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インタビュー・和田義彦
http://www.asyura2.com/0601/bd44/msg/182.html
投稿者 white 日時 2006 年 5 月 29 日 19:02:40: QYBiAyr6jr5Ac
 

(回答先: 作品酷似で文化庁が調査 「盗作された」と伊画家 [共同通信] 投稿者 white 日時 2006 年 5 月 29 日 11:20:54)

□インタビュー・和田義彦

 http://apm.musabi.ac.jp/archives/2005_ip/apm05247ny/

インタビュー・和田義彦(画家)×八重樫典子(武蔵野美術大学芸術文化学科学生)

『変化する芸術、原始にかえった創造』

和田義彦は今の時代を代表する画家である。
神社の神主の長男として生まれた和田氏は1959年、見事ストレートで東京芸術 大学油絵科に入学。大学ではボクシング部に所属し、チャンピオンにまで登りつめたという意外な一面もある。イタリア留学から学んだものを生かした従来 の作品は主にカフェが舞台になり、そこで様々な物語が繰り広げられる。
しかし、最近はその作風・主題が変化したようで、私は常々その理由が気に なっていた。今回作品についてのお話と共に、 和田氏の創造の原点について 伺っていきたい。

01.画家になるまで『ミケランジェロの声が聞こえた』

-学生時代ボクシングをされていたようですがそれが今の先生に繋がってきているものってありますか?
「『継続とは力なり』ということです。ボクシングは途中で諦めたら倒されちゃうんです。諦めたら終わりですね。駄目でもずっと同じことを繰り返していたら、いつか何かが出来るようになるっていうことをボクシングから学びました。別にボクシングの才能があるとか思わなかった。ただその時は絵よりボクシングの方が好きだったからずっと続けて一生懸命やっていたら、みるみる頭角が出てきて、芸大のチャンピオンにもなりましたし、他の大学との試合でもみんな倒しちゃって、学校ですごく有名になりました。学内の新聞に『芸大のヒーロー和田義彦』って載って『あしたのジョー』みたいになっちゃって。『あぁ、これだ!もうやるっきゃない!』と思ったんです。単純ですね。(笑)」

-ボクシングの大学生時代を終えられ、大体いつ頃から画家になることをご決心されたんでしょう?
「26歳の時、タレントにはならないし(前年、黒澤明監督のオーディションに受かったが辞退)どうしようかって考えた時に自分の足元に絵があることに気が付いたんです。また、ちょうどその時、野見山暁治という偉大な先輩が銀座で個展をやっていたんですね。彼は留学をしていました。で、喫茶店で二時間海外の話を聞いたんですよ。そのたった二時間で自分の人生が決まりましたね。2年間イタリア語を学んでイタリア政府留学試験に受かり、ローマに行きました。学んだのは現代美術と古典です。はじめそれらが両立してあったことにびっくりしました。ちょっと歩けば美術館にレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロがあって、そこからちょっと裏に行くと画廊に抽象画とか現代美術の作品があって。あまりにそれらが近くにあったんです。ローマでは建築にしても、新しいものと古いもの、全てが同居していました。その中で、新しいものはいつでも見れるけれど古いものは今しか学べないと思って、美術館で古典絵画の模写をはじめたんです。」

-大体何枚くらい描かれたんですか?
「6年間で6枚です。それだけ時間がかかったんです。普通だったら2年で留学を終えるんですが6年もかかってしまいました。」

-六年間留学されたことで、技術的なもの以外に得たことはありましたか?
「古典絵画の名画を模写することで、その『精神性の高さ』に気付きました。美術館で見るだけだったら、いくら見ても分からないんですけど筆を通して見ることでダ・ヴィンチ、ミケランジェロの声が神様のように伝わってきたんです。それが、今美術館の人たちが僕のことを「十年に一人」という理由になったようです。「精神的な高さが吐出している」と。人間は軽いですけど、絵は位が高いって言われました。(笑)それから、模写は絵との戦いですが、観光客との戦いでもありました!ある時、五ヶ国で「模写の途中につき、喋り掛けないで下さい。」と書いてそれを背中にぶら下げながら絵を描いていたんですけど、それをみんなカメラに撮って笑うんですよ。バカバカしくなって1日でやめました。(笑)」

