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日ソ戦争に関しては、日本が侵略された側で、米英はソ連の対日参戦を"教唆"したのである
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投稿者 TORA 日時 2006 年 6 月 22 日 13:35:34: CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
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佐藤優(著) 『日米開戦の真実』
日ソ戦争に関しては、日本が侵略された側で、米英はソ連の対日
参戦を"教唆"したのであるから、「平和に対する罪」の共犯者だ。

2006年6月22日 木曜日

◆日米開戦の真実 大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く 佐藤優(著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/409389731X/250-4052047-9021816

今年は極東国際軍事裁判(東京裁判)開廷60周年にあたる。

1946年5月3日の開廷日から長い年月が経っているにもかかわらず、東京裁判は現在の日本外交にも大きな影響を及ぼしている。例えばここ数年来、日本と中国、韓国との関係は、かつてないほどまでに冷え込んでいるが、その大きな原因になっているのは小泉純一郎首相の靖国神社参拝だ。

中国は、東京裁判の結果処刑された(または獄中死した)A級戦犯14名を英霊として祀る靖国神社に、日本国を代表する内閣総理大臣が参拝することはけしからんと言うのである。そもそも東京裁判の当事国ではない中華人民共和国から日本がこの裁判に関係した事案で云々される筋合いはないのだが、ここでは東京裁判という物語が中国による日本という「敵のイメージ」を作る上で現在も大きな役割を果たしていることが重要なのである。東京裁判の亡霊は現在も徘徊し、大きな禍を日本国家と日本人に対してもたらしているのである。

国家指導者が戦争に対して責任を負うのは当然のことだ。特に敗戦の場合、国家指導者が国民からその敗戦責任を厳しく追及されるのは当たり前のことである。しかし、戦勝国がA級戦犯の罪状とした「平和に対する罪」のような、太平洋戦争勃発時に戦争犯罪として国際法に明記されていなかった罪の責任を問われる謂れはない。

仮に「平和に対する罪」が国際法上認められたとしても、東京裁判で日本にこの罪を被せることには無理がある。東京裁判の原告にはソ連が含まれている。1945年8月8日、当時有効だった日ソ中立条約を侵犯してソ連は対日戦争に踏み切った。日ソ戦争に関しては、日本が侵略された側で、「平和に対する罪」を犯したのはソ連である。ちなみにアメリカ、イギリスは中立条約を侵犯してソ連の対日参戦を"教唆"したのであるから、「平和に対する罪」の共犯者だ。つまりソ連、アメリカ、イギリスから日本が「平和に対する罪」で断罪されるような筋合いはないのである。

このようなことを言うと「お前は日本の過去を反省せず、戦前・戦中の時代を美化するつもりか」という非難がなされるであろうが、筆者は、負け戦は絶対にするべきではないという観点から、過去についてもっと反省するべきであるし、それらを美化する必要はさらさらないと考える。ただし、敗戦後にアメリカの謀略工作によって刷り込まれた物語、もっと乱暴な言葉で言うならば深層催眠術から抜け出すことが必要になっていると考える。

東西冷戦構造の下では、アメリカ製の物語の枠組みで行動しても日本国家と日本人が生き残ることは可能だった。もっと言うならばソ連製や中国製の社会主義という物語が浸透するよりは、アメリカ製の物語の方が、理論的完成度は多少低くても日本国家と日本人の生き残りに貢献したと筆者は考える。しかし、冷戦終結から15年が経過し、2001年9月11日の米国同時多発テロ事件後の「ポスト冷戦後」から5年が経とうとしている現状で、冷戦時代の物語にしがみついていてはならない。歴史は繰り返すのである。

唯一の超大国であるアメリカも、アル・カーイダに代表されるイスラーム帝国建設の運動も、地域統合を強めるヨーロッパも、急速に国力をつける中国も、アジアとヨーロッパの双方に跨る地政学的状況を活用しながら帝国復活を目論むロシアも、自已の利益を第一義的に追求している。「ポスト冷戦後」の世界は、帝国主義時代に近い構造をもっていると筆.者は見ている。

