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おーるさん、転換期のサイト作家
http://www.asyura2.com/0601/bd43/msg/649.html
投稿者 愚民党 日時 2006 年 4 月 23 日 16:42:50: ogcGl0q1DMbpk
 

●転換期の表現者は、これまでのものを総括すると同時に、次なる時代を模索する「表現の未来」を提示する。

加藤周一「日本文学史」の言葉が忘れられない。加藤周一は鎌倉時代の造形仏像作家運慶にそって、「転換期の表現者」を批評言語へと置換した。日本文学は同時に造形でもあった。古代以来、日本の思想とは造形でもあった。そこに集約されたものがある。現代美術とは現代思想の展開でもあった。

おーるさんのダイレクトな生き様と死に様は、今日の日本に何か原点をまさぐる呼び声のような気がしてならない。2006年3月21日朝、最後の更新の後におーるさんは買い物にいったスーパーマーケットの駐車場で倒れ亡くなった。三島由紀夫の死と寺山修司の死が重なる。おーるさんの死は日本文学史における死であると思う。その文学とはインターネットで読む読者にとっての文学でもある。

「表現の未来」という言葉を聴いたのは、暗黒舞踏「大駱駝艦公演」の吉祥寺での小劇場で観戦した後だった。自分は出演者のお客様と近くの飲み屋に入った。そのお客様は伝説的なアンダーグランド劇団「風の旅団」の創設者のひとりでもあった。

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●おーるさんが平成の私小説作家と書かれました方のブログです。

【蛾遊庵徒然草】



あるブロガーの死―「新じねん」管理者おーる氏―を悼む。

 3月24日(金) 晴れ、夕方より曇る。日中は暖、甲府で桜、開花宣言。

 昨晩、いつものようにネットサーフィンで「きっこの日記」を開いたら、「追悼、おーるさん1」という見出しが目に飛び込んだ。

 何だろうと思いつつ読み進むうちに軽い衝撃を受けた。それは、私が毎晩必ずチェックしている「はてなアンテナ、tamaokaのアンテナ」に、アップされている「新じねん」ブログの管理者おーる氏が、21日の朝亡くなったとのこと。

 「新じねん」は、”きっこさん”も毎日みていたそうだ。そして、おーる氏の友人から、こんなメールが届いた、そうだ。

『お名前:●●●●
E-mail:xxxxx@xxxxx.or.jp
コメント:きっこさん、はじめまして。既にご承知かもしれませんが「新じねん」の管理者おーる氏が、去る21日午前10時55分に亡くなりました。近くのスーパーへ重病をおして自転車で行き、駐車場で膝を折るようにしゃがみ込んで倒れて、亡くなりました。想像を絶する赤貧生活の中、10年間に及ぶ赤裸々な日記を世間に晒すことによって、自己の巨悪への闘志を駆り立て、命をちぢめて戦い続けた彼の生き様は、緊張感を持たない堕落した精神で安易に日常に埋没する我々に、一筋の神の光のように天空より降り注がれます。どうかお願いです。彼の存在を日記で取り上げてやってください。●●●に行って、在りし日の彼の生活の名残を目の当たりにし、絶句するばかりです。どうぞどうぞよろしくお願い申し上げます。』

 (※『 』内は、きっこの日記よりコピーさせていただきました。“きっこ”さんは無断引用を厳しく禁じられていますが、この部分はきっこさんの文章ではないので、お許し願えるかと勝手に判断させていただきました。)

 このような経緯で、おーるさんの死を、きっこさんが多くの読者に“お知らせ役”をすることになったのだ。

 早速、「新じねん」のページに跳んだ。

『昨日←06/03/21(火)→翌日  [私的めもらんだむ]
○1時
急に眼がおかしくなってる。ヤバイな…  冠婚葬祭はもっと質素に、自然体で出来ないものかといつも思う。日頃の不摂生が寿命を縮めるのだと戒めて、明日から、いや今から眠ることにしたい。
○9時
今日は7時に起床。喉カラカラ、スーパーでいつもの「K酢で元気チルド」270円を買う予定。紙パックの黒酢で一番安い。それとブルガリアヨーグルト、これが昼食だ。それより猫の食事が先だな。…で、今も後頭部が首筋付近に違和感あり、血圧が上がっている証拠。熟睡できなかったようだ。
ヤフーのブログを設定した。でもどう使うか迷ってる。とりあえず楽天のブログ名「新じねん追記」と同じにしておいた。』
 これが絶筆であった。

 ヤフーのブログページにも跳んでみた。枠だけで何も記されてなかった。おーる氏は他にもブログページを開いていた。「れいんぼう」の名で。

 ここまで辿ったのは初めてだ。そこで目に付いた記事を拾い読みした。

「貧乏克服日記―わが青春の残像を求めて」(04/02/04)
これによると、おーる氏が中学生の頃、町工場の実家が丸焼けになり危うく焼死しかけたこと、以来、工場再建、不況と生活苦に陥った経過が綴られていた。
そして、救いは、04/05/08(土)付け「五月の堤防に菜の花の咲く」の題の下に美しい写真と詩が掲載されていた。

 「新じねん」の魅力は、情報量や、記事はもちろん、それ以上に事件の中身を読み解いた複雑な関係を分かりやすく図解した見た目も美しいチャートや3Dグラフィックスを駆使した写真・動画にあった。直近のライブドア関係のものなんかも素晴らしい出来栄えであった。

