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JMM [Japan Mail Media]  「空気の時代」  冷泉彰彦 
http://www.asyura2.com/0601/bd44/msg/425.html
投稿者 愚民党 日時 2006 年 6 月 25 日 05:00:45: ogcGl0q1DMbpk
 

                              2006年6月24日発行
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JMM [Japan Mail Media]                No.380 Saturday Edition
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「「空気」というキーワードで「流通する日本語」を正確に検証している」村上龍

  日本社会では「空気」がすべてを支配し、その「空気」に対して、ひとりひ
  とりは無力である。日本語の特性と現在の日本語に注目しながら空気との問
  題を解き明かし、コミュニケーションツールとしての可能性を探る。
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▼INDEX▼

  ■ 『from 911/USAレポート』第256回
    「空気の時代」

 ■ 冷泉彰彦   :作家(米国ニュージャージー州在住)

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 ■ 『from 911/USAレポート』第256回
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「空気の時代」

 W杯は日本もアメリカも残念な結果に終わりました。アメリカはガーナのリズム感
のある攻守に屈し、日本はブラジルの瞬間的なレスポンスの集大成に圧倒された、こ
の2試合は実に象徴的でした。それにしても前思春期の幸福な少年時代に「ストリー
ト」でサッカーのリズム感や呼吸感を体得できる文化の何と眩しいことでしょう。

 日本もアメリカも、社会の方向が全く違ってしまっており、そうした「贅沢」を望
む環境にはありません。ですから、ある種「思春期以降」に体制への反発心や、知的
あるいは感性的な「美学」の体得などを支えに「自分のサッカー」を作っていった人
材を集めてゆくしかないように思います。それはそれで長い道のりなのでしょうが、
他に道はないのではないでしょうか。

 それにしても、特に日本の場合は、ブラジル戦の敗戦という瞬間以降、あれほどま
でに盛り上がっていたサッカーの話題という「空気」が雲散霧消してしまったようで
す。W杯そのものはまだまだ続いており、豪州のヒディング采配の行方、初陣ガーナ
の今後の戦い、それ以上に実力チーム同士の対決など興味は尽きないのですが、この
「空気」の消え方の何と早いことでしょう。

 日本にしてもアメリカにしても時代の流れが速くなる一方で、この「空気」の存在
感がどんどん大きくなっているように思います。社会全体を覆ってその方向性を決め
る一方で、流れが変わると一気に消えてしまう、あるいは反対の「空気」に包まれる、
そんな現象が目立ちます。

 まるで現代の社会は「空気の時代」だと言っても良いのでしょう。インターネット
や24時間ニュース局などの普及、政府の情報公開制度や企業の情報開示など、複雑
な社会を支えるだけの情報量は流れているのです。ある政策が発表されれば、必ずそ
の対案や反対意見もメディアには登場します。そうした評価にかかわる情報の質と量
も、決して減ってはいません。

 それでも漠然とした「空気」が社会を支配してしまうのは何故でしょう。それは日
本やアメリカの社会は、複雑な状況に対して「理念と事実」を突き合わせて冷静に把
握する文化を確立できていないからです。例えば、北朝鮮情勢やイラクの問題が良い
例です。

 この二か国が抱えている問題は何なのかを把握するのは複雑な作業です。その作業
が面倒なので、逆に「イラクがテロの巣窟になっては大変」とか「北朝鮮がミサイル
を撃ってきたら」という不安感から「感情的な世論=空気」ができてしまうのでしょ
う。

 サッカーという純粋な楽しみを、薄汚れた軍事外交の話と並べるのはいささか気が
引けますが、今回の日本とアメリカの場合も、それぞれのチームの戦力、そして相手
国の戦力を冷静に分析することは社会全体にはできませんでした。逆にアメリカの場
合は「前回日韓大会はベスト8だったのだから、今回はそれ以上」という根拠のない
期待があり、日本の対ブラジル戦でも「ジーコ監督に遠慮してくれる」とか「主力を
温存するのでは」などという噂がありました。

 そうした「根拠のない空気」は現実に直面すると瞬間的に消えてしまうのでしょう。
それは「空気」が現実に比べて全く内容のないものだったからに他なりません。もち
ろん、プロスポーツ観戦などというものは、そうしたファンタジーの部分も含めて楽
しむものであって構わないのですが、サッカーというものは観客にも「それ以上」の
何かを迫るものであって、そこにはまた別の魅力があるのです。その意味で、「空気」
に流されているだけではサッカーの楽しみは半減してしまうと言えるのでしょう。

 日本の場合について言いますと、こうした社会全体を覆う「空気」の問題は日本語
の問題と密接なつながりがあるように思います。今週発売になった拙著『「関係の空
気」「場の空気」』(講談社現代新書)では、そのことを中心に述べています。組織
の決定が空気によって左右されるのはなぜか?「小泉劇場」が「国民感情」を操れる
のはなぜか?「いじめ」「ひきこもり」「キレる若者」は日本語の問題ではないのか、
長時間労働と少子化の犯人も「空気」ではないのか、こうした点には「日本語の問題」
が大きく関与しているのではないか、これが、この本の着想になっています。

