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(回答先: Re: そんなに韓朝鮮人が嫌いなら靖国神社から朝鮮人兵士を分祀する運動をすべきでは? 投稿者 Kotetu 日時 2006 年 8 月 21 日 17:47:43)
洪思翊(ホン・サイック)
大日本帝国陸軍中将。陸軍士官学校・陸軍大学校卒。
洪中将は堂々と朝鮮名で軍に参加し、指揮官として赴任する度には必ず
「自分は朝鮮人の洪思翊である。唯今より天皇 陛下の御命令により、指揮を執る。異議のあるものは申し出よ。」
と訓示していた。
(つまり、「創始改名」は強制ではなく届出制だったということだ。)
1944年、フィリピンに出撃。捕虜収容所の所長となる。
戦後、フィリピンにて戦犯として山下奉文大将と共に戦犯裁判にかけられた。
捕虜虐待の冤罪を着せられるが、一言の弁明もせず、死刑が確定。「絞首合格だ」と語ったという。
他にはこんな人も居る。
金錫源
陸軍大佐。中国戦線で活躍し、金鵄勲章功三級を受ける。
歴史上、朝鮮半島は常に中国の支配下にあり、中国からの使者が来れば朝鮮王は土下座で迎えていた。
その朝鮮人が、中国の大軍を撃破するというのは朝鮮半島の人間にとっては感動的な事だった。
尹致昊や崔麟等といった人までが朝鮮神宮に参拝して彼の戦勝を祈願した。
また彼の活躍に感化されて朝鮮人の志願兵が多数応募してきた。
陸軍士官学校に合格していた崔慶禄も、入学辞退して志願兵となった一人。
太平洋戦争終結後、金錫源は金日成討伐部隊長となり朝鮮戦争で活躍。
韓国軍が敗北を続けたとき、兵士たちを叱咤激励した。
帝国陸軍時代から愛用している日本刀を振るって部隊の指揮を執った。
若き将軍の朝鮮戦争 - 白善ヨップ回顧録 より
出身地も民族も関係ない。一兵卒でも将軍でも命の価値は同じだ。
日本の戦争に参加して戦場で命を失い、或いは敗戦の責任を取って死んで逝った人達を礼拝する事は当然ではないか。
それを、「日本人じゃないから」と排除するのはそれこそ恩知らずな、恥ずべき行為だ。
だが、君には説明してもムダだろう。理解できないだろうから。