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小説「温故一九四二」 日本軍は、餓死寸前の中国の農民に軍糧を放出し、飢餓農民を救った
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投稿者 TORA 日時 2006 年 4 月 14 日 15:26:27: CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu117.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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小説「温故一九四二」 日本軍は、餓死寸前の
中国の農民に軍糧を放出し、飢餓農民を救った

2006年4月14日 金曜日

◆小説「温故一九四二」を邦訳、映画化も  中国飢餓農民救った日本軍 4月11日 産経新聞
http://hanatatibana.cocolog-nifty.com/hibizakkan/2006/04/post_beba.html

【北京=福島香織】一九四二年、大飢饉で河南省の農民を救ったのは、日本軍だった―。そんな歴史の真実を捉え、ロングセラーとなっている中国の小説がこのほど日本で翻訳出版された。劉震雲さん著、劉燕子さん翻訳の「温故一九四二」(中国書店)だ。日中政府が歴史問題で対立を深めるいま、庶民にとっての歴史とは何か、二人の「劉さん」にたずねた。

 「庶民にとって、歴史とは生活の連続。生活とは、食うこと。食べるものがなければ飢え死にするしかない」と、劉震雲さんは力をこめる。同小説は、日中戦争の最中の一九四一年―三年、河南省を襲った旱魃による被災者三千万人、餓死者三百万人という大飢饉の状況を農民、蒋介石ら指導者、米国人記者、日本軍の立場から多面的に描き出した。

 飢饉の原因は天災だけでなく、中国軍の容赦ない軍糧のとりたてのせいでもあった。その中で、日本軍は餓死寸前の農民に軍糧を放出した。他の中国人から収奪したものだったとはいえ、農民はこれに応えて、猟銃やクワを握って武装し、軍糧を巻き上げてきた中国軍を武装解除させた。

 「民衆が死んでも土地は中国人のもの。兵士が死ねば日本人がこの国をわがものとする」と軍糧の過剰なとりたてを黙認する蒋介石に対し、食べることが何より優先事項だった庶民。「最後に歴史を動かすのは庶民の基本的生活の要求だった」と劉震雲さんはいう。

 河南省生まれの劉震雲さんは、当初は故郷の災害史をまとめるつもりで、祖母や叔父らをインタビューし新聞記事を集めていた。史実に初めて触れて驚愕すると同時に「人の記憶は意外にあいまい。こんな大事件をみんなあまり覚えていない」と、ショックを受けた。それではいけないと、九三年に小説として発表。以来、読者の圧倒的支持を得て、今も重版が続くロングセラーになった。”中国の山田洋次”と称される馮小剛監督による映画化も決定。当局の審査が厳しくクランクインが遅れているものの「遅くとも来年の冬には完成する」という。

 翻訳者の劉燕子さんはこの小説に魅了された一読者だった。九一年に留学。今は大阪で、文芸誌「藍・BLUE」編集長を務める。「日中の懸け橋になりたいと思って文芸誌を編集してきた。この小説こそ日本の人々に読んでほしい」と、日本語で「劉震雲文学」の世界を再現した。翻訳に当たっては、防衛庁の戦史と照らし合わせ、史実を確認した。

 昨年四月の反日デモから一年。しかし劉震雲さんは「故郷(河南省)の老人たちは、日本人に好感を持っている。子供のとき日本兵にアメをもらったりしたそうです」とほほえんだ。


◆台湾228事件(1) 2006年03月13日 高あきら
http://blog.oitablog.jp/takaakira/archives/2006/03/post_69.html

(承前)1945年、台湾が解放されて大陸から進駐してきた「祖国」の国民党
政府と国民党軍の台湾人に対する暴虐圧政は目に余るひどさだった。

官公庁の主要ポストはすべて大陸からのものが占め、軍隊による台湾人への
強姦、略奪、強盗殺人などは日常的で、台湾の特産品の米はほとんど大陸
へ運び出された。それまで豊かだった台湾で、餓死するものが出るようになった。
規律正しい日本軍が去って国府軍が来たことを、台湾人は
「犬が去って豚が来た」といった。犬は「番犬」になるが豚は「貪り食う」だけ。
台湾人の国民党政府、軍に対する怒りは暴発寸前までになっていた。

国民党軍進駐の翌々年の1947年2月27日、台北市で闇煙草を売っていた
老婆が警官に暴行(後に死亡)され、これに抗議した群集に警官が発砲、
市民の一人が射殺された。
これが発火点となって、台湾全島に反乱、暴動が広がっていった。
「228事件」の始まりである。

翌28日、台北市では台湾人が放送局を占拠し、台湾全土に決起を訴えた。
これに呼応して、暴動は全島に広がり、台湾人は怒りをたぎらせて大陸から
やってきた「外省人」に暴行を加えた。
外省人を区別するのに、日本の歌を歌わせたという。歌えないものは
外省人というわけだ。
ただし、殺すことはせずもっぱら暴行を加えるだけだったという。

大陸の国民党政府は、共産軍と内戦の最中で、敗戦が続いていた。
国民党政府は、最後の砦となる台湾の状況の悪化に驚き、鎮圧部隊を
台湾に送り込み、島内各地で台湾人の虐殺を繰り広げた。
国民党軍と話し合いを続けてきた台湾人の代表委員はほとんど殺害
された。だまし討ちにあったのだ。

台北駅の西にある台湾鉄路局のベランダからの機銃掃射で、多くの市民が
バタバタと倒された。
暴動に関係ないものでも、台湾人であるということだけで、その場で手足を
縛られて射殺された例もある。
基隆市では、多くの台湾人が手のひらに針金を通されて射殺され、そのまま
港の海に投げ込まれた。

