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聖アウグスティヌスが、ユダが代表すると見なされていたユダヤ人を悪者に仕立て上げる陰謀があった?
http://www.asyura2.com/0601/bd43/msg/459.html
投稿者 TORA 日時 2006 年 4 月 08 日 14:31:05: CP1Vgnax47n1s
 

(回答先: ユダ裏切ってない?1700年前の「福音書」写本解読|読売新聞 投稿者 white 日時 2006 年 4 月 07 日 10:46:24)

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu117.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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聖アウグスティヌスが、ユダが代表すると見なされていた
ユダヤ人を悪者に仕立て上げる陰謀があった?

2006年4月8日 土曜日

◆1169ユダの福音書 太田述正コラム#1169(2006.4.7)
http://ohtan.txt-nifty.com/column/2006/04/1169_3d83.html

1 始めに

 

今般、米国ナショナル ジオグラフィック協会は、エジプトの砂漠の洞窟で1978年に見つかった約1700年前(220〜340年頃)のパピルス文書がキリスト教の黎明期に教会から異端とされた幻の書『ユダの福音書(Gospel of Judas)』(注1)の現存する唯一の写本(注2)であることが判明したと発表するとともに、この文書を修復した(注3)上で英訳したもの(http://www.nytimes.com/packages/pdf/national/judastxt.pdf。4月7日アクセス(以下同じ))を公表したのですが、これが全世界で話題になっています。

(注1)この福音書の存在は、180年頃、リヨンの司教のイレナエウス(Irenaeus)が書いた反異端書(Against Heresies)によって知られていた。

(注2)この冊子状の写本(codex)は、イエスやユダの死後100年以上経った紀元150〜180年頃に書かれたギリシャ語の原典をコプト語(当時のエジプトの言語)に訳したもので、この写本が作られた年代は3〜4世紀とみられている。

(注3)8割程度しか修復できなかった。

2 内容

 イスカリオテのユダ(Judas Iscariot)は、新約聖書のマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの福音書(gospels of Matthew, Mark, Luke and John)(注4)によれば、イエス・キリストに選ばれた弟子の一人でありながら,銀貨30枚と引き換えにイエスを裏切り、接吻を合図に敵の手に引き渡した使徒であり、その名は今も裏切りの代名詞となっています。

 (注4)このうち、一番最後に書かれたヨハネの福音書でさえ、『ユダの福音書』より数十年早く書かれている。

しかし、今回新たに発見された『ユダの福音書』に描かれたユダ像は、まるで違い、ユダこそイエスの一番弟子であり、他の弟子たちと違ってキリストの真の教えを正しく理解しており、ユダがイエスをローマの官憲に引き渡したのは、イエス自身の言いつけに従ってのことだった、とそこには書かれています。

『ユダの福音書』の記述には、グノーシス派(Gnostics)と呼ばれる、2世紀にキリスト教主流派から分派したグループの思想・・後に異端とされた・・が反映されています(注5)。グノーシス派は、物質世界は至高の神ではなく下等な創造神のつくった不完全な世界とみなし、善の究極の源泉である神性は物質世界の外側にあると考えていました。『ユダの福音書』の中で最も重要なくだりは、イエスがユダに「お前は他のいかなる者(使徒)より卓越した存在となろう(exceed)。何となれば、お前は、真の私を包むこの肉体を犠牲とするであろうからだ」と語る箇所です。つまり、ユダがイエスを死に追いやったのは、イエス自身の望みに従った行為であり、イエスをその肉体から解き放つことによって、真のキリスト、つまり内なる神が解放されるというのです。ユダがこの役割を任されたのは、弟子達の中で特別な地位にあった証拠である、とこの福音書には書かれているのです。

(注5)65年前から、様々な福音書が発見されてきており、グノーシス派の手になるものだけでも、トマ(Thomas)、マグダラのマリア(Mary Magdalene)、フィリッポ(Philip)の三つの福音書がこれまで発見されている。

 しかしイエスは、この結果ユダは「同時代の人々(=他の使徒)によって呪われることだろう。しかし、お前は彼らに君臨する(rule over)することになるだろう」(注6)とも言っています。

 (注6)ご存じのように、前段は実現したが、後段はまだ実現していない。

3 意義

 そもそも、新約聖書の中のヨハネとマルコの福音書においても、ユダは使徒の中でも尊敬されていた重鎮の一人であったことを示唆する箇所がありますし、学者の中には、新約聖書の原典のギリシャ語のparadidomiが「裏切る」と翻訳されたところ、本来の意味は「引き渡す」であるとし、ユダは単に神の意思を従っただけであることを示していた、と指摘する人もいます。

 つまり、ユダが悪者に仕立て上げられたのは、聖アウグスティヌス(Augustine)等の初期キリスト教徒達がユダが往々にして代表すると見なされていたユダヤ人を悪者に仕立て上げる陰謀の一環であったのではないか、というのです。

 最近、カトリック教会は、ユダヤ人差別につながってきたこのような考え方を是正する努力を行っていますが、『ユダの福音書』の英訳の公表は、かかる努力の追い風となる可能性があるのです。


