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[AML 9041] 痛恨の元日本人軍医の証言を聞く 8.20集会報告
大賀です。
8月20日に下記の集会を行いました。
重複していましたら、ご容赦願います.転載、転送歓迎
集会報告
痛恨の元日本人軍医の証言を聞く
1 8月20日、医福連(医療・福祉の戦争協力に反対する連絡会議)の主催する講演
会「戦争の真実を知るー日本軍の生体解剖の記録・ある軍医による痛恨の証言」が、
杉並の診療所で開かれました。
2 講演者の湯浅謙氏は、先の戦争のさなか1942年に北支山西路安陸軍病院に軍
医として赴任し、生体解剖などで多数の中国人を惨殺し、敗戦後に捕虜収容所に捉え
られ、そこで罪の告白を強いられ生体解剖の罪に思い至り、1956年日本に戻って
からも600回にわたる講演や著作(「消せない記憶」日中出版)で、加害者として
戦争体験の証言を行ってきている方です。
3 89歳の高齢のため、講演はご自身も長く勤められていた診療所で開かれました
が、それでも20代の若い人達を中心に60人近くの人たちが、その貴重な戦争体験
を聞こうと集まりました。
4 その日湯浅氏は、3点にわたって自らの体験を話されました。それは、@戦争の
真実とは何か A生体解剖という非道なことを何故したのか Bこのような告白は何
故出来るようになったのか、に関するものです。
@ 「戦争の真実とは何か」
戦争の目的は一言で言えば、資源の略奪・収奪です。日本が中国に行ったのは、武力
を背景に、中国から資源を収奪することが目的だったのです。そのため広大な占領地
を支配し、生体解剖も第一線で傷病兵に対して緊急手術の出来る外科技術の習得のた
め必要とされたものでした。
A 「生体解剖」
湯浅氏は、医大を卒業後まもなく軍医として、北支山西路安陸軍病院に勤務しま
す。最初の手術演習は、外科軍医の指導の下、捕らえられた百姓風の中国人に対して
行われました。両手を縛られた男性が連れてこられ嫌がり躊躇するところを、看護婦
が「麻酔薬を打つから痛くない、寝なさい」と声をかけ手術台に寝かせ、解剖が始ま
りました。「最初は恐る恐る、二回目は大胆に、三回目からは得意になって行った」
と本人も述懐しており、唯々諾々と従っただけではなく、積極的に行動し、「中国人
は卑しい」、「戦争の勝利のためには止むを得ない」「みなの前で臆病な振る舞いを
するな」と自分を励ましながら、この悪魔の所業を行ったのです。手術演習の後、す
でに絶命していた中国人は少し離れたところに掘られた穴の中に放り込まれました。
これが湯浅氏が最初に犯した戦争犯罪です。その後、彼は緊急手術教育として、14
名の中国人を、そのうち3名は直接手を下し生体解剖をし惨殺したのです。
しかし、このような生体解剖は、彼のいた路安陸軍病院だけで行われていたのでは
なく北支軍全体で行われていたし、ましてや「731部隊」が主に行っていたもので
もなかったのです。
B 「体験の告白」
湯浅氏は、敗戦の後も中国に残留し中国の国民党軍に参加し、捕虜、戦犯として抑
留された期間に反省し、自らの行った行為を「残虐な戦争犯罪」として認識するよう
になりました。
実は北支に渡った多くの軍人が生体解剖や虐殺、強姦、略奪、暴行等に関与してい
たにもかかわらず、ほとんど誰もが喋っていないという事実があります。罪を恥じた
り、恐れたりして口にしないのかと思われますが、意外にもほとんどが忘れて思い出
さない、それが侵略戦争の特徴であると彼は言います。それは、幼児の頃から教育や
強制によりアジア蔑視の観念を植えつけられ、「戦争は正しい」、「天皇の行う戦争
は聖戦であり、必ず勝利する」と洗脳されてきており、そのため犯した罪を罪と感ぜ
ず、命令だから止むを得ないものとして犯したため記憶に残らない、と言っていま
す。
湯浅氏は、その後捕らえられ河北省永年の捕虜収容所で2年間の捕虜生活を送る中
で、罪の告白を求められて初めて自らの犯した生体解剖の罪を思い出したのです。そ
れと中国側の寛大な態度や政治教育もまた、罪のない中国人を惨殺したわが身を反省
することができた要因でもあることを告白しています。当時彼らに対して中国側は、
「君らも好きで中国を侵略した者はいないだろう。みな政府の命令により駆り出され
たのだ。君らも被害者だ。しかし、中国人民は多大の被害を受けたのだ。自分の犯し
た事実を正直に告白すれば許されるだろう」と諭したのでした。
5 湯浅氏は休憩を挟んで1時間以上にわたる講演のあとも、会場からの質問に答え
て再び自らの体験を時間を惜しんで語ってくれました。そして最後に、残った人たち
一人一人から湯浅氏の講演の感想を話してもらい3時間半にわたる講演と討論集会を
終えました。
6 湯浅氏の属する「中国帰還者連絡会」(中帰連)は、戦犯として抑留され、その
後帰還し戦争の歴史を風化させず、侵略戦争の道を許さず、日中の友好、世界平和を
実現することを目的としている会です。
湯浅氏の体験は、生体解剖が軍医として決して特別の行為ではなかったことを示し
ています。それも日本では決して行わない人でも、ひとたび戦地に赴けば率先して
行ってしまうということを示しています。最初は恐る恐るではあっても、やがて自ら
の行為に疑問すら抱くことなく、残虐な生体解剖に突き進んでいったことが語られた
のです。
私たちは戦争体験者の少なくなる中で、このような証言を決して風化させずに、戦
争を賛美し、美化する今日の風潮にはっきりと反対し続ける運動を継続していきたい
と思っています。湯浅氏の講演はまさにそのような私たちを勇気付けるものであった
ことを報告します。
参考資料
1 吉開奈津子、湯浅謙 消せない記憶-日本軍の生体解剖の記録 日中出版社
1981
2 湯浅謙 15年戦争に軍医として関わった体験 15年戦争と日本の医学医療研究会
会誌 2002
3 中帰連 http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/index.htm
尚、本講演の内容は後日小冊子にする予定です。
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http://list.jca.apc.org/public/aml/2006-September/008645.html