このような世界で日本国家と日本人が生き残っていくためには、われわれは自分の頭で考え、知恵(インテリジェンス)を巡らしていかなくてはならない。最近、日本外交が「八方塞がり」に陥っていることを危倶する新聞や雑誌の論評をよく目にする。確かに現在の日本外交は危機的で、周辺諸国のみならずアメリカやヨーロッパの有識者の日本に対する眼も厳しくなり始めている。日本外交の歯車が狂い始めているのだ。こういうときに安直な対症療法をしてもかえって事態を複雑にし、病状をより深刻にしてしまう。いまこそ腰を落ち着けて歴史に学ぶことが重要である。

太平洋戦争直前にABCD包囲網という言葉が流行した。A(アメリカ)、B(イギリス)、C(中国)、D(オランダ)によって日本は包囲されているので、この包囲網を突破せよという国民世論ができあがった。日清、日露の戦役以後、日本人が血で獲得した満州、中国の権益をアメリカ、イギリスの二大帝国主義国が狙っている。これに対して日本は当然の主張をしているというのが日本政府の立場であり、国民も政府の立場を支持していた。

日本人は開戦時、少なくとも主観的には、中国をアメリカ、イギリスによる植民地化支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義国である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強の植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。従って、中国を期間限定で植民地にするが、それは将来中国を植民地から解放するためである、という言説を日本は展開した。これは中国人からすれば受け入れがたい論理である。

ところで帝国主義時代のイギリスは、アジア・アフリカ諸国の人々を劣等人種と見なしていた。だから、自由民主主義、市場経済、法の支配などの西欧的価値観を植民地に輸出しようとは考えなかった。

第一次世界大戦後、イギリスの委任統治領となっていたイラク国家は、襲撃者たちが遠征の前と後とに最も近い駐在所に報告し、殺人と略奪とのきちんとした官僚的な記録を義務として残すという条件の下に、部族による襲撃を大目にみていた。(アーネスト・ゲルナー/加藤節監訳『民族とナショナリズム』岩波書店、2000年、6頁)

しかし、日本はイギリスのような二重基準を採らなかった。日本が提唱した「大東亜共栄圏」は一種の棲み分けの理論である。日本人はアジアの諸民族との共存共栄を真撃に追求した。強いて言えば、現在のEU(ヨーロッパ連合)を先取りするような構想だった。しかし、そこに「アジアを植民地から解放する目的のために一時的に植民地にする」という論理が入っていたため、日本人は"民族的自已欺臓の罠"に落ちてしまった。

第一次世界大戦後、日本を取り巻く国際環境は、帝国主義の嵐の中で大きく変化した。特に太平洋に覇権を樹立し、中国利権に参入しようとするアメリカの対日政策が敵対的な方向へと大きく変化した。アメリカの脅威が増大する中で日本は国家体制を強化するために植民地からの収奪を強める。この過程で日本とアジアの歯車が噛み合わなくなってしまったのだ。

1941年12月8日の日米開戦は、この連鎖の中で起きた。この開戦の経緯について、「客観的に見ればアメリカと戦っても絶対に勝つはずがないのに、アジア支配という誇大妄想を抱いた政府・軍閥に国民は騙されて戦争に突入した」という見方が現在では常識になっているが、これは戦後作られた物語である。

あのとき日本がアメリカ、イギリスと戦争をしなくてはならなくなった内在的論理も大義もきちんと存在する。

1941年12月の開戦直後、当時の政府は戦争の目的とそこに至った経緯を国民に対して論理的かつ実証的に説明することを試みた。その一つが大川周明によるNHKラジオの連続講演(全12回)だ。この速記録は講演が行われた翌月(1942年1月)に『米英東亜侵略史』(第一書房)という単行本として上梓され、ベストセラーになった。

本書を読めば、日本が何故にアメリカ、イギリスとの戦争に至らざるを得なかったかがよくわかる。さらにその内容が、客観的事実に基づいた冷静な主張であることにも驚かされる。本書にはその全文を掲載している。読まれた方は、「鬼畜米英!」などといった過激なプロパガンダが見られないことを意外に思われるかも知れない。しかし、そのことは当時の日本国民の知的水準の高さを示している。

帝国主義の時代において戦争は不可避であった。日本は開戦の大義名分をもっていたし、アジア国家としての筋を通した。しかし、筋を通す正しい国家が必ずしも勝つわけではないというのも歴史の厳粛たる事実だ。