 先に申し上げたように、複雑な時代です。複雑な事象を根気よく分析するのは確か
に面倒です。ですから社会が「空気」に頼ってしまう条件は十分に整っていると言え
るでしょう。ですが、仮にそうであっても、常識的なレベル以上に空気が暴走してし
まう背景には日本語の問題がある、それが本書の一つの柱「場の空気」です。もう一
つは、「一対一の関係」では日本語は「空気」を使った効率的なコミュニケーション
を可能にする性格があり、それは悪いことではないのではないか、という問題提起を
「関係の空気」として取り上げています。

 こうした点については、詳しくは本をご覧いただきたいのですが、この『「関係の
空気」「場の空気」』では取り上げなかった問題が二つあります。それは「混ざり
合った空気」という問題であり、もう一つは「空気の駆け引き」という問題です。今
週の日本・アメリカにとっての大きなテーマであるイラクの問題を例にとってお話し
することにしましょう。

 小泉首相はイラク南部サマーワで「人道支援」を行っていた自衛隊の撤収を表明し
ました。私は、撤収ということそのものには反対しませんが、この決定方法には違和
感を感じます。何故ならは、派兵の際にはあれほどの騒ぎや議論があったにも関わら
ず、今回の撤収には何の議論も起きないからです。では、今回の撤収によって何もか
もが「元に戻る」のでしょうか、そうではありません。自衛隊はイラクに行き、そし
て戻ることで「混ざり合った空気」をもたらすことになるでしょう。それは次のよう
な「空気」です。

 正当防衛以外に火器の使用が禁止されるという条件下、非戦闘地域に限って派兵で
きるというのは「不自然」だから憲法なり関連法規の改正をすべきだという「空気」。
これは「超法規的な戦闘」が起きてしまったから改正の声が上がったのではなく、イ
ラクにおいて何となく「落ち着かない状態」が長く続いたために「空気」を濃くする
ことができた、そんな政権側の計算が感じられます。

 日本の安全保障に直接関係のないイラクにも行けたのだから、例えば朝鮮半島有事
などの「必要な」場合は自衛隊を出してもいいじゃないか、という「空気」。表面に
は流れていませんが、こうした「空気」もあるようです。

 国連の決議によらず「多国籍軍方式」への参加もできてしまったのだから、国連軍
方式だったらもっと簡単に派兵できるだろう、という「空気」。民主党の小沢代表の
立場が「中心」より「少し左」に感じられるような「空気」と言ってもいいのかもし
れません。

 アメリカ大統領の政策は、かなり強引なものであっても、それに首脳の個人的な関
係も含めて「徹底的に追随」することで日米関係を強化できるという「空気」。勿論、
首脳外交というのは首脳のキャラクターによります。ですが、この「ブッシュ=小泉」
方式が「良好な関係」の一つの基準になってしまう可能性はあります。もっとも「8
月15日の靖国参拝」にこだわりすぎると「エアフォースワンでのプレスリー邸訪問」
が吹っ飛ぶ可能性も(私の個人的な観測ですが)あり、最後まで予断を許しませんが。

 この「空気の混ざり合い」には別の要素もあります。それは以上述べてきた「空気」
が「小泉政権主導による「空気」を変えた成果」である一方で、派兵に反対していた
立場からは「悪い事態が解消されるのだから撤収に反対はできない」という「空気」
です。そんな「空気」も混じり合うことによって、何の議論もなく撤収が発表された
のでしょう。そこには「成果を問う」発想もなければ「これを既成事実にしない」と
いう意志もないようです、要するに流されているのです。

 一方でアメリカで起きているのは「空気の駆け引き」です。アメリカはイラクの現
状を作ってしまった「当事者」ですから「混ざり合った空気」のままでは、押すこと
も引くこともできません。そこで、派兵継続か、撤兵時期の明確化か、という二分法
で「空気の駆け引き」をしています。その良い例が今週の月曜日から火曜日に起きた
米兵人質事件でしょう。

 この事件はメディアでは大きく取り上げられました。NBCなどは人質に取られた
若い兵士の親族を出演させて「政府は身代金を払ってでも、救出して欲しい」と言わ
せていました。インタビューアー(マット・ラウアー)は「アメリカの方針は交渉せ
ず、身代金は払わず、ということになっていますよ」と言っていましたが、親族は
「フセインの財宝を差し押さえているのを返還する一部を使ってでも、払え」と強硬
でした(結果的に、このインタビューが放映された直後に兵士の死亡がペンタゴンか
ら発表されています)。

