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□バンコクの南120キロ「パタヤ」からのクーデター報告 [JANJAN]
http://www.janjan.jp/world/0609/0609251722/1.php
バンコクの南120キロ「パタヤ」からのクーデター報告 2006/09/26
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タイでクーデターがあった後の20日、バンコク便の直前キャンセルが約3割あり、旅行会社はツアーの中止やキャンセルの手続きなどに追われた。
一方、タイの国内ツアーの日本人旅行者の参加状況について、JTBバンコク支店によると、20日のアユタヤツアーの参加者は、キャンセル料が無料であるのにかかわらず、6〜7割程度参加した。21日のバンコク市内の状況についての旅行者からの問合せに対して「silent and look like safe」と回答している。
20日には、金融市場が停止し、銀行や学校が臨時休業になっていたが、21日から、銀行や学校が再開した。また、クーデター直後、多かった検問も減り、バンコクは常に車の渋滞が発生する都市であるが、渋滞についてもクーデター前の状態にもどったようだ。
バンコクから南に約120キロ、東京から沼津ほどの距離にある海岸の町パタヤは、クーデターがあってもいつもとかわらず、平穏であったようだ。
パタヤの海は、とても雄大で綺麗で、今の時期から雨季に入るので毎晩雷をともなう突風と雨が多い。20日も21日も突風と雨が降ったが、22日朝は爽快で、海の地平線上に虹が見え、素晴らしい絶景になった。
テレビでは、クーデター後、タイ語のチャンネルが右翼的な番組と子供番組だけしか放送されなかった。また、NHKの衛星放送は、クーデターの直後は放送が中止されたが、20日の昼には放送が再開された。地元放送局も通常どおりに放送されるようになった。
パタヤには、企業等の日本人駐在員が多い。クーデターが発生して困ったことについて、日本人駐在員は、「お金がおろせなかったこと」と答えており、20日、銀行が閉まっているため、キャッシュディスペンサーにお金を補充されず、お金をおろせない人々が続出し、ハロータイランドやタイチャンネルなどのネットの掲示板では、どこでお金がおろせるのか、が一番の話題になっていた。この掲示板は、普段はGOGOバーのお姉さんについての記事ばかりだったが、非常事態には、まじめな掲示板になると、タイ人も驚いたようだ。
20日、タイにおける日本企業では、臨時休業になったところが多く、日本人駐在員たちにとっては、思いがけない休日となり、パタヤでは、タイ舞踏を見たりして楽しんだ駐在員も多かった。
日本人駐在員たちは、クーデターについて「タイ人は、熱しやすく、冷めやすい国民性なので、昨日までタクシン派だった人が、今日は新政権派に平気で鞍替えすることになるだろう」と感想をもらしている。
日本人も熱しやすく、冷めやすい国民性であり、類似している。また、タイ人と日本人は手先が器用である点も共通しており、このためタイには日本企業の細かい作業を中心とする工場が多い。
また、タイは、日本と同様、植民地にならなかった国であり、タイは、巧みな外交で欧米列強の緩衝地帯となり、植民地化を免れた。
この共通点が多い日本とタイだが、偶然にも、タイでの政変が起きた20日、日本では、自民党結党以来、最も若い52歳の総裁が誕生した。
(石井晴)
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□タイのクーデター:まちの様子を留学生にきく [JANJAN]
http://www.janjan.jp/world/0609/0609200508/1.php
タイのクーデター:まちの様子を留学生にきく 2006/09/21
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バンコクに滞在している留学生に話を聞くことができた。バンコク市内の様子を詳しく伝えてもらえた。(以下がその内容です)
留学生で、バンコク市内の大学(注1)の寮に滞在しています。
前回のクーデターの後、学生中心の反対運動が起こったそうで(注2)、そのためバンコク市内の大学には軍が来ています。
寮生(タイ人も含む)は、寮から出てはいけないといわれていましたが、友人と二人で様子をうかがいに大学内を散歩してきました。休日でも学生でにぎやかな学内が、かなりの静けさを保っています。学生は前回のことがあるためか、学校には近づかないようで、寮生も外出を避けているようです。
学内は広く、門もいくつかありますが、軍人が目を光らせているのは正門と、その前にある銀行前だけでした。銀行は周りにロープが張られ、大きな銃をもった人が1人立っていましたが、ATMは使えるようでロープ内への人の出入りは簡単に行えるようでした。
軍人たちに緊張感は無く、半分くらいは休憩中。門の前に立っている人でも携帯で話したり、退屈そうにしていました。しばらく遠目に眺めていると、車が一台止まり中から女性が降りました。大きな袋を2つほど彼らのそばに置いて、言葉を交わすでもなくお辞儀をするように去っていきました。一瞬のできごとでした。
袋の中身が何なのか気になり見に行くと、中身はジュースや水でいっぱいでした。そして、それをみんなで分け、のんびりと持ち場に戻っていきました。差し入れだったようです。
市民からの支持があることが目に見えて現れた瞬間でした。
昨夜(19日夜)は、バンコク市内でも情報が錯綜し、自分自身も振り回されました。インターネットが止まるとの情報が一番まいりました。20日、朝は人がかなり少なかったようですが、夕方になると、空港へ続く大きな道路はいつもとあまり変わらない交通量に戻っています。かなり落ち着きを取り戻してきているようです。
前回(1991年)のクーデターでは、結果的に多くの死者がでた。今回のクーデターでは同じことが繰り返されないように願いたい。(20日)
(注1:国立カサセート大学。国際空港から約20分の位置にある。http://www.ku.ac.th/)
(注2:前回のクーデターは1991年2月に起こっている。これも今回と同じ軍事クーデターであり、チャチャイ政権が倒された。1992年4月、スチンダ将軍が首相に任命されるが、これに反対する市民は、抗議集会・デモを連日開催した。同年5月、王宮前広場で行われたデモ隊に軍・警察が無差別発砲し、死者、行方不明者合わせて数百人といわれる「五月流血事件」が発生した。)
(高橋航)