大川周明もA級戦犯容疑者として逮捕され、公判に引き出されたが、精神障害のため免訴となった。本文で詳しく紹介するが、この免訴の経緯については謎がつきまとう。大川が『米英東亜侵略史』の言説を法廷で繰り返した場合、理論的には開戦の正当性について、日本の大義と米英の大義をほぼ互角に持ち込めたであろう。

日本国民は当時の国家指導者に騙されて戦争に突入したのでもなければ、日本人が集団ヒステリーに陥って世界制覇という夢想に取り懸かれたのでもない。日本は当時の国際社会のルールを守って行動しながら、じりじりと破滅に向けて追い込まれていったのである。あの戦争を避けるためにアメリカと日本が妥協を繰り返せば、結局、日本はアメリカの保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。 (P1〜P6)


◆歴史的常識ではC級戦犯の罪が最も重い

第二段階での抵抗は、論理の言葉でアメリカ、イギリス、そしてソ連の嘘を崩すことだ。

少し、小難しい法律論になって恐縮だが、いわゆる「A級戦犯」について少し説明させてほしい。A級戦犯、BC級戦犯という区分がマスコミや歴史書ではよくなされるが、この根拠についてはあまりよく知られていない。A級戦犯がいちばん悪質で、これにB級、C級が続くという印象が浸透しているが、これは誤りだ。

裁判を行うには「ルール・ブック」が必要である。連合国は1946年1月19日付で極東国際軍事裁判所条例という「ルール・ブック」を定めた。敗戦国である日本はそのルール作りに関与できなかった。連合国から言われたルールを「はい、わかりました」と言って受け入れるしかなかったのである。大川が言うように「国際軍事裁判という非常に面倒な手続きをとろうとするのは、そうした方がサーベルや鉄砲を使うよりも、われわれを懲らしめる上に一層効果的であると考えたからに他ならない」からだ。

この条例は第5条で何を戦争犯罪とするかについて定めている。法律で条文を区分するときの1,2,3やイ、ロ、ハのように戦争犯罪のカテゴリーを英文ではアルファベットでA,B,Cと表記している。A級戦犯が特に悪いというニュアンスはないのである。客観的に見て、A級戦犯といわれる裁判所条例第5条(イ)に定められた「平和に対する罪」というのは、国家指導部の戦争責任に関するカテゴリーだ。

国家指導部が、勝ち戦であれ、負け戦であれ、戦争に対して責任を貞うのは当然のことだ。しかし、それはあくまでも政治的な責任で、太平洋戦争勃発時に存在しなかった「平和に対する罪」などという事後法で、外国人によって裁かれるような話ではない。それに前述したように、この裁判の原告には、1945年8月時点で有効だった日ソ中立条約を侵犯して日本を侵攻したソ連が加わっている。

日ソ関係に限定すれば、「平和に対する罪」を犯したのはソ連であり、日本ではない。アメリカ、イギリスがソ連に対して対日戦に踏み切るように要請したことは、日本の立場からするならば、米英がソ連に対して中立条約に違反せよとの国際法違反を教唆したことに外ならない。そのような諸国に日本が裁かれるような筋合いはない。

日中戦争、太平洋戦争は単一の戦争ではない。まず、ソ連との関係において、日本は侵略された立場だ。この点について、日本がソ連そしてその後継国であるロシアからファッショ国家であるとか、軍国主義者であると非難される道理はない。

第二に、アメリカ、イギリスとの関係について、これは通常の帝国主義戦争である。従って、その当時に存在した国際法の枠内で日本に違反があれば、それに対する責任を認めなくてはならない。

第三に、中国を含むアジア諸国に対しては、結果として日本がこれら諸国を植民地にしたことで迷惑をかけ、植民地にされた諸国と諸民族からすれば侵略と受け止められる行為に従事したことは問違いない。この点に関して日本が国家としておわびと反省をすることは当然である。中国が嫌う『新しい歴史教科書[改訂版]』(扶桑社、2005年)においても、「戦時国際法では、戦闘員以外の民問人を殺傷したり、捕虜となった敵国の兵士を虐待することは、戦争犯罪として禁止された。