 このインタビューは奇妙でした。これまで民間人が人質になった場合は「身代金を
払わないという方針は分かっているが、とにかく全力を尽くして欲しい」というよう
な「声」を紹介していたのですが、今回は「カネを払ってでも助けて欲しい」とハッ
キリ言わせていたからです。そこにはメディアとして「民間人は行きたくて行った人
間、でも兵士は強制的に派兵されたイノセントな存在、そして本人は人命を国家に捧
げる覚悟のできている存在、だからこそ身代金を払ってでも助けてあげたい」という
複雑なメッセージを「空気」として発生させようというムードがありました。

 これは「米兵の命の重さを考えれば、派兵を続行する価値はない」という「空気」
を社会全体に増やしていって、最終的に政権を「断念」に追い込むという「ベトナム
方式」をメディアなり民主党側なりが行っているということだと思います。一方で、
政権の側は「犠牲があったからこそ、成果を追求する」という「空気」に乗っかって、
お互いに「空気の駆け引き」をやっているのでしょう。

 そこにはイラクの「国のかたち」を考えるクリエイティビティは全くありません。
石油利権を持ったクルド国家の登場はトルコとイランが許さない、同じく石油利権を
持って「アラビア語を話す」シーア派神政国家の登場は湾岸諸国が許さない、同じ理
由で自治性の高い連邦国家もダメ、ということなら「スンニー派支配の世俗国家イラ
ク」が最善の枠組みで、ならばどうしてフセイン政権の自然崩壊を待てなかったのか、
という反省はそこにはありません。

 そもそも、西欧がオスマンから引き離して自分の利権のために勝手に作ったスンニ
ー派イラクの安定性を維持するのだ、という米英としては当然持っていただろう「利
権意識」もなく、ダラダラと「イラク人が自分の責任で民主主義を」という内容のな
い「理念」を説き続けているのも空しい話です。これでは、フセイン政権を崩壊させ
ればそれで良くて後のことは全く考えていなかったと言われても仕方がありません。

 いや現状から出発してあくまで新体制を安定させるのだ、というのなら、シーア派
自治区、クルド自治区を無害化するか、あるいは湾岸なりトルコを含めた集団安保の
枠組み作りに動く、あるいは現イラクの宗派部族間の調整を必死で続ける、そんな動
きもありません。最近ブッシュ大統領は「石油という財産を使ってイラクの統一と繁
栄を」と言い出しており、それはそれで正論だと思いますが、これも中身が伴ってい
るのかは実に心もとない話です。

 こんなシナリオもあり得ます。米軍が撤退した瞬間に、アメリカが「訓練した」イ
ラク軍がスンニー派を中心に「反米」に寝返り、それが旧フセイン政権の支配システ
ムを踏襲した形で「イラクを安定」させるかもしれません。そうなればアメリカのイ
ラク政策は完璧な破綻となります。もしかするとそれが恐ろしくて派兵を続けている
のかもしれません。

 いずれにしても、アメリカ社会を覆っている「空気」は対象が複雑すぎるので、
「空気の駆け引き」をするぐらいしか対立や参加のツールが限られているという病理
だと思います。これに加えて、日本の場合は日本語そのものが「場の空気」の「発生
装置」として機能してしまうという状況があり、更に政策論争などで「空気を混ぜて、
論点を見えなくする」という手法が平気で使われるところに問題があるのでしょう。

 福井俊彦日銀総裁の問題も全く同じです。「格差はケシカラン、だから儲かった福
井さんは極悪人」という「空気」では問題は何も解決しないばかりか、変革エネルギ
ーの「はけ口」にしかなりません。そうではなくて、格差があっても、社会に公正さ
があれば、経済的にスローなスタートをした人でも、チャンスを信じて生きていくこ
とができるはずです。福井総裁の問題は、その公正さという観点から批判がされるべ
きなのでしょう。

 メディアの発達のおかげで人類は「空気の時代」に突入したといって良いでしょう。
そこでは、空気を操る人間、空気に流される人間、空気に抗する人間が、社会という
大きなゲームに参加しているのです。この巨大な現実は否定できません。

 ただ、サッカーとは違って「前思春期」には「空気」とは無縁の環境を子供たちに
与えてあげたいと思います。彼等が無条件で庇護されていると感じ、自分の将来に希
望が持てる、そんな安定した状態に脳を置いてあげることで、空気に抗する強さ、逆
風にも折れないしなやかな自尊感情を育むことができるのでしょう。

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冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家。米ラトガース大学講師。1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大学
大学院(修士)卒。著書に『9・11 あの日からアメリカ人の心はどう変わったか』
『メジャーリーグの愛され方』。訳書に『チャター』がある。
近著『「関係の空気」 「場の空気」』(講談社現代新書)
<http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061498444/jmm05-22>
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JMM [Japan Mail Media]                No.380 Saturday Edition
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【発行】  有限会社 村上龍事務所
【編集】  村上龍
【発行部数】128,653部(2005年8月1日現在)
【WEB】   <http://ryumurakami.jmm.co.jp/>
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