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規模は大違いですが、「9・11自作自演テロ」満州版ですね、これって。
以下 http://ratio.sakura.ne.jp/archives/2006/09/03174942.php#more-5111 から転載。
張作霖爆殺事件について
8月11日に放映されたNHKスペシャル「満蒙開拓団はこうして送られた」を見ていたら、関東軍の東宮鉄男大尉の日記が紹介されていました。番組の中心は、満蒙開拓団を送り出す国策がどのように決定されていったかを追ったもので、番組の本筋とは関係ないのですが、張作霖爆殺事件後、東宮自身が、張作霖爆殺計画の実行犯であることを認める記述をしていたことが明らかにされていました。
張作霖爆殺事件は、1928年6月4日、北京から引き上げる張作霖が乗った列車が奉天駅近くで爆破され、張作霖が死亡した事件のこと。当時から、日本政府は、これが軍部の関与した事件であったことをつかんでいました。だからこそ、田中義一首相は、関係者の処分を天皇に上奏したのです。
番組で紹介された日記では、東宮は、まず28年4月17日に、「京奉線クロス遮断準備計画」を提出したと記しています。爆殺事件は、京奉線と南満州鉄道が立体交差する地点で起きたもので、この「遮断計画」が爆殺計画であることは明らかです。さらに事件直前には、いつ張作霖が引き上げてくるか分からず緊張したことや、東宮が現場を視察したことも記録されています*1。
さらに、翌29年7月2日、田中内閣が総辞職*2したとき、東宮は次のように書いています。
事件の最大責任者はもとより余一人にあり。ただ余が言を発すればことさらに重大を加う。……特に軽挙を慎まざるべからず。
東宮が実行犯であることは従前から知られていたことですが、それを本人がこのような形で生々しく記録していたことは知らなかったので、なかなか興味深く思いました。東宮日記は初めて公開された資料だと思いますが、ぜひとも全体の公開を期待します。
張作霖爆殺事件といえば、昨年出版されたユン・チアン『マオ』が次のように書いていたことが、大きく取り上げられました。
★張作霖爆殺は一般的には日本軍が実行したとされているが、ソ連情報機関の資料から最近明らかになったところによると、実際にはスターリンの命令にもとづいてナウム・エイティンゴン(のちにトロツキー暗殺に関与した人物)が計画し、日本軍の仕業に見せかけたものだという。(上、301ページ原注)
インターネットの世界でも、まるでこれまで隠されていた歴史の真相が明らかになったかのような買い込みを見かけますが、東宮の日記をみても、あらためて『マオ』の眉唾ぶりが分かると思います。
なお、『マオ』の記述と日本語訳の誤りについては、矢吹晋「『マオ』の真贋を読む」(原載、東方書店『東方』2006年5月号、28-31ページ)が詳しく批判しています。
「読売新聞」は、この本を書評欄で取り上げませんでしたが、その理由を、編集委員の布施裕之氏が明らかにしています。
(『マオ』が)歴史書として問題が多いのは、承知の上だ。実際、書評の選考から漏れたのもそれが主な理由だった。
例えば、張作霖爆殺がソ連情報機関の仕業だったとするくだり。唯一の論拠としたロシアの歴史作家による推論は、「歴史はすべてソ連情報機関が作った」との宣伝臭が濃厚で、かなり怪しい。
だが、初めからやや筆の走ったノンフィクションとして読むなら、これほど面白い本はない。(「読売新聞」8月14日「読書委員が選ぶ『夏の一冊』」)
この点では、少なくとも読売新聞の方が日経新聞などより見識があった、ということでしょう。(^_^;)
追記:
上記エントリーを公開したところ、先輩のW辺氏から、産経新聞8月30日付の「正論」で、秦郁彦氏が「謀略史観に思う時代考証の大事さ」と題して同じ事を書いていることを教えていただきました。W辺さん、ありがとうございます。m(_’_)m
なお、事件直前の5月28日から6月9日までのページは破られていて存在しないとのこと。 [Back]
田中首相は、1年前の上奏にもかかわらず、軍部の圧力に屈し関係者の処分ができず、天皇に、調査したが関係者はいなかったと上奏したため、前の報告との食い違いを天皇に問われ、辞職した。 [Back]