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(回答先: 在日差別発言で顧客提訴 積水ハウス「おまえのような人間がいるから拉致問題が起こるんだ」 投稿者 kaname 日時 2006 年 7 月 31 日 13:50:51)
顧客提訴 反響よぶ会社の訴訟支援 東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060807/mng_____tokuho__000.shtml
先月三十一日、大手住宅メーカーの積水ハウス(大阪市北区)に勤務する在日韓国人二世の徐(ソ)文平(ムンピョン)さん(45)が、差別的な発言をされて精神的苦痛を受けたとして、大阪府内の顧客男性に慰謝料三百万円と謝罪広告掲載を求めて大阪地裁に提訴した。社員が顧客を訴える裁判に対し、会社が裁判費用を負担したり裁判出席を勤務時間と認めるなど、ほぼ全面的に支援することがクローズアップされ、反響が広がっている。 (中里 宏)
訴状などによると、昨年二月、徐さんはマンションの排水管詰まりの緊急工事報告書と今後の改修工事の見積書を持ってマンションオーナーの被告男性方を訪問。ハングル文字と漢字、カタカナの読みがなが入った名刺を見た被告男性は「積水ハウスという看板とこの名前を一緒に載せるとはけんかを売っているのか」「ようこれで商売するな」などと約二時間、差別的発言を続けたとしている。
これに対し、被告男性は「差別意識に基づいて言ったことではない」と反論する。
男性によると、「二、三万円の工事と思っていたら、最初二十五万円を請求された。ネズミが一階の空き店舗の床下から石を運んでいて、一、二カ月後にはまた詰まるので、五十万−百万円の改修工事が必要と説明された。金額が法外だと思ったし、説明にも非常な疑念を持った」という。
名刺については「読みがなが小さくて見えず、『じょさん』とお呼びしたら、『違う』と言われて何を言っているのか分からなかった。そこから(表記を)どれか一つにしてほしいと言った。改修工事も断ると言っても聞いてもらえなかった」という。提訴を「人権で圧力をかけて自分の言う通りにさせる商売のやり方」と批判。両者の主張は全面的に食い違っている。
積水ハウスは「勤務中に生じた事案であるため、当社としても先方と折衝し円満解決を試みましたが、解決に至りませんでした。(徐さんに対する支援は)雇用管理や社会的責任という観点から行っています」と公式にコメント。同社の山口英大広報部長は「従業員を会社が守れなくて誰が守るのかということです」と補足する。
インターネット上などでは「顧客を訴えるなんて」との反響が大きいが、山口部長は「お客さまは神様と言われるが、それも事実。私は物差しが違うと思うんです」と言う。
同社のホームページには、「人権問題への取り組み」として一九八〇年からあらゆる人権問題に全社で取り組んでいることが強調されている。全社的な取り組みは同年、部落差別図書の「地名総鑑」を同社が買っていたことが発覚し、人権団体から厳しい糾弾を受けたことが始まりとされる。
在日コリアン人権協会(大阪府八尾市)の徐(ソ)正禹(ジョンウ)副会長は、同社の訴訟支援について「会社の業務として行った先で精神的に追いつめられる事態になったのだから、冷静・客観的に考えれば支援は当然。企業が顧客を訴えるケースはいくらでもある」と指摘する。そして反響の大きさについては「当たり前のことが画期的に見えてしまうところに在日問題の難しさがある。在日が絡むと客観的判断が曇ってしまうんです」と分析した。
徐副会長によると、九〇年代後半から応募用紙から本籍地欄を削除したり、住民票の提出を求めない企業が増え、企業の在日差別は就職後の差別に変わってきているという。「採用した後で在日と分かると日本国籍取得を要求したり、『客に在日と絶対に言わないでほしい』と要求する。今回の訴訟は、企業が本当に人権を守れるのかという意味で極めて重要と位置付けている」という。
