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サッカーW杯ドイツ大会 自信と孤独と 中田英の挑戦 約束の場所、目線は前へ  【産経新聞】
http://www.asyura2.com/0601/bd44/msg/335.html
投稿者 愚民党 日時 2006 年 6 月 19 日 06:21:14: ogcGl0q1DMbpk
 

(回答先: 日本、得点奪えず無念の引き分け テキストLIVE 【スポーツナビ】 投稿者 愚民党 日時 2006 年 6 月 19 日 06:10:17)

サッカーW杯ドイツ大会 自信と孤独と 中田英の挑戦 約束の場所、目線は前へ

 中田英寿(29)はピンチに体を張り、必死にゴールを狙った。18日のクロアチア戦でも、中田は攻守に日本の中心であり続けた。だが、勝ちきれなかった。少年時代から「日本をW杯に連れて行き、優勝を狙う」と話していた男は、残す22日のブラジル戦に向け、すでに前を向いている。(今城敬之、皆川豪志)

 酷暑のなかの死闘を終えた中田はいつものクールな表情を取り戻し、「勝てる試合をまた落としてしまった」と話した。

 前半15分、日本最初のシュートは中田のミドルだった。22分にはPKを左手一本で止めたGK川口能活に駆け寄って抱き着いた。35分には中田のミドルシュートがゴール右隅を襲った。後半に入っても貪欲(どんよく)にミドルシュートを狙い、懸命のタックルを繰り返した。だが、ゴールをこじ開けることは最後までできなかった。

 クロアチア戦を前に、中田は外国人記者の質問に「日本の方が強いと信じている」と、英語で答えていた。このチームなら、その思いが強い一方、仲間にも厳しい態度で接してきた。

 練習では、他の選手のボール回しの輪にほとんど入らず、スタッフとのパス交換や、ストレッチに没頭していた。妥協を許さない孤高の姿はチームに緊張感を与えていた。

 W杯前最後の親善試合、マルタ戦後には「収穫はない。走らないことにはサッカーはできない。その根本ができていない」とチームに厳しい言葉を投げた。

 予言は初戦のオーストラリア戦で、終盤の逆転負けとなって的中した。ジーコ監督も「常に自分のすべてをつぎ込めるのは才能かもしれない。そこでプロの値打ちは決まる。いまの時点では、中田と他の選手には差がある」と認めていた。

                 ◆◇◆

 中田の孤独は、今に始まったことではない。

 山梨県立韮崎高校時代、すでに中田は「ピッチでは上も下も関係ない」と、先輩も呼び捨てにして指示を出していた。当時のサッカー部監督、田原一孝さん(59)は「ハーフタイムにも僕は最初に少し話すだけ。後は中田に任せていた。求めるレベルはすごく高かった」と話す。

 中田は、中学3年でジュニアユース代表として日の丸をつけて以来、年代別の日本代表から一度も外れていない。欧州クラブと日本代表を行き来する現在と同様、レベルの違う2つのチームでプレーを続けるジレンマは常につきまとった。

 中田の同級生でサッカー部主将だった小泉圭二さん(29)は「海外のユースと戦った直後に、地元の高校との練習試合でも全力でプレーする。一人だけプロが交じっているようだった。レベルの差は感じていたはずだが、それを埋めるために必死で指示を出した。ヒデのリーダーシップの原点はそこにあると思う」と話した。

 代表合宿の帰りにはサッカー部の仲間全員に土産を買い、大舞台で得た経験を熱心に話した。部員の一人が「日本もいつかはW杯に行けますか」と聞くと、笑いながらこう答えたという。

 「行けるよ。だってオレがいるから」

 中田が1年のときにサッカー部長だった守屋勝久さん(60)には忘れられない思い出がある。中田が高2の終わりごろ、出張帰りに新宿駅のホームでばったり会った。中田は代表合宿の帰りで、守屋さんを見つけて追いかけてきたのだという。山梨に向かう特急「あずさ」の最終列車で2人は語り合った。

 「おまえならブラジルでも通用するんじゃないか」「いや、僕のプレーはパスでつなぐ欧州型ですから、いずれはイタリアに行きます。そして必ず日本をW杯に連れて行って、優勝をねらいます」

 守屋さんは言う。「とても高校生の発言じゃなかった。田舎の純粋な少年が、10代からたった一人で日の丸を背負い続けた。そのプレッシャーは、彼を想像以上に大人にしていた。本当はサッカーが大好きなのに、彼のレベルでは、好きだなんて言っていられなかったのだと思う」

                 ◆◇◆

 中田は最近、1998年のフランスW杯当時を「自由に動けて楽しかった」と振り返ることがある。それは、名波浩や山口素弘といった大人のMFが中田を生かしたからでもあった。ドイツW杯の中田は「僕の役目は中村俊輔を生かすこと」とも語っている。立場は逆転し、ようやくともに戦える仲間たちに出会えたはずだった。

 今の代表でもチームに厳しい言葉を投げ続ける中田を、田原さんはこうみている。「今は日本代表の多くも海外でプレーしてレベルを上げ、自分と同じ道を歩み始めている。だからこそ物足りなさを感じているのではないか。代表としての自覚が足りんじゃないかと」

 29歳のいま、周辺では「今大会が中田の最後のW杯」ともささやかれる。だが、このままでは終われない。決勝トーナメントに望みをつないだブラジル戦は「本当にもう、勝つことだけを考えてやりたい」。中田はそう語った。

http://www.sankei.co.jp/news/morning/19na1003.htm

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コメント
1. サムさん[1] g1SDgIKzgvE 2019年1月08日 10:33:21 : Sv7b2vhL36 : __u33G4GN7k[1] 報告
元から、中田英寿氏は、サッカー日本代表のW杯優勝を目指してきたんだ。
その姿に、海外クラブ在籍の経験も無い当時の日本代表”国内組”メンバー達は、付いていけなかったんだな・・。もっと、周りの代表メンバーが本気になって、話しに耳を傾けていたら、後から、その場にいた全員のサッカー人生が変わったんじゃないかな。
2006年当時の日本代表メンバーでは、中田英寿氏が抜きん出ていた感がある。
今となっては、中田英寿氏の言動や行動に理解が増してきた。
中田英寿氏の戦術眼として、ディフェンスラインを高く保って欲しい、という点だった。
日本代表の主将となった宮本元選手が、中田英寿氏に嫉妬して、何度か中田英寿氏の意見に反論し続けるようになっていった。当時の宮本元選手は間違った戦術眼を持っていた。
ジーコ監督が日本代表の主将として、中田英寿氏に指名していれば、メンバー全員が中田英寿氏の「戦術の考え」などに耳を傾けていたのだろう。今の日本代表、さらなる飛躍を心から祈ります。
事実、サッカー日本代表のユース世代以降、ひと先に中田英寿氏が毎回、選出されており、一度も代表漏れが無い。それに対して、宮本元選手はジェラシーを抱くようになっていったならば、納得。国内組の派閥と海外組の派閥と分かれてしまった空気感は残念に思う。今の日本代表に対して、中田英寿氏はどんな印象を抱くのだろう。

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