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□でしゃばらないで、名古屋弁 [PJニュース]
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1795683/detail?rd
でしゃばらないで、名古屋弁
【PJニュース 03月23日】− 方言の復権が著しい。三十年も前、私が中学生だったころは、生徒手帳の校則に「学校内では方言を使用しないようにしましょう」と明記されているほどだっ たのに、昨今は国会議員でさえテレビで堂々と方言を使う。
民主党の河村たかし氏だ。討論番組にバラエティ番組に引っ張りだこの氏は、日本で三番目の大都市の言葉であり、私の郷里の言葉でもある名古屋弁を全国に 向けて朗々と披瀝している。けれども氏の名古屋弁を聞いても、私は懐かしさとか親しみとかを感じることができない。というのは、河村氏の場合は、標準語で話したいのにどうしても方言が出てきてしまうからではなく、自身の個性をアピールするために計算づくで名古屋弁を使用していることがみえみえだからだ。
もともと方言とは他郷のものには理解しづらいものだ。ある人が津軽地方を鈍行列車で旅をした。車中の人たちの話している津軽弁がまるで理解できない。ちんぷんかんぷんで外国語を聞いているようだ、と思っているうちに、どこからか内容のわかる会話が聞こえてきた。誰かと振り向いてみると、英語でしゃべって いる西洋人だった、という笑い話がある。
それほどではなくても、名古屋弁だって本場ものとなると他郷のものには理解が難しい言語だ。河村氏がテレビカメラの前で使う名古屋弁はいわゆる本場ものではなく、全国の視聴者が内容を理解できるていどに、語尾変化とかニュアンスの特徴だけを取り入れ、通じにくい語彙は巧みに避けた名古屋弁だ。そこに作為 のいやらしさを感じてしまう。同郷のものとしてはやめてほしいと思う。
河村氏ひとりだけならまだ許せる。いつからか地元中部のテレビ局・ラジオ局では、名古屋弁使いを個性とするタレントを起用するのが当たり前のようになっている。有名どころでは、宮地由紀夫・矢野きよみ・松原敬雄・蟹江篤子などの面々だ。彼らタレントたちは、まるでこの地方には名古屋弁しかないかのごとく、名古屋弁でしゃべりまくる。それが視聴者に親しみを感じさせ、ウケるものと思い込んでいる。
だが放送局の電波は、名古屋だけではなく、愛知・岐阜・三重の三県下すべてに飛ぶ。名古屋人だけが番組を視聴しているわけではない。愛知県内だって知多弁もあれば三河弁もある。岐阜県なら岐阜弁・郡上弁・高山弁、三重県なら伊勢弁・尾鷲弁・答志弁など、狭い地域でも方言は実に多彩だ。他の方言を使う人たちが、名古屋弁使いばかりがタレントとして大手を振るっているのを見れば、「名古屋覇権主義」のようなものを感じ不愉快を覚えるのではないか。
全国区であれ、地方区であれ、公共の電波に堂々と特定の地域の方言を乗せるいまどきの風潮に私は批判的である。それは方言というものを卑しいものと思っているからではなく、やはり広域で使用される言葉は誰もが理解できる標準語であるべきだと思うからだ。
私は名古屋で生まれ名古屋でずっと暮らしてきたが、外部の人と話をするときは常に標準語だ。けれども、家へ帰って家族と語るときは、自然と濃厚な名古屋弁に戻る。そして名古屋弁を使っているとき、いちばんくつろいでいる自分を感じる。方言とはいわば室内着のようなものだ。室内着は室内で着用すればじゅうぶんである。
方言の復権とは、室内着を恥じないということであっても、それを売り物にしてこれ見よがしにテレビ・ラジオにでることではないと思うのである。【了】
※この記事は、PJ個人の文責によるもので、法人としてのライブドアの見解・意向を示すものではありません。また、PJニュースはライブドアのニュース部門、ライブドア・ニュースとは無関係です。
パブリック・ジャーナリスト 一柳 恵子【愛知県】
この記事に関するお問い合わせ先:public-journalism@livedoor.net
2006年03月23日10時08分
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