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(回答先: やはり、インテリ左翼からは色んな文献が引き出せますネ o(~▽~*o) 投稿者 姫 日時 2006 年 8 月 18 日 08:58:09)
訂正: ワイマール大戦→ワーテルロー大戦
(ちょいと面白い話)
ワーテルローの戦い
ワーテルローの戦いは、一連のナポレオン戦争での最後の戦争です。この戦いは、1815年6月15日から18日の間に、現在のベルギーの首都ブリュッセルの南東にあるワーテルローで行われました。始めイギリス・オランダの連合軍がフランス軍を迎え撃っていました。17日午後からこの付近では雷雨が発生し、雨は18日まで続き、地面は沼のようになってしまいました。このため、フランス軍の侵攻速度は遅くなり、そこにプロイセン軍が攻撃を開始したため、フランス軍は敗退しました。この戦いでナポレオンが率いるフランス軍は敗北し、フランスによるヨーロッパ支配が終わり、ヨーロッパにおける新しい政治的・軍事的な勢力関係が確定しました。
地面が沼のようになったということですから、激しい雨が降り、雨量も多かったと思います。上空に強い寒気を持った、かなりの規模の低気圧が来て、そこに向かって暖かく湿った空気が流れ込んだため、発達した積乱雲が発生し、雷を伴った激しい雨が降ったと考えられます。
http://www.bioweather.net/column/weather/contents/mame014.htm
訂正: BRIKs→BRICKs
(極めて興味なし)
アメリカの共和体制はやはりローマに因んだもので、日本の大東亜構想は共和制を敷こうと思ったのか?
法の天才がローマを不朽のものとした
ことに、ローマ全体が組織時代にあった紀元前後約 3 世紀の間に、多くの優秀な法学者は、常に現実に立脚する豊富な知識と驚くべき技巧とをもってめざましく活躍し、これによって、法は初めてよくその独自の存在をえ、法的思惟の方法や諸種の法上の概念は、初めてよく定立されることをえた。あたかもギリシャ人が哲学や芸術の世界における天才として高い使命を果たしたように【アリストテレスの哲学は万学の基礎であった】、ローマ人は、法の世界の天才であって、ローマ精神は法学に結集し法学者によって体現された。そうして、かれらの努力の成果は、ユスチニアヌス帝の大法典編集事業によって、永く後世に伝えられうる形体に結実した。
http://www.qmss.jp/strategy/condition/rome.htm
日本に一番遠い国はアフリカ。アフリカ人が人間の祖先だと考えるのもかなり無理があるが、太陽は24時間で一周する。
どうして日本がリアル・サンシャインと言われるか考えてみよう。
日付切り替え線が西洋暦のはずが、日本が基軸になっている。
なぜか世界では日本は極東の地と言われる。日本が一番早く朝日を迎えることになっているからだ。
暦を考えたのは日本なのだろうか?
あらゆる歴史は武将の都合により書き換えられてきたと疑っている。王様があいつが悪いと言ったらそいつが悪いのだ。勝ったものが全てを制すのだ。
ローマは三たび世界をまとめた。
いいや、まとめんでいいから。お得意の部落地域ができるぞ。村八分にしても、どうやら陰謀の元祖の匂いがしてきた。
徳川の亡霊に悩まされている。電子が予想外の動きをするのだ。電子を自在に操れるようだが、まったく解明できない。酷いストーカーに悩まされている。
今日は酷い頭痛だ。まだ、歯の激痛も解明できてないのに!
ラッキーな地にいるのか不幸なのか、最新技術のストーカーが私には付いている。
(すみません、ぼやきでした)