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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu118.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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渡部昇一・日下公人 日本海海戦はレパントの海戦だった
日本は外国の敵意や悪意を想定する能力に欠けている
2006年4月19日 水曜日
◆日本人にとっては大東亜戦争とは何であったのか 渡部昇一・日下公人
http://www.tkfd.or.jp/news/article/pdf/seiron0509.pdf
◆日本海海戦に「レパントの海戦」を見たアメリカ
日下
当時の私の記憶で申し上げると、日本人の多くが、アメリカは善意の国なのか悪意の国なのか判断に迷っていたように思います。日露戦争から大正時代にかけては善意の国に見えていたでしょう、自由や民主主義を謳ったハリウツド映画も日本人な大好きだった。ロシア革命までは日本も独自に民主主義の道を歩んでいましたからなおさらです。
と二ろが日露戦争以後のアメリカはだんだん日本敵視の政策に傾いていった。日本人には土地の所有権も借地権も認めないという排日土地法(カリフォルニア州法)を皮切りに、一九二四年に制定された排日移民法まで、露骨に人種差別を仕掛けてきた。たしか昭和天皇も、排日移民法が日米間において最もショックだったと語られています。
そのあとに真綿で首を絞めるようにやってきたのが先に触れたスムート・ホーレー法です。アメリカは自らのアウタルキーしか考えない。石油も輸出してくれない。日本は締め出される。にもかかわらず、こちらはそもそもがお人よしというか妙な理想主義を抱いているから、開戦してからもいつかアメリカは善意の国に立ち返るのではないかという期待をどこか持っていた。
物事を心情的に理解しようとする日本人は、相手を悪意の国と決めつけられないまま、迷いつつの武カ行使に踏み切ったというのが、当時の心象風景としては最も当たっているような気がします。だから、今のブッシュ政権ではありませんが、悪の連合国を徹底的に叩くという姿勢が大東亜戦争にはなかった。それゆえ勝機があったにもかかわらずそれが見極められず、また戦略性の欠如からそれを生かすこともできなかった。
渡部
それが、野心満々”共同謀議”の上で侵略の牙を周囲に向けたと戦後は決めつけられたわけですからね。
日下
「東亜侵略百年の野望をここに覆す」という決意は、開戦したからには国民を励ます歌の文句だと思っていました。国民には、幕末明治からの先人たちの苦闘のおかげで、日本はその野望の手酷い餌食になったという実感がなかった。それからインドやシナの人たちが白人の列強諸国にどんなにひどい目に遭わされたかは教えられなかった。白人との友好親善を害すると思って遠慮したのでしょう。
渡部
戦争目的に血肉化されたようなリヴェンジ(復讐)という強い感情はありませんでしたね。東亜侵略百年の野望を覆したかったのは、要するに日本が平和的に物資を購入しようとしても、それに応じてくれな、いABCD包囲綱の理不尽さに怒ったからです。それがやはり決定的だった。
日下
昭和十五年に第二次近衛文麿内閣の商工大臣に就任した小林一三は、蘭印特派大使として石油を売ってもらおうとオランダに直接交渉に赴いたりさまざま努カをしますが、結局、英米の妨害でうまくいかない。これでは、やはり武カに頼るしかないのかという気にならざるを得ない。小林が昭和十五年に書いた随筆にこんな述口があります。
自分はこれまでロンドンやニューヨークに行つていろいろ商売をしてきた。黄色人種が相手でもとにかく白人同士のルールを適用してくれる。それはひとえにわが日本に「睦奥」や「長門」をはじめとする、彼らにとって侮ることのできない連合艦隊があるからだと。
渡部