しかし、二つの世界大戦を通じて、このルールははなはだしく破られた。実際には、戦争で、非武装の人々に対する殺害や虐待をいっさいおかさなかった国はなかった。日本軍も、戦争中に侵攻した地域で、捕虜となった敵国の兵士や民間人に対して、不当な殺害や虐待を行った」(同書、214頁)と記述し、日本の戦争犯罪に対する責任を認めている。過去の歴史的事実に対して潔く責任かなを負うことは、決して自虐史観ではなく、日本国家と日本人の名誉と尊厳の維持に適うと筆者は考える。

ナチス.ドイツの戦争犯罪で最も厳しく弾劾されたのはユダヤ人、ロマ人(いわゆるジプシー)に対する非人道行為や「人種」的な理由による迫害行為で、これは東京裁判では(ハ)つまりC級に該当する戦争犯罪だ。歴史的観点から見るならばC級戦犯がもっとも悪質なのである。現在、中国政府がA級戦犯が合祀された靖国神社に日本の内閣総理大臣が参拝するのはけしからんと文句をつけているが、東京裁判でA級戦犯とされた被告人のうちC級、すなわち人道に対する罪で有罪とされた者はいない。戦前・戦中の大日本帝国とナチス・ドイツ第三帝国が質的に全く異なる存在であることは、「勝者の裁き」である東京裁判ですら認定せざるを得なかったのである。

聡明なアメリカ人が大川の謀略に気づいたのである。松沢病院から大川周明を法廷に呼び戻したならば、大川は『米英東亜侵略史』の論理で、日本が開戦に追い込まれた理由を説明するであろう。東京裁判という「本土決戦」の場で展開されるであろう大川の言葉の力にアメリカ人が怖じ気づいたのだと筆者は見ている。それだからこそ東京裁判60周年のいま、本書を復刻する意味があるのだ。

戦後60年以上を経たわれわれの感覚からすれば、A級戦犯容疑者、開戦直後のラジオ演説、『米英東亜侵略史』という題名などの断片情報からエキセントリックな宣伝放送だったという印象がもたれがちであるが、既にテキストに触れていただいた読者には明白なように、深い学識に裏付けられた合理性を十二分に発揮しながら、対米英開戦という重大決断に関する日本政府の説明責任を大川は見事に果たしている。(P98〜P100)


(私のコメント)
大東亜戦争後60年が経ったにもかかわらず歴史的な評価がなされたとは言えないのは何故なのだろうか? 中国や韓国からA級戦犯が靖国神社に祀られているのはけしからんと言われれば日本の政治家は右往左往の大騒ぎだ。これが東京裁判の連合国の当事者から言われるのなら、裁判の正当性を貫徹する意味からも理解できる。しかし中共や韓国は東京裁判が行なわれた時は存在していなかった。


しかし中共や韓国は日本の総理大臣が靖国神社に参拝することを批判する事が有効な外交カードになることが分かったから利用しているに過ぎない。なぜ外交カードになったのかと言うと日本国内にそれに呼応する勢力があるからで、自民党内ですら後継総裁選びの論争材料になってしまっている。

A級戦犯が犯罪人であるかどうかは国内的には昭和28年に国会決議がなされて決着はついている。それが今でもくすぶっているのは戦争犯罪人ではないが日本を敗戦に導いた責任がはっきりしないまま有耶無耶に処理されてしまったからだ。敗戦責任を裁くと言うことになると天皇にまで責任を問わねばならなくなるから政府は有耶無耶にせざるを得なかった。

もし大東亜戦争が避けられないものであったと証明されるのならば、A級戦犯といわれて処刑された東條英機達の敗戦責任は過失と言うことになるのだろう。だから大東亜戦争での問題の一番の論点は開戦が不可避であったかどうかですが、東條内閣が出来た頃は既に打つ手がなかったと言う事が証明できれば良い。

しかし大東亜戦争の開戦原因を突き詰めていけば、日清日露戦争まで遡らなければならなくなり、歴史の断片だけを取り上げてみても、どうしてこのようなバカな事をしたのかと追求したところで意味はないだろう。外交的な小さなミスを修正することなく積み上げてしまって日本は取り返しのつかない状況に追い込まれたのだ。

