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大東亜戦争を侵略戦争だと言う間抜けな政治家がいるから中国に舐められるのだ。マッカーサーも自衛戦争と認めた。
http://www.asyura2.com/0601/bd43/msg/507.html
投稿者 TORA 日時 2006 年 4 月 12 日 14:23:47: CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu117.htm
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大東亜戦争を侵略戦争だと言う間抜けな政治家がいるから
中国に舐められるのだ。マッカーサーも自衛戦争と認めた。

2006年4月12日 水曜日

◆小沢民主代表の発言評価=靖国神社参拝問題で新華社
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060409-00000033-jij-int

【北京9日時事】中国国営新華社通信は9日、民主党の小沢一郎代表が、同日のNHKテレビの番組で、靖国神社参拝問題でA級戦犯合祀(ごうし)の現状を改める必要性を主張したことを東京発で伝えた。
 新華社電は「小泉純一郎首相は靖国神社を5度にわたり参拝し、中国、韓国などアジア各国の怒りと抗議を巻き起こした」と指摘した上で、小沢代表の発言を評価する姿勢を示した。 
(時事通信) - 4月9日17時0分更新


◆大東亜戦争の根本的原因を考察する 日下部晃志/松下政経塾第25期生
http://www.mskj.or.jp/getsurei/kusakabe0601.html

(前略)

 第三には、日本移民が農業の白人労働者に対する競争者として警戒されたこと。日本人移民は、勤勉で、総体的に教育水準も高かったため、良地を開拓し、農園を所有するところとなったためである。

 以上のように、日露戦争後に大陸政策の食い違い、そして日本または日本人に対して恐れと憎悪が生まれ、日本への追いつめが始まった。それが、排日移民法という形で現れた始めたのである。年代順に列挙すると、

1906 サンフランシスコ市教育委員会、日本人・コリア人学童の隔離教育を決定
1907 サンフランシスコで反日暴動
1908 日米紳士協定(日本が移民を自粛する代わりに、排日的移民法を作らないことをアメリカが約束)
1913 カリフォルニア州で排日土地法成立
1924 絶対的排日移民法

 以上のようになる。当初は主として西海岸で、州単位での立法であったし、守られなかったが日米紳士協定を結ぶ余地はあったのだ。しかしながら、24年の絶対的排日移民法は連邦法で、これは別名「帰化不能外人移民法」ともいい、日本移民は禁止されたのである。これが何を意味するだろうか。まず、アメリカ社会の根底に日本人に対する差別があったことであろう。確かに、移民の受け入れについては、各国の自由に任せられるべきだが、ヨーロッパからの移民は受け入れるが、非白色人種の移民は受け入れないということは、どう解釈しても人種差別である。経済の面からみると、日本にとっては労働力の供給先を失ったということである。そのため労働力が過剰になり、新たな移民できるような場所を大陸に求めざるをえなくなったのである。アメリカがホーリー・スムート法によって関税障壁を設け、世界恐慌を誘発したのが1930年で、日本が満州事変を起こしたのが1931年ということを考えればわかりやすい。大恐慌とそれにより発生した失業者をどう解決するかという問題を抱えた日本が満州に目を向けたことには、こういった背景もあったのである。付言すると、ワシントン条約(1922)によって、日英同盟が破棄されたこともアメリカの圧力によるものである。日本は「国際協調」を信じて、日英同盟にかわる四カ国条約を結んだが、これは全く機能しなかった。このことは、アジアにおいて、ロシア革命(1917)によって誕生し、拡大しつつあったソ連や中国共産党などの共産主義勢力に日本一国で対処しなければならないということを意味する。ソ連との間に緩衝地帯を作り、共産主義に対する防衛の前縁を少しでも本土から離したところに設定したいという誘惑に日本が駆られたとしても無理はない。

 これらの観点があれば、日本が満州事変から日中戦争、そして大東亜戦争に至ったことを単に「愚かな指導者が無謀な戦争に突入した」と斬ってすてることはできないように思われるが、どうだろうか。

3 マッカーサーが認めた自衛戦争
 「日本は八千万に近い厖大な人口を抱え、それが四つの島の中にひしめいているのだということを理解していただかなくてはなりません。その半分近くが農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。

 潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまでに接したいづれにも劣らぬ優秀なものです。歴史上どの時点においてか、日本の労働者は、人間は怠けている時よりも、働き、生産している時のほうがより幸福なのだということ、つまり労働の尊厳と呼んでよいようなものを発見していたのです。

 これほど巨大な労働能力を持っていたということは、彼らには何か働くための材料が必要だということを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有していました。しかし彼らは手を加えるべき原料を得ることができませんでした。

 日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何もないのです。彼らは綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、錫がない、ゴムがない。その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。

 もしこれらの原料の供給を絶ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。」

 この証言は、日本人のものではない。1951年5月3日、アメリカ合衆国議会上院軍事・外交委員会におけるD・マッカーサーの証言である。東京裁判で日本を裁いた張本人が、大東亜戦争は日本にとって自衛戦争だったと証言しているのである。
この証言は、マッカーサーが朝鮮戦争(1950)において、共産主義勢力と対峙し、満州の 爆撃及び経済封鎖戦略を採ろうとしてトルーマン大統領と対立して解任された後のものであるから、なぜ日本が大陸で共産主義の浸透を防ぐために満州を抑えざるをえなかったかを理解しているものと推測できる。