もっとも暴動が激しかった南部の嘉義市の駅前では、たびたび公開処刑が
行われた。
私が少年時代によく遊んだ台南駅前の広場でも、公開処刑が行われた。
この暴動は日本の新聞でも「南京発」の情報として報じられた。
李登輝・元総統も、身の危険を感じて一週間ほど山中に身を隠していたという。
反乱の掃討戦は一ヶ月ほどで終わり、台湾各地に血の跡を残し、台湾人と
大陸人(外省人)との間に、深い溝ができてしまった。

ところが、国民党政府の弾圧は、これだけでは収まらなかった。
この事件を契機として、日本時代の台湾人インテリを対象にした「虐殺」が
始まった。「白色テロ」である。
突然逮捕され、身に覚えのないことで裁判もなく処刑されるものが相次いだ。
台湾大学のキャンバスに、針金でぐるくる巻きにされた射殺死体が捨てられて
いた。文字通り「暗殺」である。こんなことが珍しくなかった。
台湾人は恐怖のため、夜も安心して眠れない状況に追い込まれた。

李登輝・元総統が、故司馬遼太郎氏との対談で「かつてわれわれ70歳代の
人間は夜はろくろく寝たことがなかった」といっている。
大戦中の軍部独裁といわれる、わが国の治安警察(特高警察)と憲兵による
圧政下でも、国民に不安を与えることはなかった。
それはいまの台湾からは想像もつかない「恐怖の時代」であり、それを体験した
人々が現在も生きているのである。


(私のコメント)
戦後の日本では大東亜戦争を冷静な目で検証しようと言う動きがなかなか現れず、中国や韓国などからの靖国参拝批判などで、日本の総理大臣が右往左往している姿はほんとに見苦しいものだ。特に90年代はそれが酷くて歴代の総理は靖国参拝もままならず、戦前の日本を肯定的に言うだけで大臣の首が飛んだ。

終戦からすでに60年も経つというのに大東亜戦争がまだ冷静に検討が出来ないのは、日本の歴史学界の思考停止状態がまだ解けないのだろうか。その原因の一つとしてはGHQの流れをくむ米軍が日本国内に数多くの軍事基地を持って日本政府を監視している事だ。

もはや戦後ではないのだからGHQによる検閲体制は解かれているのですが、戦前の歴史は書き換えられて大東亜戦争も太平洋戦争と書き換えさせられた。特に東京裁判などで30万人の南京大虐殺などが裁かれてA級戦犯は7名が絞首刑にかけられましたが、一部の人の証言だけで学術的な検証もなされず、中国からの政治プロパガンダが繰り返されて、日本政府は反論らしい反論もしないでじっと黙っている。

日本軍が中国で8年間も戦争をしていたのだから、多くの戦死者が出たのは間違いはなく、多くの一般国民も戦闘に巻き込まれて死んだ事だろう。しかし日本軍の戦死者の数は191、250名で一般人を含めれば465,700名とはっきり分かっているのに中国側の死者の数はまるで分からず、数百万人から3500万人と年々増え続けている。

南京大虐殺といわれる30万人説も疑わしいのですが、なぜ学術的に検証が行なわれないのか、中国側の政治的な思惑が妨げているのだろう。むしろ日本軍による残虐行為よりも国民党軍による残虐行為のほうが激しくて、調べるとやぶ蛇になる可能性があるからではないかと思う。

小説「温故一九四二」によれば、戦時中に大飢饉が起きて3年余りの間に300万人が餓死するという事態が起きたそうですが、、中国軍による容赦のない軍糧の取立てが原因らしい。それに対して日本軍は軍糧を放出して救ったという話ですが、統制がとれていた日本軍は中国軍よりは中国国民に対してはましだったようだ。

統制のとれない国民党軍は大陸本土を追い出されて台湾に逃れましたが、台湾でも国民党軍の暴虐圧制は酷かった。台湾でも食料を取り立てて餓死者を出したり、略奪強盗殺人強姦などやりたい放題で、日本軍統治時代とはまったく変わってしまった。

このような状況から判断すれば、中国大陸においても日本軍のほうが統制が取れており、住民に対する略奪暴行殺人強姦などの行為は少なかったと思われる。もちろん戦場だから多少はあったのでしょうが、中国政府のプロパガンダほどではない。だから日中戦争の実態を調べると中国側が都合が悪くなってしまう。

中国における反日教育は日中戦争時代の日本軍の残虐性を教え込んでいるようですが、国民党軍や共産党軍による圧制による被害者の方が圧倒的に多いはずだ。しかし中国は共産党による独裁圧制国家だからその不満を訴える事ができない。そして中国政府は戦争被害を日本軍に押し付けている。

このように情報の公開が十分になされない中国の後進性は、ゆがんだ歴史を教え込まれて今日の反日運動につながっている。その中国のプロパガンダをそのまま信じているのが日本の反日左翼ですが、それに反論しているのはネットのブログや雑誌程度で、自民党の一部や民主党や社民、共産などは中国のプロパガンダに同調している。

ソ連の崩壊によって戦前戦中の共産党の秘密工作が次々と明らかになってきましたが、盧溝橋事件や張作霖爆殺など共産党によるものと言う資料が出てきた。日本の政界や軍部にも共産党の工作員もいて謀略に日本軍は引っかかってしまったのだ。政府も軍部も不拡大方針だったのに引きずり込まれたのだ。

このような謀略や陰謀工作はいつかはばれるもので、ばれた時の仕掛けた方の打撃は大きいだろう。北朝鮮も拉致問題はでっちあげと誤魔化していましたが、それがばれると日本人の怒りは爆発していますが、中国の一連のプロパガンダもでっちあげがばれれば反動が大きい。靖国問題も日中双方が引くに引けなくなり国際問題になっていますが、最初から日本政府が内政干渉と厳重に抗議していればよかったのだ。


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