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週刊日本新聞〜太田龍の時事寸評http://www.pavc.ne.jp/~ryu/cgi-bin/jiji.cgiより
平成十八年(二〇〇六年)五月一日(月)
(第一千六百六十四回)
○マーク・レーン著、中野国雄訳
「ケネディ暗殺の謎―オズワルド弁護人の反証」
徳間書店、昭和四十七年
○この本の英文原著は
Rush to Judgment by Mark Lane(1966)
○この本は、
オズワルドの母親から、殺されたオズワルドを弁護してほしい、と依頼
された、マーク・レーン弁護士が、一九六六年に出版したものである。
○邦訳本の解説によると、
○マーク・レーンは三十九歳(一九六七年の時点で)。
第二次大戦中、米陸軍情報部に勤務。
除役後、ロング・アイランド大学法学部に入り、ニューヨークの
イーストハーレムの貧民街で弁護士を開業。
一九六〇年、ジョン・F・ケネディ上院議員(当時)この支持を得て
ニューヨーク州議員に当選。翌年、人種差別階層の“自由の騎手”に
加わってミシシッピー州で逮捕され、州議会から超党派で追放された。
○ケネディ暗殺事件に当っては、
オズワルドの母親マルグリート夫人の依頼により、殺されたオズワルド
のウォーレン委員会に対する代理人を無報酬で買って出た。……
○とある。
○マーク・レーンの「大がかりな嘘」(一九九一年。邦訳は一九九二年)
によれば、
○この「ラッシュ・トゥ・ジャジメント」は、米国の世論を変えた、
と言う。
○そしてそれは、四十年後の今日なお、版を重ね、
○ケネディ問題に於ける必読の古典として米国内で読まれて居る。
○しかし、日本ではどうか。
○本書の邦訳が出版された昭和四十二年(一九六七年)は、
○ベトナム反戦運動と結び付いた、
○いわゆる全共闘運動が日本の全国大学で高揚して居た時期にある。
○筆者は、その頃、
日本人はこの本についても、一般にケネディ暗殺問題についても
殆んど全く、関心を持たなかったように記憶して居る。
○しかし、
マイケル・コリンズ・パイパーの著作「ケネディとユダヤの秘密戦争―
ケネディ暗殺最終審判」(太田龍監訳、成甲書房)の邦訳本が出た今、
○日本人は、
○ようやく、ケネディ暗殺問題を正面から検討することの出来る、
そのような状況を作り出したのである。
○マーク・レーンは、
本書の第一部で、「三つの殺人事件」を論じて居る。
○三つとは何か、それは、
(1)ケネディ暗殺事件
(2)米国官憲が、オズワルドによってなされたと称する、
テイピット警官殺害事件。
(3)オズワルド逮捕の二日後、オズワルドを射殺した、
ジャック・ルビーによるオズワルド殺人事件。
○マーク・レーン弁護人は、
この三つの殺人事件についての米国官憲の公式説を綿密に検証して
それを完膚なきまでに論破した。
○本書が、米国の世論を変えた!!
とされるのも当然、と思はれる。
○本書を改めて、多くの有志が熟読、熟考されることを期待する。
(了)
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