02.作品について『変化するのが和田芸術』

-先生が作品を作る理由とは、伝えたいことがあるからですか?それとも表現したいということの方が強いんでしょうか?」
「両方ですね。けど、表現したいという方が強いと思います。まず自分の描きたいものがあって、そしてそれを誰かに見てもらいたい、褒めてもらいたいということではなくて批評してもらいたいんですね。自分の描きたいものが他の人にどう映るかということが知りたいんです。」

-描く主題はどのように決めるのですか?
「まず、生き物に興味があるんです。人間、それから動物ですね。」

-先生の描かれた作品には物語性があるように見えます。
「学生の時に演劇、映画をたくさん見ていましたんですが、イタリアでのフェデリコ・フェリーニという映画監督の出会いが僕の芸術観を変えることになりました。なんでも分かるものだけが良い映画ではないんですね。絵でもそうですが。フェリーニは芸術的な映画をたくさん撮っていまして、とても難解な映画でした。僕はその映画のシーンの絵を描きました。演劇、ミュージカルやバレエとかたくさんのものを留学先で見ましたが、それら頭の中にあるものを今絵に描きだしているんです。僕にはたまたま絵があっただけのことであって、もし演技力があったら舞台でそれを発表していますね。出来たら映画とか色々なことをやってみたいです。次の美術館展が終わったら、小さな映画を作ろうと思ってます。」

-どんなものを作る予定なんでしょう?
「恋愛モノでないことは確かです。泣いたり笑ったり、感動することが分かっている映画はもう人が作ってしまっているので興味がないです。和田芸術だけの映画っていったら…と考えると非常に難しいですね。ただ、出来たら素晴らしいものになる予感がします。」

-作品で場所をカフェとされることが多いようですが、それも映画などからのインスピレーションなのでしょうか?
「僕の作品で『食べる人』というのが最近話題になったんですね。僕はカフェだとか食事をする場所で話ながら芸術観を伝えるんです。食べながら文化を語るんですね。他の人も政治の話、親子喧嘩や商談を食べながらするんですね。そういう姿はすごく絵になると思っています。」

-いつもムサビ(武蔵野美術大学)の生徒と話す場所をここ(食堂)にしているという理由もそういうことからだったんですね!
「そうですね。この食堂も次の展覧会で描こうと思ってますよ。」

-えっ!本当ですか?楽しみにしてます。

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 http://apm.musabi.ac.jp/archives/2005_ip/apm05247ny/2p.html

-最近の作品は割と社会的な問題、例えば戦争などに関係するものが多いようですが。
「僕の周りには宗教とかやる人達が結構多いんですね。そういう人達がお茶をしている時の会話でイラクの戦争で仲間が殺されたとかよく耳にするんです。私も外国で勉強していましたからそういうことをすごく身近に感じるんですね。僕は反戦運動は出来ませんから、絵によってそれを表そうとしています。『戦火の子どもたち』はイラク戦争が起こった時に描いたものです。」

-そこでは伝えたいという気持ちの方が大きいということですか?
「リアルタイムに起こったことはすごくインパクト大きいんですね。今そこで起こったことに一番関心があるんです。猫が死んでしまったときはイラクよりもっと関心がありました。けど、そういうことは一瞬のことなんですね。イラクの問題はずっと続くものだから、テーマになります。「描きたい」というか「描かなきゃいけない」というか、両方です。問題提議をするっていうんでしょうか。そういうことはいつの時代でもあると思いますよ。」

-先生の作品は一貫性というよりは、その一瞬一瞬を見せていくものだということですね。
「そうです。マチス、ピカソとか巨匠はみんな変化しているんです。ずっと同じテーマで描き続けるのは日本人だけです(もちろん日本人は全員というわけではありませんが)。外国の作家はみんな変わり続けてます。1日1日心のあり方が変わるように変化、変身していなければおかしいと思うんです。なぜなら、人間の心の反映が芸術であるからです。」