◆古代の文書『ユダの福音書』の鑑定と翻訳 4月7日 ナショナルジオグラフィック
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/topics/n20060407_2.shtml

『ユダの福音書』の記述
 『ユダの福音書』の冒頭には、こう書かれています。「過越(すぎこし)の祭りが始まる3日前、イスカリオテのユダとの1週間の対話でイエスが語った秘密の啓示」。福音書の初めの部分で、イエスは「お前たちの神」に祈りを捧げる弟子たちを笑います。この神とは、世界を創造した旧約聖書の劣った神のことです。そしてイエスは、この私を直視し、真の姿を理解せよと迫りましたが、弟子たちは目を向けようとしません。
 最も重要なくだりは、イエスがユダにこう語る部分です。「お前は、真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になるだろう」。つまり、ユダはイエスから物質である肉体を取り除くことによって、内なる真の自己、つまり神の本質を解放するというのです。
 この福音書には、ユダが弟子たちの中で特別な地位を与えられていることを示す記述がいくつかあります。たとえば、イエスは次のように語っています。「他の者たちから離れなさい。そうすれば、お前に[神の]王国の神秘を語って聞かせよう。その王国に至ることは可能だが、お前は大いに悲しむことになるだろう」。イエスがユダにこう語りかける場面もあります。「聞きなさい、お前には[真理の]すべてを話し終えた。目を上げ、雲とその中の光、それを囲む星々を見なさい。皆を導くあの星が、お前の星だ」
 さらに福音書は、ユダは他の弟子から嫌悪されることになるが、彼らより高い地位に昇るだろうと予言します。「お前はこの世代の他の者たちの非難の的となるだろう――そして彼らの上に君臨するだろう」と、イエスは言います。ユダ自身も、他の弟子たちから猛反発を受ける幻視を見たと報告しています。「幻視の中で、私は12人の弟子から石を投げつけられ、[ひどい]迫害を受けていました」
 福音書には、ユダの覚醒と変容を示唆すると思われる一節もあります。「ユダは目を上げ、光輝く雲を見て、その中に入っていった」。地上の人間たちは雲から聞こえる声を耳にするが、この部分のパピルスが損傷しているため、その言葉が何だったのかはわかりません。
 福音書の記述は、次のような場面で唐突に終わっています。「彼ら[イエスを捕らえにきた人々]はユダに近づき、『ここで何をしているのだ。イエスの弟子よ』と声をかけた。ユダは彼らが望むとおりのことを答え、いくらかの金を受け取ると、イエスを引き渡した」。イエスが十字架にかけられることも、復活することも、この福音書には何も書かれていません。

専門家の見解
『ユダの福音書』に描かれたイエスとユダの関係に対する「もう一つの見方」について、著名な聖書研究者たちは当時の信仰のあり方を探る貴重な手がかりであり、初期のキリスト教の多様性を示す重要な新しい証拠だと考えています。
 「この見解に同意するかどうかはともかく、きわめて興味深い見方です」と、グノーシス福音書の世界的権威である米国プリンストン大学ハリントン・スペアー・ペイン研究所のエレーヌ・ペイゲルス教授(宗教学専攻)は指摘します。「『トマスの福音書』や『マグダラのマリアの福音書』など、2000 年近くほとんど知られていなかった他の古代の文書と同じように、『ユダの福音書』もなじみ深い福音書の物語に斬新な見方を与えてくれます。これらの発見は、キリスト教の始まりに対する私たちの理解を変えつつあります」
 米国チャップマン大学のマービン・マイヤーはこう語っています。「これまで未発見だった福音書の文書が世に出ることはめったにありません。特に初期キリスト教の文献で言及されている文書の発見は、きわめて珍しいことです。『ユダの福音書』は、キリスト教の発展の道筋を知る重要な史料であり、初期キリスト教の豊かな多様性に改めて光を当てるものです」
 カナダ・アカディア大学神学大学院のクレイグ・エバンズ教授(新約聖書研究者)も、『ユダの福音書』の修復と出版を高く評価しています。「『ユダの福音書』は、キリスト教徒の中にイエスと弟子たちに対する多様な見方があったことを示す、重要な2 世紀の証言です。この発見によって、新約聖書に収められた正典福音書の内容に対する理解がさらに進む可能性もあります」
 写本の修復と文書の復元・翻訳作業は現在も続いています。まだページのどの位置に置くべきか判明していない写本の断片についても、カッセルは写真撮影と保存処理が終わり次第、公開したいと考えています。これらの断片を多くの研究者がじっくり分析できるようになれば、パズルがさらに完成へと近づき、欠落したページの復元と解読が進むと期待しているのです。


(私のコメント)
この数日は中国が仕掛けてきた陰謀について書いてきましたが、陰謀と言うのは見抜かれたら効果が無く、たとえ陰謀が成功しても、その成果が大きければ大きいほど、ばれた時の反動が大きい事を覚悟しなければなりません。アメリカにしても陰謀国家の最たるもので、ケネディー暗殺や9・11テロなどには陰謀の臭いを感ずることが出来る。太平洋戦争もアメリカの陰謀の一つのような気がする。