 その後に、「私的めもらんだむ」の見出しの下に時間を追っての、ご自身の厳しい生活のありようがつつみ隠さず書かれていた。愛猫たちへの思いが溢れていた。

 私は、その貧乏生活ぶりを読者へのいささかの誇張と思って読んでいた。何故かというとこれだけ凝ったブログのページを日々アップするためには、とても半端な手間隙では済まないと、思ったからだ。
 時間とお金が無くては、とてもできることではないと想像したのだ。今、上記の友人の方からの手紙を拝見して大変申し訳ないことをしてしまったと恥じ入る。

 まさに、おーる氏は、命懸けでブログと取り組んでこられたのである。そこには、無責任な政治への怒り、真面目に働く人々の膏血を騙し取る巨悪への憤怒、その一方で癌を病む妹さんを案じ、野良猫を愛し、音楽を愛する詩人でもあったのだ。
 
 ブログでは残念ながら、その顔も見えず、声も聞けない。だが私の脳裏には、ある一人の優しく繊細な心情を秘めた純粋無垢な好漢のイメージが深く焼きついている。
 そして、氏は、ブログという新しい媒体を駆使した平成の最初の「私小説作家」ではなかったのかと思うのだが。それは「暢気眼鏡」の尾崎一雄とか、昭和の一群の貧乏を恐れず自己の内心の葛藤と現実の生活、時代との葛藤を命を懸けて書き綴った作家たちのように。

 末筆ながら改めて、心から「新じねん」おーる氏のご冥福をお祈りいたします。合掌。

http://blog.goo.ne.jp/gayuuan239/e/d2122b62e9013a67d8f6ba203222977b


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石川啄木の時代は、短歌にしても小説にしても明治時代の文学青年たちは、血を吐きながら、近代の表現をつくりあげていったと思います。

おーるさんはインターネットでの表現に全力投球していきました。

おーるさんの表現を、おーるさんが亡くなってから発見された方も多くいらっしゃると思います。おーるさんの格闘はやはり、インターネットという新しい媒体で全面展開しながらのサイバーアーティストだったのではないかと自分は思っています。

明治時代の文学青年たちは、文語体から口語体への転換を、貧困と病気の苦闘のなかで、全力投球で、なしとげていきました。おーるさんの気迫は、明治時代の表現者に通じるものがあるのではないかと思います。

「むきだしの魂」を持つものは表現するしかないのですが、「むきだしの魂」を忘れた現代だからこそ、おーるさんの死と表現は、多くの方々の魂をゆさぶったのではないかと思います。

わたしにしてもおーるさんの文章を読むことは、対象であるおーるさんとの格闘でありまして、体力と精神力がなければ、没入していけません。まず「新じねん」のデータをブログへのバックアップ保存をしてその作業を完了してみようと思っております。その作業の後に、最初から読んでいこうと思っています。

おーるさんがインターネットを媒介にした表現、その全的活動の貫徹のなかで死んだ作家性あるサイバーアーテイストとしては、最初の人間として評価されていくであろう予感はもっています。


加藤周一の「日本文学史」でも、日本の場合、仏像彫刻造形と文学の関係は深いというコンセプトがあります。

「転換期の表現者はこれまでのものを総括すると同時に次なる表現形態を押し出す」という内容を、加藤周一は「日本文学史」のなかで提示しておりますが、おーるさんは転換期の表現者だたっと思います。ゆえに、貧乏と病気の苦闘のなかで書いていった昭和の私小説作家、あるいは明治の文学青年たちの文語体から口語体表現の建設への苦闘を、記憶装置から呼び起こしてくれるのだと思います。

おーるさんの「むきだしの魂」からの叫びは、やはり強烈です。インパクトがあります。おーるさんは多くの人に発見され語られていくと思います。さらにおーるさんを語る価値はあるわけです。

男であるわたしがおーるさんのことをかんがえる場合、どうしても観念的なところから入っていかざるをえません。おーるさんを平成の私小説作家であると位置づけた方のように、コンセプトにおいて評価していくわけです。文学史とか精神史とか文明史みたいなところから発見をしていくわけです。おーるさんが現代に何を提示したのか、などとそんなことをかんがえる回路に、どうしてもなってしまいます。こうした男性的思考も重要であると思っています。男性の読者も多くの方が、おーるさんの文章を読み涙を流したと思います。おーるさんは、読者のわが面を涙によって洗ってくれたのです。そこで感じたものは現代への反省まで及んだのではないでしょうか。現代にも貧困と病気の苦闘のなかで書いていったそして死んでいった私小説作家の存在は、インパクトがあったのです。

今日の文学をサイト作家に発見する、それも文学批評の現在進行形であり、寺山修司なのです。そして作家の起源とはおのれの表現こそが家であると定義された人間かもしれません。<ものをつくる>ものとは表現によってしか埋められない喪失感かもしれません。今はただ酒を飲むしかありません。わたしどもアンダーグランド非人間はたしかに廃墟ですが、廃墟だからこそ「表現の未来」も希求してもいるのです。

山谷・日雇労働者の現場から産まれた映画「やられたらやりかえせ」
草むらの廃墟のシーンが忘れられません。文化と表現は日本の底、アンダーグランドにある、それを生涯の礎にして、くたばるまで生きてやろうと思います。

「やられたら、やりかえせ!」

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