 アメリカは、人種差別的排日移民法、保護貿易によるブロック化、日英同盟の解体と、徹底的に日本を追いつめようとしていたとしか考えられない。それが極みに達したのが、石油・くず鉄等の禁輸を含むABCD包囲網の構成である。日支事変に入っていた当時、経済的に支那を支援するアメリカとイギリスはともかくとしても、直接的には利害の衝突はないはずのオランダまで抱き込んで、経済封鎖をしたのである。アメリカが日本への石油禁輸をした直接のきっかけは南部仏印進駐(1940)であるけれども、これはフランス政府との協定に基づいている平和裡な進駐であって、国際法違法ではない。にもかかわらず、アメリカは在米日本資産の凍結、石油の全面禁輸をおこなって、報復したのである。

 当時の日本の経済産業構造は大雑把にいうと、生糸などを売って外貨を稼ぎ、そのカネで買った原材料で安い雑貨類を作って海外に輸出するということで生計をたてていたのであって、その日本に対して、原材料及びエネルギーを手に入れられなくするということは、戦争を誘発することに他ならないことは明らかで、アメリカがこれを理解できないとは考えられない。もはや意図的に戦争を誘発したとしか考えられないのである。

 人間にたとえてみれば、首を絞められて朦朧としているときに、その相手と握手をしようという人間はいない。何とか助かろうと思って、意識があるうちに一撃を食らわしてやろうというのが自然な感情ではないだろうか。 (後略)


(私のコメント)
最近はポスト小泉をめぐって中国が靖国カードをかざしてきましたが、安倍晋三に対抗する福田康夫をバックアップしている。この二人の違いは靖国参拝をするかどうかにありますが、新たに民主党の小沢一郎新代表も加わってきたようだ。小沢一郎は自民党の田中派出身だから親中国派であり、それで尚且つアメリカの言いなりと言う人もいる。

中国は靖国神社そのものはともかく、A級戦犯合祀を問題にしているようですが、A級戦犯であるかどうかは大東亜戦争をどのように評価するかで大きく違ってくる。中国大陸だけを取って見れば侵略戦争の見方も出来ますが、中国の内乱に巻き込まれたという見方も出来る。つまり一方的に攻め込んだというよりも邦人被害に対する制裁でもあった。

最近の中国も治安状態が悪く抗議デモが頻発して、中国政府も隠しきれないようですが、いつその矛先が邦人に及んでくるか分からない。戦前も南京(1927)、済南(1928)、通州(1937)と襲撃事件が拡大してきましたが、いずれも共産主義者の扇動があったようだ。その目的は中国の内乱に日本軍を巻き込んで蒋介石軍と相打ちさせようとした。

それに対して蒋介石はアメリカからの援助を得る事に成功して日米の対立は決定的になった。日本軍が中国に出れば利権を持っていた米英との衝突になることは誰もが知っていた事であり、日本の戦略的なミスですが、当時の政治家はそれが止められなかった。このような謀略に弱いのが日本の政治家の特徴ですが、大局観を持たずに戦略ももたないから謀略にはまってしまう。

アメリカとの関係も中国の利権をめぐって衝突するようになりましたが、アメリカ国内の日系人に対する差別問題があり、国内の余剰労働力をアメリカから満州に移さざるを得なくなった。しかし満州に進出すれば中国との摩擦も大きくなり、日本は米中に挟まれるような形で大東亜戦争にまでいってしまった。

だからアメリカの人種差別問題が排日運動になり、やむなく満州に新天地を求めて米中と対決する事になった。本来ならばソ連との戦争を想定していたのに急に米英との戦争になったのは共産主義者の謀略でしたが、日本は対米戦争をまったく想定していなかった。

日本海軍は想定としては考えていても勝てないことは分かっていた。経済封鎖をされれば石油がなくなる前に打って出ざるを得なくなりますが、戦わずに白旗を揚げることは軍部に出来る事ではなく、破れかぶれでアジアの開放を目指して大東亜戦争を始めてしまった。

マッカーサーの発言も朝鮮戦争を戦ってみて、日本軍の置かれた状況が分かるようになった結果の発言ですが、国内に大勢の失業者を抱え、アメリカからは排日移民法で差別されてしまった。さらに経済封鎖で国内の産業もアウトになれば日本は自衛のために戦争をせざるを得なくなる。このように考えれば大東亜戦争は自衛のための戦争であった。

この状況は現在でも変わりはなく、中東からのオイルレーンが遮断されれば日本の産業はストップして数ヶ月も経てば餓死者も出るような状況になるのですが、そのようになれば無力な自衛隊でも戦争せざるを得なくなるだろう。しかし今の日本の政治家も国民も日本が経済封鎖される恐さを誰も知らないのだ。東條英機の弁明書を読めばよく分かる。


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