しかし敗戦のショックで日本人は思考停止状態になり、東京裁判もただ呆然と受け入れるほどに日本国民は腰抜け状態になってしまった。歴史学会でも大東亜戦争を肯定するような人は右翼か狂人扱いされて学会から葬られるような状況で、とにかく日本は世界に対して全面謝罪を繰り返してきた。

最近の大企業スキャンダルでも事件が表沙汰になった場合、会社の幹部は雁首揃えて謝罪するシーンがテレビでもよく映し出されますが、「事件の再発防止に努めたい」と言うばかりで、原因が会社の社長や会長の暴走に原因がある場合にそれが防止できるのだろうか。事件や事故は突発的に起こるものではなく、小さなミスが積み重なってきて起きるのだ。

人間のすることは小さなミスは防ぐ事はできない。そして小さなミスならば後で修正していけば最悪の事態は避けることが出来るはずだ。ところが事件や事故を起こす組織は小さなミスが起きてもそれを修正して行く機能が麻痺してしまっている。多くの場合は末端の情報がトップまで届かないとかの機能不全の組織が起こすのですが、日本の戦前の歴史はその典型だ。

日本の国家戦略としては朝鮮半島をロシアや中国との緩衝地帯とする戦略は考えられますが、日本の犯した一番の間違いは朝鮮半島を緩衝地帯とはせずに直接統治したことだ。直接支配すればロシアや中国と直接相対する事になり、日本はさらに奥地に満州国を作りましたが、その結果ロシアや中国と小競り合いを繰り返すようになった。

現在においても朝鮮半島は、ロシアや中国との緩衝地帯としておくべきであり、どのような挑発を受けても日本は外交戦略の原則は守るべきだ。また通商路を守るためにはアメリカと敵対的関係になることは避けねばならない。日本がなぜアメリカと戦争をするようになった原因はハルノートを突きつけられたからですが、日本外交が硬直化して軍部の暴走を止められなくなった事が原因だ。

昨日のNHKの「そのとき歴史は動いた」で英国から見た薩英戦争を取り上げていましたが、中国が大戦後になるまでは国家とは名ばかりの国家であり、実質的な英国の植民地であり、砲艦外交で中国を威圧していた。そこへ日本が進出してきたから米英と日本は敵対関係になったのですが、中国を舞台とした日本と米英との帝国主義戦争だった。実際には米英に援助された国民党軍と戦争したわけです。しかし戦後は国民党軍は米英からの援助を打ち切られて中国共産党が支配するようになった。

だから中国共産党が中国を支配できるようになったのは日本のおかげなのですが、毛沢東も日本のおかげだと言っている。だから中国の靖国参拝批判は筋の通らぬものであり、A級戦犯よりもC級戦犯のほうが中国に対する罪は重いのですが、中国はA級戦犯さえ分祀できればよいと言うのも筋が通らない。要するに外交カードとして有効な内は利用しているだけなのだ。

大川周明は東京裁判では醜態をさらしましたが、あれも米軍が仕組んだ「やらせ芝居」ではなかったのだろうか? 命を救ってやる代わりに狂人のまねをしろと言われてやったのではないか? 東京裁判で理路整然と論戦を挑まれたら東京裁判がどうなるか分からなかった。東京裁判自身がインチキであることは連合国自身が一番よく知っており、日本の歴史学者はそのインチキが見抜けない腰抜けぞろいだったのだ。

大川周明が狂人にされた結果、「米英東亜侵略史」は学会から抹殺されましたが戦争プロパガンダとしては筋が通っていると思う。具体的な内容は本を買って読んで欲しいのですが、英国のインドなどの植民地支配は過酷なものであり、英国人自身がその残酷さを指摘している。

英国は日本に対しても砲艦外交で脅してきましたが薩摩藩士は武力で対抗して英国艦隊を撃退した。このように日本の実力を見せ付けることで英国は日本を植民地化することを諦めましたが、大東亜戦争も幕末期の薩英戦争のようなものであり、アメリカは日本の実力を恐れと敬意を持っているのだ。ところが日本の政治家はまるきり幕末の老中と同じ負け犬根性なのだ。


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