守派の論客を排除してしまってまったく議論になっていないのだ。以前は西尾幹二氏も出ていたのですが例によって田原総一郎氏は自分の都合の悪い論客を排除してしまって左翼と親米派だけの討論になってしまっている。

歴史観についても後世の歴史家が判断すべき事に反対して、「いまどき関が原の合戦の分析をしてどうなると言うのか」と暴論を吐いていた。古代の事でも遺跡の発掘などで新しい解釈が生まれるし、織田信長の評価も年々変わってきている。ならば大東亜戦争の評価も年々新しい資料が出てきて大きく変わることもあるし、世界情勢の変化で日露戦争の評価も変わってくる。

ところが田原総一郎氏はそれを否定してしまっている。彼は歴史を論ずる資格はない。日本の戦後はアメリカ占領軍による検閲によって歴史も変えられてしまった。焚書坑儒により7100冊もの著書が発禁処分され、個人が所蔵するものを除いて回収されて燃やされてしまった。その為になぜ日本が最東亜戦争に踏み切ったかの研究が出来なくなってしまった。

先日も大川周明の著書を紹介しましたが、あのような本は全て本屋から消え去りアメリカ軍は日本を開放したと言いながら言論弾圧を行なったのだ。なぜそのような事を行ったかは、日本がアジアの開放のために立ち上がったという事実を抹消するためである。そして東京裁判を開いて東京裁判史観を日本に強制した。

日本の学者や評論家は沈黙して、大東亜戦争の研究は停滞したままだ。そして田原総一郎のようなタレントがテレビを占拠して、日本は侵略戦争を行なったとプロパガンダを打ち続けている。中国などからそのように吹き込まれているのでしょうが、NHKなどもアジアを開放したのは毛沢東とホーチミンだと言っているくらいだから、日本のマスコミや歴史学会は腐りきっている。

これではいつまでたっても日本の社会科学の進歩はなく、大学教授は日本にたくさんいてもみんなバカばかりで世界に通用する大学者はいない。世界的スケールで世界史を考える事ができる学者がいないのだ。日本の歴史教育は年表を覚える事に終始して、考えると言う教育を行なっていないのだ。だからバカな生徒ばかり生産されて戦後の60年の歴史教育は停滞してしまっている。

私はよく政治や経済の講演会などに行くといつも思うのですが、講演会に聞きに来る人は老人ばかりで若い人はあまりいない。それも男性が圧倒的であり、女性はあまりない。日本の知的な停滞は若い人の政治的無関心さが原因なのだろう。そしてテレビのお笑いバラエティ番組ばかり見て日本の若者は白痴化されているのだ。それは今の日本政府の政治方針でもあるのだ。


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