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ベトナム難民問題「一九六〇年代に『外国人は煮て食おうが焼いて食おうが』と言い放った入管の幹部がいたが、」(東京新聞特報)
http://www.asyura2.com/0601/asia5/msg/284.html
投稿者 heart 日時 2006 年 7 月 09 日 18:12:13: QS3iy8SiOaheU
 

http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060709/mng_____tokuho__000.shtmlより転載。

あるベトナム難民一家の苦悩
日本で生まれた なのに不法滞在

 四半世紀前に「ボート・ピープル」として、世界を漂流したベトナム難民。日本にも一万人弱が暮らし、三世が生まれる時代になった。日本生まれのその一人が数年前、縦割り行政の弊害と役所の不親切から「不法滞在者」扱いされた。両親は、乳児なのに“犯罪者”とされた子の将来に心を痛める。不注意と片づけられがちな事例だが、その分、問題の根は深い。 (田原拓治)

 埼玉県新座市のベトナム人看護師グエン・ティミー・リンさん(30)は、同胞で夫の会社員ド・ユイ・カンさん(30)と長男のカイ君(5つ)、長女で生後十一カ月のレミちゃんの四人家族。長男のカイ君を除く三人の在留資格は在留期間が無期限の「永住者」だが、カイ君だけは最長三年の「定住者」だ。

■区役所窓口は 何も告げず

 なぜ、こんなふぞろいが起きたのか。理由がある。カイ君が生まれた当時、カンさん夫妻は東京都練馬区に住んでいた。カイ君誕生の二日後、カンさんは区役所に出生届と外国人登録の手続きに出向いた。

 窓口の職員とベトナム名と漢字での通名双方の届け出ができるか否かで混乱があり、最終的に受理してもらった。その後、職員は何も告げなかった。

 カンさんは手続きが終わったと思った。でも、実はもう一つ届け出が残っていた。在留資格の申請だ。それは、もう一つの役所(東京入国管理局)に申請しなくてはならなかったのだ。

 カンさんは「外国人登録を済ませれば、永住者同士の子なので自動的に資格が登録されると思った」と振り返る。しかし、そう合理的にいかないのが、日本の縦割り行政だ。翌年、新座市に住宅を購入する際、書類を求め区役所を訪れた。そこで職員に「息子さんには在留資格がない」と告げられ、呆然(ぼうぜん)とした。
 

■知らなかった では通らない

 法的には、出生後六十日以内に入国管理局に申請しなくてはならなかった。あわてて、入管当局にカイ君の入管難民法違反(不法滞在)を「自首」し、経緯を説明したが、「知らなかったでは済まされない」「区役所がどう対応しようが、うち(入管)とは関係がない」と対応された。

 両親は乳児のカイ君を連れて入管へ数回通った。取り調べの後、ようやく法相の在留特別許可で二回の一年ずつとその後、三年の定住資格がカイ君に与えられた。でも、永住資格はいまだに得られていない。

 リンさんは一九八二年、五歳のときに両親と二人の妹とともにベトナムを小舟で脱出した「ボート・ピープル」だ。フィリピン経由で日本にたどりついた。

 長崎県の「大村難民一時レセプションセンター」からカトリック団体の援助で栃木県の施設に移り、高校卒業後、看護学校で苦学して看護師の資格を得た。

 ベトナム政府はこうした難民を国民とみなしておらず、国籍はない。夫のカンさんは先に日本へ脱出した肉親に呼び寄せられたためベトナム国籍を持つが、将来は一家そろって日本の国籍取得を希望している。

 しかし、国籍取得の条件として国籍法五条には「素行が善良であること」とあり、犯罪歴の有無も要件として記されている。「長男には入管難民法違反の前歴がある。それが国籍取得や将来の就学、就職の妨げにならないか」と夫婦は悩む。

 日本人でも年金一つとっても、役所の手続きはときに複雑だ。このため、外国人が出生届に際しては窓口で在留資格申請を忘れないよう確認する地方自治体も少なくない。カンさん一家でも、長女が生まれた際は新座市の職員が申請の必要を告げてくれたという。

 練馬区外国人登録課の担当者は「通常は一声掛けるが、窓口が忙しかったり、知っているだろうという先入観から怠ってしまうことも。今回のケースは申し訳ない」と頭を下げる。

