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(回答先: 朝鮮日報よ!この社説は“風説”である [PJニュース] 投稿者 white 日時 2006 年 9 月 08 日 22:23:36)
以下、当該記事の論理破綻・矛盾の、ほんの一部分を例示してみたい。
(1)論理の飛躍・すり替え
元文を読む限り、朝鮮日報はあくまで「日本の一部の指導者層(例:中曽根康弘元首相、安倍晋三官房長官)」の発言を問題にしている。それをどう曲解したら、「まるで日本の民衆総出で」などと読み取れるのだろうか?「一部指導者の発言=民衆の総意」という論理の飛躍がここに見られる(その時々の民衆の総意と、政治的指導者の発言が相違することなど、各種の世論調査の結果を見れば珍しいことではない)。ここまでの論理の飛躍は「論理のすり替え」と非難されても仕方がない。
(2)事実と風説
しかも、安倍官房長官による核武装発言は、『サンデー毎日』2002年6月2日号で報道され、本人も発言の内容事実自体は否定できなかった(あくまで、早稲田大学での当該講演「内容」を報道したことを批判するに留まった>2002年5月27日参議院予算委員会議事録参照)ことである。
>風説とは世間にひろまっているうわさの事である。
というのが筆者が主張する「風説」の定義だが、少なくとも、安倍氏の発言の件は噂話ではなく、発言者本人も否定できない厳然たる「事実」である。その事実に基づいて他の事実(たとえば日本のプルトニウム保有量)とも総合した上で、複数の事実からの推論(大まかに言えば、「帰納法」に属するだろう)を論述することのどこが「風説」(単なる噂話レベル)なのだろうか?
もうこの時点で、この『藤原 和也』なる自称パブリックジャーナリストの当該記事の表題「この社説は“風説”である」の部分は論理破綻していると判断せざるを得ない。
(3)また
A)>今日にでも核兵器を作り出さんと鼻息を荒くしている様に読み手が誤認してしまっても、仕方が無い
と書くそばで
B)>あくまで安全保障上の対処として、政治家は毅然とした態度で「“いざ”となれば核兵器を・・・」という護身術を繰り出す事が必要である。
と書くのは「語るに落ちた」と言うべきである。核兵器製造を目指すことを「誤認」と論じながら、一方では日本の政治家に対しては「核兵器保有の発言」を護身術の名目で繰り出すことを必要と述べている。
もしB)のような発言を政治家がすることを筆者が主張しているのなら、核兵器を作り出そうとしている意図を(本音はどうあれ、少なくとも表面的には)表示することになり、A)の「誤認」説は成立しない。
逆に、もしA)のような「誤認」説を貫きたいのであれば、政治家の発言としても「核保有発言」は、たとえ「ポーズ」「擬態」であっても許すような態度を筆者はとるべきではない。なぜなら、少なくとも「筆者」という人間(日本国民に含まれることを前提にすると)は「核兵器を作り出さんと鼻息を荒くしている様に」政治家が振舞うことを場合により認めていることを意味するからだ。
つまりどちらにしてもA)の部分の論旨とB)の部分の論旨は致命的に矛盾するのだ。短い文章の中でここまで論旨が矛盾していることを平気で書くとはどういう人物なのであろう?>藤原 和也(常人であれば、たとえ誘導尋問に引っかかったり、泥酔状態にあったとしてもここまで矛盾した発言ができるものか?)