しかし、その連合艦隊があってもなお今やわれわれはこんな理不尽に耐えているという思いになったのでしょう。私はそうした窮地に日本を追い込んだアメリカの責任というものは明白だと思います。日下さんも蝕れられたように日露戦争における日本の勝利、とくに日本海海戦の勝利がその後の日米関係に投げかけた影響を見ないわけにはいかない。
陸上の戦闘だとボ-ア戦争のときのイギリス軍のように、小規模の軍隊に大規模な軍隊が悩まされるということがよくありますが、海上の戦闘は完全に文明戦なんです。アメリカは日本海海戦に「レパントの海戦」を見たのではないか、というのが私の考えです。
レパントの海戦というのは、一五七一年、キブロス島を攻略して西ヨーロッパを震撼させたオスマントルコ帝国(イスラム教勢カ)の艦隊に対し、ギリシアのコリント湾口のレパント沖でスペイン・ペネチア・ローマ教皇軍(キリスト教勢力)の連合艦隊が反撃して大勝した戦いのことです。
これはイスラム教勢力に圧されていたキリスト教勢カが最初に得た勝利で、これを機にスペインは国として最盛期を迎えます。この戦いでトルコ軍は二万五千人くらい死んだのに対し、キリスト連合軍の死者は八千人くらいだったという。どうやって数えたのか分かりませんが、史書にはそうむ書れている。当時としては大海戦だったでしょう。文明カの決戦となったこの海戦の勝利によって、ヨーロッパにおけるキリスト教圏は確立したわけです。
日下
なるほと。日本は艦隊決戦に勝利した経験を持っているけれど、自分たちにはまだ太平洋艦隊すらない。日本に対する宗教的違和感も背景にあったろうけれど、これは将来、日本という国はアメリカの”明白なる天意”に大きな障害となるかも知れない。オスマントルコ帝国に見えたのかな(笑い)。
そうした漠然とした不安が日英同盟の解消を企図させ、さらには自国内では排日、世界の政治経済の枠組みからは排除にまでエスカレートした。戦後の東京裁判史優では、ただ日本のみが国際の平和と安寧の秩序を乱したとされたけれど、当時渦巻いていた周囲の思惑、敵意や悪意、妬みといった要素を勘案しなけれぽならない。当たり前のことですが、お人よしの日本人には他者の悪意を想定してみる能力が欠けている(笑い)
渡部
だから、相手から向けられた積年の悪意を打ち砕くために戦うのだと堂々と言えぱよかった。
日下
そうです。大東亜会議はその意味ではちょうと遅すぎたし、その内容をもっと大々的に世界に向けて宣言すぺきでした。達成し得るかどうかはともかく、政治的には「アジア解放」を高らかに掲げておくぺきでした。そのほうがのちのち有利なわけで、負けても戦いに大義があったということはとても大事なことです。それは一種のブロパガンダではあるけれども、こちらの「大義」を周囲に印象づけておくことは政治や外交の要諦というものです。(中略)
◆勝利の可能性は本当になかったか
渡部
真珠湾攻撃で大成功を収めたあと、連合艦隊にはしぱらく敵はいなくなります。そのとき『アジアの解放』を旗印に本格的にインド洋に出撃すべきでした。
日下
昭和十六年十二月十日のマレー沖海戦でイギリスの東洋艦隊も壊滅していますからね。彼らが不沈艦と信じたプリンス・オブ・ウェールズもレバルスも、サイゴン墓地から発進した海軍航空隊の雷爆攻撃によって一時間半ほどで沈められている。チャーチルが、その「第二次世界大戦回顧録」の中で「戦争の全期問を通じて、これほど直接のショックを受けたことはなかった」と書き残したほどの日本軍の完勝だった。渡部さんのご指摘どおり、あの時点で大和が戦う相手はいなくなったんです。
そこで戦略的に大和を使っていれぱインドからイギリスを叩き出せたかも知れない。十七年にシンガポールを陥落させて二万人近いインド兵が捕虜になっています。チャンドラ・ボースはまだドイツにいるのですが、彼を早く連れてきて、このインド兵とともに「アジア解放」「インド独立」を掲げて攻め込ませれぱよかった。その応援に大和を使うのです。大艦巨砲主義の時代ですから、ペンガル湾に大和を遊弋させるだけでインド人は勇気を鼓舞され、イギリス人を追い出す戦いに突入していったのではないでしょうか。
渡部
昭和十七年なら何もアラカン山脈を越えなくてもよかった。ペンガル湾からカルカッタに直接上陸でさますからね。「大義」の面でも「自存自衛」の実の面でも、本当に惜しいチャンスを逸した。