 ただ、今回の事故は氷山の一角のようだ。法務省入国管理局の担当者は「(地方自治体との)連携がうまくとれていない」と認める。「在留資格の説明は毎年、全国で自治体職員を集めて開いているが、こちらからのお願いベースだ」

 カンさん一家の懸念について、国籍取得を扱う同省民事局では「あくまで一般論」と前置きしつつ、「このケースは国籍取得の妨げとなる犯罪のカテゴリーには入らないと思う」とみている。

 とはいえ、リンさんは「なぜ、永住者同士の子どもに自動的に永住資格が与えられないのか。それに、どうして役所の窓口を統一できないのか」と素朴な疑問を呈す。現実にカイ君が永住資格を取れるまで、これからも定住資格を更新していかねばならない。

 ちなみにこうした窓口の簡素化について、総務省自治行政局行政課は「(外国人関係などの)法定委任事務は、それを定める法律を所管する省庁(今回は法務省)の問題。具体的な手続きの方法は各自治体が定めること」と木で鼻をくくったような回答だった。

 東京入国管理局の水上洋一郎元局長は「事故がある以上、窓口の統一化は検討すべきだ」と話す。「とはいっても、一朝一夕にはいかない。少なくても、現場職員同士がもっと密に情報交換しなくては」。カイ君のケースについては「在留特別許可は法相の裁量。永住者の資格を与えても問題はないはずだ」と語る。


■無国籍の書類 本国から取れ

 リンさんの憤りには、苦い積み重ねがある。結婚するときも、簡単に受理されなかった。役所で本国から国籍、結婚歴がないことを示す書類を取り寄せよ、といわれた。「ベトナム難民が国籍を失っていることを日本のお役人は理解していなかった」と振り返る。

 役所に限らない。国籍取得をすることも子どもたちの将来を考えれば、やむを得ない選択だ。「私は五人姉妹で妹たちは日本語の環境で育った。だから、姉妹同士では日本語で話す。日本生まれの妹はベトナム語をほとんど話せない」。子どもとなればなおさらだ。

 でも、現実には差別の壁がある。リンさんも子どものころは「ベトナムに帰れ」「変な名前」とからかわれた。同胞の中には、名前を告げるやアルバイトを断られたケースもある。

 そればかりでない。リンさん一家は「成功者」の部類だが、ある同胞たちは不景気でリストラされ、食料品などの万引で逮捕。実刑判決の後、罪を償っても国外退去処分を下される。

■中ぶらりん 仮放免の同胞

 しかし、ベトナム側が難民ゆえに受け入れを拒んでいるため、外国人収容施設から仮放免。ただし、在留資格を取り消されているため、日本での就労はおろか、国民健康保険にも加入できず、生活保護の対象からも除外。途方に暮れたままというケースもある。

 今回のほんのさまつな役所の不手際も、こうしたベトナム難民を取り囲む壁の一端といえなくもない。

 難民問題に詳しい師岡康子弁護士は「日本人なら転入届を出し忘れた程度のことだけど、彼らにはこれだけの重圧がかけられる」と指摘し、こう続けた。

 「一九六〇年代に『外国人は煮て食おうが焼いて食おうが』と言い放った入管の幹部がいたが、その姿勢はいまも変わっていない」

<メモ> ボート・ピープル

 1975年4月、旧南ベトナム政権が崩壊。米軍と関係が深かった人やキリスト教徒たち13万人は撤収する米軍艦船により米国に移住したが、その後も近隣紛争国の人も含め約200万人が小舟で南シナ海に脱出した。日本にも75年5月から難民が到着。78年の閣議了解以降、細々と受け入れを始め、これを契機に81年には難民条約に加入したが、政府はベトナム難民を条約上の難民とは認めていない。


<デスクメモ> ベトナム難民に、法相裁量の特別在留許可が初めて認められたのは一九七八年八月三十日。これですら、当時、「日本はベトナム難民に冷淡」と国際的に批判されたからだ。難民問題の関係者は現状を指摘する。「行政機関に『国際』と銘打った部署があっても、外国人側から働きかけないと機能しません」 (透)

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