-『大陸の空』と『鳥』では作風が抽象的な感じにガラっと変わったようですね。
「『大陸の空』と『鳥』は最近描いた一番最後の作品なんですけど、美術館の人から「和田芸術とは何か」ということを問われたんです。『大陸の空』は中国で取材したこと、『鳥』はこの大学の小屋で孔雀を見たことが発想の元ですが、このニ作品で美術館のお客さんに「和田芸術とは何か」を決定的に決めようと思ったので、すごく大変な仕事でした。これらは理解するのに難しいと思いますけど、美術館の人が褒めてくれたのはこの二作品です。万人には納得がいかないし、分からないって言われると思うんです。でも僕の中では、暗い色の中に鳥がうごめいている状態、これは人間の心の暗部と未来を象徴するようなものを表現しているつもりなんですね。『大陸の空』というのは、中国には島国の日本にはないようなものすごい広さがあるんですがそれを表現してみたいと思いました。空がすごく大きくて、山が本当に小さかったんです。」

-抽象的に表現しようとした理由としては何かあるんでしょうか?
「具体的に描くと、見る人は写真を見るようにモデルだったらモデル、花だったら花の方に心が奪われます。姿かたちの表面的なものに惑わされてしまうことがあるんです。僕は具体的に描かないほうが奥が見えると思うんです。風景の奥、人間の奥、花だったら花の生命体ですね。姿かたちを取ってしまっても、生命体があったら、必ずそこにかたちはあると思うんですよ。それは抽象に見えますけど、やっぱり僕のなかのひとつの「かたち」なんですね。だから、時には抽象的なものにもなりますし、時には姿かたちを借りてその美しさをそのまま模写のように描くこともあります。どちらも僕にとっては大切です。幅が広いのが『和田芸術』なんです。」


03.最近の美術界について 『自分の世界を保つということ』

「僕は日本の作家で興味のある人は少ないです。外国の人は絵がどんどん変わっていくんですね。日本人は変化がない、もしくは変化がありすぎるんです。変化がありすぎるのもおかしいんですよ。具象から抽象に急に変わるんです。その原因は『流行』ですね。『流行』は日本人のための言葉だと思います。日本人は影響を受けやすいんです。島国だからでしょうかね…。中国人の人は何故影響を受けないのかと聞いたら「大陸だから」と言っていました。今、非常に大きな日本の問題点は、影響されすぎちゃって自分の世界があって、ないような感じになってしまうことです。三種の神器からの膨大な情報量も原因だと思います。」
-先生も自分の世界を保つことは難しいですか?
「難しいですね…すごく悩んでます。毎回行き詰まってます。」

-特に先程話されてた映画を作るということになると世界観を保つのは難しくなるように思います。
「そうですよね。ただ、一つ言えることは僕は人の何十倍もものを見ています。それから自分でも「よくこんなに…」と思えるほどたくさんの人と付き合っています。そういう他人の世界が知らないうちにどんどん入ってきているんですね。そうすると逆に影響されないようになります。」


04.『和田義彦にとって絵を描くこと=創造とは?』

-最後になりましたが、先生にとって絵を描くこと、創造とはどのような意味を持っていますか?
「創造とは、ひとつは自分の生きている痕跡、足跡です。それを僕の場合は画面に定着させるということですね。それから人間には夢があります。現実と夢の両方に対して向かうのが創造の原点だと思うんです。儚い夢というのは僕は好きじゃないです。確実に人間が作り得ることができる夢って、あると思うんです。それが人間の生きてきた足跡です。『天地創造』という言葉は人間が生まれた状態のことを言うんですよね。創造は原点みたいなものです。どう思われますか?」

-創造の原点というとアルタミラの石窟絵画などが最初の美術作品だと言われていますが、そういうものがどうやって「日々の需要の中から作るもの」から切り離されて美術作品という創造物になったのかに興味がありますね。
「ピカソはアフリカの原始彫刻に影響されたんです。原始に戻って仕事をしたという有名な話ですね。僕は『原始に振り返る』ということが創造においていつも一番大切なことだと思っています。」


2005年11月10日 武蔵野美術大学にて
インタヴューアー:八重樫典子


画家●和田義彦
1940年三重県生まれ。東京芸術大学大学院卒。
1964年はじめての個展開催。以後数々の賞を受賞。
1971年6年間イタリアに留学。
帰国後数々の個展を開催。挿絵なども手掛ける。
2002年には東郷青児美術館大賞を受賞。同年9月受賞記念の「第25回安田火災東 郷青児美術館大賞受賞記念-煌く時-和田義彦展」開催。
2005年三重県立美術館、渋谷区松濤美術館、茨城県つくば美術館の三館巡回の 「和田義彦展」を開催。
現在武蔵野美術大学油絵学科非常勤講師

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