徐さんは、なぜ名前にこだわったのか。生い立ちを抜きにしては語れない。
徐さんは一九六一年、山口県で五人兄弟の末っ子として生まれた。戦前、日本に渡った両親は小規模の養豚、農林業を営んでいた。
自然の中で無邪気に遊びまわっていた徐さんが、在日であることを意識させられたのは小学一年の時。子育てと生活で精いっぱいだった両親は日本語の読み書きができなかった。「学校のプリントは親に渡さなかった。家の裏は豚小屋。よく、けんかでくさいと言われた。でも反論できん。親は日本語になまりがあった。日本の家庭と違うな、嫌やな、みじめやな、なんで在日に生まれたんや、という気持ちがありました」
小学二年の時、一家は大阪万博(七〇年)前の建設特需にわく大阪府内に仕事を求めて引っ越した。徐さんの胸は「都会にいく期待」で膨らんだ。だが、待っていたのは「韓国人」とののしられ、銭湯の湯船に沈められるなど、いじめの毎日だった。
自分のルーツに対する嫌悪感は増すばかりだった。
「当時はテレビでも韓国のニュースといったら悪い話ばかり。日本人になりたい、でもなれない。キムチの赤い色が汚く見えるんですよ。着物はすごい上品に見えるのにチマ・チョゴリはみじめだと」
ここ数年は韓流ブームで韓国人スターの名前が当たり前のようにメディアにあふれている。それでも本名で働く在日コリアンは圧倒的に少数派だ。「これほど卑下する人間は少ないかもしれないけど、とにかく(差別に対する)マイナスイメージは持っていると思いますよ。そうでなかったら、ここまで本名を隠すはずがないじゃないですか」
徐さんが、通名を本名に変えたのは中学時代だ。学校や近所の同胞青年から、在日コリアンが生まれた歴史的経緯を学ぶうちに心は揺れ動く。高校生だった兄が先に本名に変えたのも影響した。「一世が日本に来た経緯とか歴史を知っていくうちに、(通名は)本来の姿ではないな、隠してるなと。韓国人なのに韓国を嫌っていることに矛盾も感じました。だからといって、はい分かりましたと簡単には変えられない」。友人に説明して回り「つらくない環境づくり」をしながら、地域の子供会の応援も得て、三年の一学期に本名を名乗ることに踏み切った。
社会人生活は印刷関連会社でスタート。九八年に積水ハウスに移った。一年目、先輩社員について顧客を回ったときだった。本名の名刺を出すと、顧客から「こんなもん雇うとったらあかんがな」と言われた。「前の会社で、そんなことを言われたことはなかった。『日本の代表的な会社なのに在日を雇っているのか』という意味に感じた」
名刺にハングル文字を入れたのは四、五年前。「名刺を出すと韓国人かと聞けないため『中国人ですか』と聞かれた」ためという。
今回、顧客を訴えたことには「僕も会社員。大概のことはがまんします。ただ民族をばかにされるのは許せない。慰謝料の額なんてどうでもいい。僕の望みは本名で生活し、仕事をし、顧客にあいさつする。それが違和感なく、ごく普通になること。僕みたいに嫌な思いをした人が、ちょっとでも勇気づけられたら意味があるんじゃないか。それが最大の目的」と言う。
提訴のニュースを見た愛知県の在日の主婦からの手紙には「記事を見て元気をもらったような気持ちになりました」と書かれていた。「支援してくれる会社も素晴らしいと思ったが、もっと見直したのは日本人。『ニュース見たよ、勇気いったやろ』『気持ち分かるよ』と電話がかかってくるんですよ。心ある人が多い」。徐さんは「これが宝物ですわ」と主婦の手紙を大事そうにしまった。
在日の知人の前で、うっかり「バカチョンカメラ」と口走ったことがある。その後、彼は、ことさらに「バカボンカメラ」という言葉を使った。韓国語で「日本」は「イルボン」だ。何度目かで、胸の奥にボッと火が付き、飛びかかりたい衝動にかられた。民族差別とは感情にじかに響くものと初めて知った。(充)