ちよっと寄り道しますけれど、私の記憶だと、日本海軍が一番派手に膨勝ったのはマレー沖海戦のあとのインド洋作戦(セイロン沖海戦)ですね。本国から艦船の増派を受けていた東洋艦隊ですが、巡洋艦ドーセットシャーとコーンウォール、軽空母ハーミーズ、ほかに駆逐艦などが航空部隊の急降下爆撃で瞬く間に沈められている。わがほうの命中率は九割に近かったといいます。
日下
まさに鎧袖一触だった。
渡部
マレー沖海戦に続いての完敗に、チャーチルは、「日本海軍の航空戦の成功と威カはまことに恐るぺきものであった。シャム湾では、わが第一級戦艦二隻(プリンス.オプ・ウェールズとレパルス)が雷撃機によって瞬く間に撃沈された。今度はまた二隻の貴重な巡洋雌(ドーセットシャーとコーンウォール)が急降下爆撃というまったく別な航空攻撃によって撃沈された。ドイツとイタリアの空軍を相手にしていたわが地中海での全戦闘を通じて、このようなことは一度もなかった」と、先に日下さんも取り上げられた「大二次世界大戦回顧録」に記しています。
日下
チャーチルだけでなくイギリス海軍や国民も仰天したんですね。無敵艦隊だと信じ込んでいたのが、よもや日本ごときにやられるとは思ってもいなかった。敗北の痛手はよほどだったのか、その後二年問イギリス海軍はインド洋、太平洋で作戦らしい作戦を展開でさていません。
ここで大和を中心に連合艦隊が出撃し、オーストラリアからスエズ運河を通って食糧を輸送していたイギリスの糧道を断つ。さらに喜望峰回りで物資を送っていたアフリカ戦線の補給路も断ってしまう。そうすれぱ"砂漠の狐"ロンメルはエルアラメインを突破してドイツに勝利をもたらしていた。日本は独立インドやビルマを確たる友邦にするだけでなく、アフリカ各地にも根拠地を得られた可能性が高い。サウジアラピアの石油だって押さえられたかも知れない。
まさにレバントの海戦になぞらえることがでさたかも知れないわけで、渡部さんのおっしゃったようにそうしたチャンスはあった。ただ、たしかに軍事的にはそうなのですか、残念ながら大和が出撃してもパラダイム転換をするためのスローガン、大東亜宣言が間に合っていなかった。
渡部
歴史のifぱかりを語っても仕方ありませんが、可能性のレペルは決して低くなかったことは日本人として認識しておくぺきです。ではなぜそれができなかったかと言えぱ、それは昭和の日本国家の在り方、軍隊の在り方に問題があったことは間違いない。私は戦前日本が無謬だったとはまったく思っていない。謙虚に反省しなけれぱならないことはたしかにあるけれど、それは戦勝国に一方的に断罪され指摘されるような話ではない。東京裁判は日本人にとって必要な.反省や教訓を導き出すものではありません。
戦前の日本が悪い国だったとすれぱ、その分岐点はロシア革命です。スターリンは五カ年計画を繰り返し、強大な戦カをふたたぴ満蒙国境に配備します。併せて思想的にも満州に入り込んできてシナ人を全部反日に立ち上がらせようと画策する。国内でも皇室廃止を目本共産党に指令し、それに世界恐慌とブロック経済の圧追が加わって昭和初年あたりから日本は深刻な危機感を抱かざるを得なくなって悪くなるんです。
さらに皇室廃止論へのリアクションとして右翼が台頭してくる。右翼と左翼は天皇を座標軸にして一見対照に位置しているように見えながら、実体においては当時の右翼が掲げたスローカンは共産主義と同次元でした。政策としては対抗するものを考えつかず、逆に共産主義のブラツトフォームのようなものを求める形になった。それが戦前の民間右翼であり、軍の革新派将校であり、企画院を中心にした新官僚による国家統制の徹底ということになる。これは革命幻想なのであって、当時の日本は内外から挟撃されていたと言えるのです。
(私のコメント)
最近は日本海や東シナ海の領海をめぐって外交戦が行なわれていますが、日本はどうしても相手の善意に期待してしまうところがあるようだ。相手が悪意や敵意で日本に外交戦を仕掛けているのに、これでは日本は勝てるわけがない。竹島や尖閣諸島は無人島であり住民がいない事をいいことに中国や韓国はわが国のものだと主張し始めた。
ならば国際司法裁判所みたいなところで争えばいいと思うのですが、中国や韓国はだめもとで領有しようとしているのだから、日本に対する悪意や敵意はかなりのもので、放置していれば問題は大きくなるばかりだ。韓国は竹島を軍隊を駐屯させて実効支配してしまいましたが、日本政府は日韓摩擦を恐れて放置してきた。
