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「雲の墓標」といまの若者(伊豆利彦の「日々通信 いまを生きる」)
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投稿者 gataro 日時 2006 年 6 月 28 日 14:36:08: KbIx4LOvH6Ccw
 

http://tizu.cocolog-nifty.com/heiwa/2006/06/212_200628_7584.html から転載。

06/28/2006
第212号 2006年6月28日
伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu

「雲の墓標」といまの若者

阿川弘之の「雲の墓標」について「平和新聞」に短い文章を書いた。

阿川は1920年広島市に生まれ、広島高師付属中学、広島高等学校文科を経て、東京帝国大学の文学部国文科に学び、1942年9月、繰上卒業で卒業し、海軍予備学生として海軍に入隊し、台湾で6カ月の基礎教育を受け、1943年4月、横須賀海軍通信学校で訓練を受け、同年8月、海軍少尉に任官した。

「雲の墓標」は阿川が友人の手記によって創作した小説である。この作品には、京大の国文科で万葉集を学び、1943年12月に学徒出陣で入隊して予備学生になった4人の学徒兵が描かれている。年齢的には阿川より1,2年後輩にあたる。このうち3人は海軍航空隊に入隊し、土浦、出水、宇佐で操縦の訓練を受ける。3人のうち一人は訓練中に事故で死ぬが、あとの2人は特攻隊になって南の海で戦死する。

考えてみれば、ミッドウエーで敗退して以後、空母も全滅し、熟練の操縦士たちもうしなって、1945年の日本は学徒出陣で入隊して1年間の訓練を受けた未熟な操縦士が、援護も受けずに、特攻隊として自殺的攻撃を繰り返したのだった。飛行機も、ガソリンも、そして操縦士もなくなって、日本は降伏したのだった。

阿川はその悲惨な運命を生きた若者たちを描いた。予備学生だった「戦艦大和の最後」を書いた吉田満が「戦艦武蔵の最後」を書いた渡辺清との対談で、大学で西洋の思想や文化に触れた大学出身の予備士官は、皇国思想一本の海兵出身者とちがい、いつも二つの心に引き裂かれ、ゆれ動いていたと語っていた。

阿川は自分よりはるかに苛酷な状況を生きた後輩たちを描き、このゆれ動く学徒出身者の苦悩を作品化した。

吉野は海兵出身者による差別と制裁にに屈辱を感じ、海軍の差別主義、精神主義訓練に反撥するが、しかし、死に直面して、これまでの教養が何の役にも立たぬことに苦しみ、自己を支える覚悟を求めて、次第に周囲に同化し、夢に見た神がかり的な経験に感動したりするようになる。坂井は「天皇に帰一し奉る」ということの深い意味がわかって来たなどといい出す。

藤倉は戦争が敗北に終わることを確信し、決して死ぬまい、出撃を命じられたときは、何らかの非常手段をとっても生き延びようと思案するが、しかし、生き延びてどうするか、敗戦後にどう生きるかということになれば、まったく空しい思いにおちこまずにはいられない。

「不思議な時代ではないか。政治家も軍人も学者も詩人も、芋を食って笑って死ぬることは、繰返し繰返しうたうけれども、生きのこって日本を再建する方途は、誰からも聞くことが出来ない。誰がそれを本気で考えているだろう。このはげしいながれのなかに立って、世界のうごきを政治的に経済的に冷静にみつめるためには、万葉学はあまり都合のいい学問ではなかった。そういう自信も力もない、ただ俺は自己の肌身の感じでこの戦争を拒否するだけだ。」

吉野が手紙に書いたこの言葉が私を打った。
吉野はまた次のようにも書いている。

<母方の親戚で南方からかえった海軍の少将と、中学校の先輩で肺病で左翼の地下運動をやっていた男と、この二人だけが日本の崩壊を予言した。親戚の少将は、日本が先頭に立って、アジアに於ける英米の支配を押し返そうという波は、いつかは起る歴史上の必然の運動だった、しかしそのために日本のやったことは、タイミングをあやまり、ひとりよがりのあらゆるスマートでないことばかりで、いまとなって敗戦がはとんど必至であることは、数字の上からもあらそいようがないと言い、中学校の友は、日本が崩壊することは、気分的な敗戦論としてでなく、科学的な決着として自分は信じていると言った。>

<現在の日本海軍に、少数の意見が力を占めるような徴候はなにもないようだ。そしてまた、わずか数年のちがいで、左翼的な雰朗気というものを全く知らずに学園生活をおくったわれわれは、マルクシズムのことは、ほとんどなにもわからない。たとい全面的に信じないにせよ、一度その洗礼を受けていたならば、こんにち俺たちはもっと、科学的な見とおしを立てる力を持てたのだろうか?>

その藤倉は、誰よりも先に飛行訓練中に事故で死に、次に坂井が特攻隊として死に、そして、吉野も同じく死んだ。

阿川は私より6才年長である。吉野や坂井や藤倉、学徒出陣の世代は私より、4,5才上だ。マルクス主義の洗礼を受けた太宰らもひどい時代を生きたが、阿川や吉野たちもひどい時代を生きた。そして、私たちの世代は、生き残りはしたが、やはり、ひどい時代を生きた。

しかし、彼らは死に、私は生きて、戦後を生きた。戦後の私には、理想もなく、思想もなく、知識もなくて、ただ、空虚な心、荒れ果てた心をいだいて、廃墟の巷を彷徨した。
しかし、私は戦後の60年を生きて、やはり、幸せだったと思う。

そして、いまの若者たちはどうなのだろうと思う。
ただ生きていればいいのか。
その時々の時の流れに流されて、生きていればいいのか。
いまの若者にはいまの若者の不幸があると思う。
そしてまた、幸せもあるのだろう。

「雲の墓標」の世代といまの若者のあいだはあまりに隔絶していて、何の関係もないというような考えが一般的だ。
しかし、その底を探れば、意外に共通するものがあるのではないかとふと思う。

私はさまざまな世代の思いをたどり、いまに生きる若者の心にも触れて、いまを生きる思想、未来を生きる思想のために、自分の生涯と日本の歴史を検討し直す仕事をほそぼそとでもつづけたい。

皆さんの掲示板への投稿、私へのメールをまっている。
梅雨も中休みか、九州は大雨らしいが、東京地方はここのところ青空が見えた。
気候の不順な季節です。
身体に気をつけてお過ごしください。

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