キリスト教やユダヤ教についてもいろいろ書いてきましたが、成り立ちを探ってみると謎が多い。旧約聖書や新約聖書などは研究対象になるのですが、どのようにして聖書が出来たのかを探ってみると、キリスト教の正体も見えてくるような気がする。そのことに関しては2003年12月22日に書きました。


◆イエス=キリストは実在の人物ではない 『聖書』は中国の古典からのパクリである 2003年12月22日月曜日 株式日記
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu61.htm

《 それは、「『新約聖書』はそのすべてが、西暦301年から360年の間のある時期に、易を熟知した人物の指導のもとで書かれたのであって、キリストが架空の人物であることは無論だが、旧約もそれと同時に内容を一部改められた」 ということである。 》


新しく発見された「ユダの福音書」の写本についても、西暦300年前後に書かれたものらしく、かなり風化が激しくて偽造されたものとは考えられない物らしい。株式日記で紹介したサイトでも「西暦301年から360年の間のある時期に、易を熟知した人物によって書かれた」としているので矛盾は無い。旧約聖書もそのときに一部書き換えられたらしい。

一番の疑問点はイエス・キリストが亡くなってから新約聖書が書かれるまでに300年のブランクがあるのですが、イエスの弟子たちが書いたものであるにしろブランクが長すぎる。旧約聖書ですらローマ教会がラテン語でまとめたのは西暦405年の事であり、イエス・キリストと聖書の成立に間が空きすぎている。

つまり聖書をまとめる際にしては、交流が盛んになり始めた中国の古典から知恵を拝借して書かれたものではないかと言うことだ。内容からしても推察できる事が多く中国の易学から見れば一目瞭然らしい。


《 西暦166年。ローマ帝国と中国の後漢との間に交流が始まったと、『後漢書』にある。それから150〜200年くらい経った西暦300年代前半。中国は西晋の終わり、あるいは東晋の初めといった時代で、北方では五胡十六国が覇権を争っていた。

 そんな頃、とあるローマの旅人が中国を訪れ、「仁」や「愛」すなわち「他人に対する思いやり」という観念に触れ、その素晴らしさに感動した。武力と財力を権威の象徴とし、弱者を非人間的に支配しても、何の後ろめたさも持たないローマ帝国の治世に、人々の心は荒れ果て、憤りを感じていたのだろう。

 何とかヨーロッパに紹介できないものかと考え、中国の学者達と相談した。
 手っ取り早いのは、「四書五経」や『墨子』、その他の漢籍をそのまま翻訳することだが、あまりにも文化が異なるので、それでは真意が伝わりにくく、まして権力者には耳が痛い話ばかりなのだから、彼等が受け入れる可能性も低い。 》


つまり新約聖書は中国の古典をパクッたものであり、そのまま翻訳してはまずいので、当時滅んでしまっていたユダヤ教を拝借して旧約聖書と新約聖書にまとめたとすれば辻褄が合う。キリスト教が世界に広まっても中国や日本などといった漢学が盛んな国ではキリスト教は広まっていないない。聖書を読んだところで中国の古典に書かれた事と似たような事が書かれてあるだけだからだ。

一番端的なのは日月火水木金土の1週間の名称も中国の古くからある名称であり、キリスト教の神が1週間で世界を作ったとする話からも窺えることだ。1年が12ヶ月である事も易学の由来から来ている。しかし漢学の素養がなければ気がつかないからキリスト教が中国の古典のパクリ宗教だとは気がつかない。私自身は学生時代は老子や荘子などを読み耽ってその雄大さに感銘していたから、聖書を少し読んでも中身は充実しているが特に絶対的なものとは思えなかった。

「ユダの福音書」はグノーシス派のものらしいのですが異端として排斥された。精神が肉体を超越するという思想は東洋的な思想であり、東洋の古典の反映といえるのですが、それがイエス・キリストにとって一番忠実な教えといえるのではないかと思う。このあたりは老子や荘子の教えと似てくるのですが、ローマ教会はグノーシス派を異端として排斥した。


《 グノーシス派やマニ教も、キリスト教から分派したのではなく、ユダヤ教エッセネ派という集団がギリシャ哲学や仏教と融合させて起こしたのではないだろうか。エッセネ派とは、西暦紀元前後に盛んに活動していたとされるユダヤ教禁欲主義の異端集団で、1947年以来死海近郊のクムラン地方の洞窟の中から、いわゆるクムラン文書と呼ばれる相当数の『旧約聖書』の断片や戒律などを記した書物の断片が発見されて脚光を浴びたが、その洞窟も活動拠点のひとつだったのだろうとされている集団である。(後略) 》


このようにキリスト教の創成期には、さまざまな宗派があって主導権争いで消えて行った宗派があった。「ユダの福音書」なども異端視されて歴史は改竄されて本は残らず燃やされてしまったのだろう。ところがエジプトの洞窟の中の一冊は残って発見された。これは明らかにローマ教会が仕掛けた陰謀であり、その為にユダヤ人はイエス・キリストを裏切ったとしてユダヤ人排斥につながったのだろう。

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