日本はどうしても相手の善意に期待して問題を先送りにするのが通例ですが、竹島の領有を認めれば韓国は次は対馬に対しても領有を言い出すだろう。中国も尖閣諸島の領有を認めれば次は沖縄も中国のものだと言い出すだろう。しかし日本は憲法上、実力でそれを阻止する事は禁じられているから、中国や韓国は悪意で島を占領しようとしているのだ。
戦前も日本政府はアメリカの悪意に対して早く気がつくべきであった。日露戦争までは米英は善意の国と日本国民は信じていたのに、いつしか米英は日本に対して悪意と敵意を抱くようになっていた。それは自分たちの権益を日本が侵すようになってきたからですが、日本は話し合えば分かると能天気だった。
国際関係で利害が衝突しあうようになれば、今まではどうであれ、昨日の友は今日は敵になるのであり、ドライに割り切れば国際関係に善意も悪意もなくあるのは利害関係だけとも言える。米英も日露戦争まではロシアに対して日本と米英は利害が一致していたから善意の国であったが、中国に対しては利害が衝突するようになったら米英は悪意を持つようになったのだ。
日本がこのように外国に対して常に善意で接していれば外国も善意で対応してくれると期待しがちですが、大東亜戦争が証明するように外交に善意も悪意もなく利害関係があるだけなのだ。戦後の日米安保体制もアメリカの善意ではなく冷戦時代でアメリカにとって利害が一致しただけであり、ソ連が崩壊した後はアメリカは日本に対して悪意を抱き、経済戦争を仕掛けてきた。
その結果日本は第二の敗戦を迎えたわけですが、日本はアメリカの善意に期待しすぎたのが大東亜戦争と経済戦争に負けた原因なのだ。このように歴史的に冷静に分析をすればアメリカは信用が出来ない国であることが分かるはずなのですが、日本人はどうしても相手の善意に期待してしまうのだ。
だから中国や韓国に対しても相手の善意を期待するのは無駄であり、日本に対しては外交戦を仕掛けない方が良いと思うようになるまで相手を封じ込めるべきだろう。アメリカに対しても同じであり、アメリカ軍に対して思いやり予算やグワム等への移転費用などを出すのも人が良すぎる政策だ。アメリカの善意をいまだに信じているからだろう。
私としては90年代にアメリカが日本に対して経済戦争を仕掛けてきた時点で、安保体制を見直すべきであったと思う。しかし日本の政治家や官僚はアメリカの善意に期待する政策を選んだ。しかしアメリカも利害関係で動く国であり、日本がアメリカにとって利益にならなければ敵意を抱いてくるようになる事は、最近のアメリカ外交を見れば明らかだ。
だから現実的には当面はアメリカの言うがままにならざるを得ないのですが、日本にとってもアメリカが利益にならないと見ればアメリカと手を切る覚悟も必要だ。その覚悟がなければアメリカも日本をバカにして信用しないだろう。いつまでも小泉首相のようにアメリカべったりでもアメリカにとって利害が合わなければ悪意を抱くようになる。
当面のアメリカの戦略は中東の油田地帯を中心とした地域の制圧ですが、その為には日本の協力が必要だ。そうであるならばクリントン大統領が日本に対して経済戦争を仕掛けてきたときに、日本政府は何らかの決断をすべきであった。現に竹島や尖閣諸島で中国や韓国ともめていてもアメリカは我関せずですが、戦後の占領政策で意図的に火種を残しておいたのだ。
だから日本はアメリカを信用するなと言うのではなく、アメリカをいかに利用するかと言う戦略が必要なのだ。アメリカは石油がなければお終いであり、その為には日本の協力がなければ「不安定の弧」からアメリカは退場させられてドルは紙切れになるだろう。だから日本の政治家もアメリカに対してもっとクールに話をすべきだろう。
テレビ朝日スーパーモーニングより
ソ連崩壊で米軍はドイツと韓国から撤退する。
「不安定な弧」を制圧するには日英の協力が不可欠。
陸軍第一師団司令部がアメリカからやってくるが
日本にとってどれだけの利益があるのだろうか?
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